女子美の中高大連携授業
受験学力以外のもの
受験学力を上げるためにせっせと予備校通いして青春時代の貴重な時間を費やすことに意味があるんだろうか?
共通テストレベルで基準点が取れればもう受験勉強点取りレースはやめて、部活や運動、読書、趣味などに時間を使った方が将来有望な大人が出来るのではありませんか?
アメリカのようにAO入試で本人のやる気や将来性、適性見て入学させる方が良い人材選べるのでは・・・と思います。
正直言って。
キミの書き込みはかなり危ういと思うな。
新しい学部が増えている、講義型からプロジェクト型へ、探究型教育、特色ある大学選び。
ここまでは、まあ、エデュで無限ループされる、ありがちな言説の寄せ集め。問題は、その先。
一般選抜がなくなれば偏差値はなくなり、大学序列もなくなる。
これは流石に現実認識が甘杉。
序列は偏差値が作っているのではない。社会が評価する以上、必ず序列は生まれる。仮に一般選抜が消えたとしても。
研究力
資金力
教員の質
卒業生の進路
企業評価
上記の様な指標で、より強固な序列が再構成されるだけ。
寧ろ偏差値という分かりやすい指標が消えれば、見えにくい序列が強まるだけの話。アメリカの大学がまさにそれ。入試は多様でも、序列は極めて強固。
つまり、偏差値と序列という全く別のものを混同している。
更に、新しい学部が増えていること自体を、教育の進化と見るのもアサイーボール。
大学が新学部を作る最大の理由は理念ではなく生存戦略。少子化の中で学生を確保するためのマーケティング。耳触りの良い言葉を並べた新学部が量産されているのが実態でもある。
ディープテック、探究、プロジェクト型。言葉は新しいが、中身は従来と大差ないケースが大半というのが現実。薄っぺらいコトバの一人散歩。
更に、学生が行きたい大学に自由に学ぶ時代が来るというのも、かなーり楽観的。
現実には学生は就職市場に強く影響される。AIに強い大学でも、就職に弱ければ人気は出ない。ブランドと実績は依然として強い。
更に更に、特色を出せない大学は潰れるというのも単純化し杉。
大学は単なる教育機関ではない。地域経済、政治、補助金、雇用と密接に結びついている。簡単には潰れない。寧ろ地方では、地域維持のために存続する大学も多い。
この辺りの構造が完全に抜け落ちている。
加えて、この議論には一貫した問題がある。それは制度が変われば社会が変わるという過度な制度楽観主義。
実際には、制度が変わっても人間の行動はそれ程変わらない。ブランドは残る。序列も残る。格差も残る。
AI時代でも同じ。寧ろ逆にAI時代ほど、信頼やブランドが重要になる可能性すらある。
未来を語っているようで、実はかなり素朴な教育理想論に留まっている。
率直に言えば、教育論壇としてはかなり初歩的でチープな議論未満。
少なくとも、まもなくやってくるだろう、と断言できる程の根拠はどこにもない。
希望的観測を未来予測と混同してない?
型だのナンダの、みんな違ってみんないいだの、ナンバーワンよりオンリーワンだの、世界に1つの花だの、共産主義のお花畑では競争がないらしいが、党幹部が喜び組なる綺麗どころを独占してるからな。
所詮は共産主義のお題目唱えても、椅子取りゲームはなくならない。世界の土地には中心と周縁があり、高台の南斜面に住みたい人が多く、北斜面の窪地には日は当たらない。日本の中心は東京であり、太平洋ベルト地帯が日本海側や北海道、沖縄を支配する構図は変わらない。プロジェクト型であろうが探求型であろうが、椅子取りゲーム。
正直、かなり古い世界観だと思うな。
共産主義だの椅子取りゲームだの、中心と周縁だの。言っていることは一見もっともらしいが、発想が完全に20世紀型。
競争はなくならない、序列は残る。これは当たり前。問題は、その競争の軸が変わっているという点。そこが完全に抜け落ちている。
「高台の南斜面が人気」という例えも象徴的だけど、今はむしろ、その常識自体が崩れている。
例えばタワマンの北向き。
従来