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受験学力以外のもの

【7774154】
スレッド作成者: 東大発表があったけど (ID:ldfTlHvbSkw)
2026年 03月 12日 08:56

受験学力を上げるためにせっせと予備校通いして青春時代の貴重な時間を費やすことに意味があるんだろうか?

共通テストレベルで基準点が取れればもう受験勉強点取りレースはやめて、部活や運動、読書、趣味などに時間を使った方が将来有望な大人が出来るのではありませんか?

アメリカのようにAO入試で本人のやる気や将来性、適性見て入学させる方が良い人材選べるのでは・・・と思います。

【7781791】 投稿者: Margaux   (ID:yCJRq60oJ6o)
投稿日時:2026年 04月 03日 15:26

非常に示唆的なご提案だと思います。
ただ、その方向性は本質に触れつつも、まだ制度の表層に留まっている気もします。

作文や論文の導入は確かに有効です。しかし海外トップ大学が評価しているのは、単発の作文能力ではありません。

寧ろ

継続的な活動
主体的な問題設定
社会との接続
アウトカム

こうした長期的な履歴です。たとえば海外トップ大学では

研究活動
起業
社会活動
制作活動

こうしたものが評価対象になります。つまり、入試の場で書かれた作文よりも、すでに何をしてきたかが評価される。ここに日本の入試制度との決定的な違いがあります。

日本の場合、どれだけ突出した活動をしていても、最終的には学力試験で横並びに評価される。
これは公平性という意味では優れていますが、突出した人材を拾いにくい構造でもあります。

もう一つ大きいのは、大学側のリスク許容度です。海外トップ大学は

型破り
未完成
異端

こうした人材を意図的に取りに行く。一方、日本の大学は

均質
再現性
安全性

こちらを優先しがちです。
作文を導入しても、この評価哲学が変わらなければ、本質的な違いは残るでしょう。

寧ろ、CoDのような動きは、入試の問題というより、大学の評価軸そのものを変えようとする試みに見えます。

つまり

試験で優秀な人材を選ぶ大学
何かを生み出す人材を集める大学

この違いです。
西千葉さんのご提案は、その方向への一歩として非常に意味があると思いますが、同時に、日本の大学が直面しているのは、選抜手法ではなく評価哲学の転換なのかもしれません。

【7781839】 投稿者: 西千葉   (ID:4wUnjPp.V0E)
投稿日時:2026年 04月 03日 17:02

現役教授が逮捕される未曾有の危機的状況だからこそ可能ではないか、という所からのヨタ話ですが、敢えて、本スレッド話題の「答の無い問題」を出すのです。例えば「一(いち)とは何か」など、受験生が秘める、議論の設定と論理の展開の能力を問うものですね。出題者にも答が分からず、学生と一緒に解明したい問題です。

【7781845】 投稿者: Margaux   (ID:mYaoAEl1fl2)
投稿日時:2026年 04月 03日 17:13

非常に興味深い視点だと思います。

一とは何か。
まさに 答の無い問題 ですね。

ただ、ここで重要なのは、その問いそのものよりも、問いを立てるという行為の価値だと思っています。

日本の教育は、長い間 正解のある問題 を解く能力に最適化されてきました。
しかし現実の社会は、正解の無い問題の連続です。

投資もそうです。
起業もそうです。
キャリア選択もそうです。

どれも模範解答は存在しません。

つまり、西千葉さんがおっしゃる 一とは何か という問いは、単なる哲学的遊びではなく、むしろ現実社会の訓練に近い。

さらに言えば、ここにもう一つ重要な要素があります。

答えを出す能力ではなく、仮説を立てる能力です。

例えば 一とは何か という問いに対して

数学的な1なのか
存在論的な1なのか
社会的な単位としての1なのか

前提の置き方だけでも、全く異なる議論になります。

つまり、問いに対する答えよりも、どう問いを設定するか。
そこに知性の個性が現れる。

これは、投資や事業にも非常によく似ています。

同じ資金
同じ情報

それでも結果が大きく違うのは、問題設定が違うからです。

例えば

株を買うかどうかではなく
なぜこの市場に歪みがあるのか

不動産を買うかどうかではなく
なぜこの地域に需要が生まれるのか

問いのレベルが変わると、行動も変わる。

そして、おそらくですが、日本の教育が最も苦手としてきたのが、この問いを立てる能力だと思います。

だからこそ、西千葉さんの提案は、単なるヨタ話どころか、むしろ今の時代に非常に適している気がします。

答えを覚える受験から
問いを立てる受験へ

もしそんな方向に進めば、日本の教育はかなり変わるかもしれません。

そして少し話を広げると、これは投資やキャリアの話ともつながります。

正解を探す人生は、どうしても安全な道を選びがちです。
しかし問いを立てる人生は、自分で道を作ることになります。

その差は、時間が経つほど広がる。

だからこそ私は、学生のうちに小さく挑戦する価値があると思っています。

答えの無い問題に向き合う訓練として。

そう考えると、西千葉さんの 一とは何か という問いは、単なる哲学ではなく、むしろ実践的な教育の入り口なのかもしれませんね。

いつもながら。
流石流石の視点です。

【7781853】 投稿者: margauxの問題   (ID:ZxqqDFqUmCw)
投稿日時:2026年 04月 03日 17:33

想像で言われても困るけど、私がトップスクール2校に進学した時に留学予備校で聞いたのは、(記憶ベース)
GPA 50%
レジュメ、エッセイ、推薦状 20%
GMAT,GRE 15%
TOEFL 15%
ぐらいで、基本、大学の成績(出身大学補正あり)が半分なんだよね。
だから、そんなクリエイティビティなんか評価の余地はなかったよ。うちの大学は基本、試験で成績つくとこだったから。
守破離と言って、規矩作法守り尽くして破るとも離るるとも元を忘るな。迷ったら基礎に忠実に。基礎の形ができてないと伸びないんだよ。

【7781878】 投稿者: Margaux   (ID:z6xgKGIXpJQ)
投稿日時:2026年 04月 03日 18:17

おっしゃる内容は理解できますし、実際そういう評価配分の話はよく聞きます。
GPAの比重が高いというのもその通りでしょう。

ただ、それと クリエイティビティが評価されない という話は、少し別のように思います。

例えば GPA が重視されるのは、基礎的な能力の担保として分かりやすいからです。
ただし、そのGPAの中身は大学ごとにかなり違う。

論文中心の評価
ディスカッション中心の評価
試験中心の評価

同じGPAでも、そこに至る過程はまったく異なります。

つまり、GPAはあくまで入口のフィルターであって、評価の全てではない。

実際、レジュメやエッセイ、推薦状が存在するのも、その補正のためでしょう。
むしろ海外大学は、その部分で個性を見ようとしている側面が強いと思います。

もう少し踏み込むと、守破離の話も非常に重要だと思います。
ただ、日本は 守 に偏りすぎている気がします。

守を徹底すること自体は重要ですが、
破や離に進む機会が極端に少ない。

その結果

基礎は強い
だが応用や発想で伸び悩む

こういう構図になりがちです。

そして、ここが投資やキャリアの話とも重なります。

基礎ができてから動く
完璧になってから挑戦する

そう考えているうちに、挑戦のタイミングを逃すケースも多い。

一方で、ある程度の基礎の段階で動き始める人は、実践の中で破や離に進んでいく。

この差は、長い時間で見るとかなり大きいと思っています。

ですから、基礎の重要性は否定しませんが、
基礎が整うまで動かないという考え方にも、少しリスクがある気がします。

守破離という言葉は、守だけでは成立しない。
破と離まで進んで初めて意味を持つ。

そういう意味では、学生のうちの小さな挑戦も、破への入口なのかもしれませんね。

【7781883】 投稿者: 西千葉   (ID:4wUnjPp.V0E)
投稿日時:2026年 04月 03日 18:30

よく電車内で見る広告の「いまから動く人は、強い」は、「、遅い」ですね。

【7781891】 投稿者: 課題設定能力だけでなく   (ID:jaImZ1PVt.6)
投稿日時:2026年 04月 03日 19:04

問いをたてる、課題設定能力だけでなく、その課題を解決するための独創的な取り組みができる能力が必要。

この能力は研究者、起業家、投資家は当然として、キャリアを自ら築くサラリーマンでさえ不可欠な能力。加えて新たな価値を創出する能力が不可欠。

そうした社会が求めている能力を大学入試の段階でも同様にその能力を評価すべき。答のある問題を解くことができるだけの人間を選抜する大学では未来がない。

こうした社会が求めている能力を大学入試でも評価し、大学教育もこうした能力が培われることをサポートする教育にすべき。

そうすれば、優れた研究者、起業家、投資家等が日本にもあらわれ、自分のキャリアを自ら築く人間が増える。

日本を変えるにはまずは教育から変える必要がある。

【7781900】 投稿者: 海外トップ大が求める能力は違う   (ID:jaImZ1PVt.6)
投稿日時:2026年 04月 03日 20:21

スタンフォード大等の合格率は5%未満。GPAや英語能力等で差がつくわけがない。なぜなら志願者は、これらの基礎学力はほぼ満点であるのは前提だからだ。

結局、非認知能力で差がでる。

高校生で日本企業と協力してロケットに搭載する人工衛星をつくったとか、福島原子炉の人が入れないところを災害ロボットで取り除く取り組みを試みるとか、そういう社会課題を克服できる可能性のある優れた日本の高校生がスタンフォード大やMITに進学している。

広尾や渋幕のパンフレットにはそういう日本の最優秀な人材が掲載される。

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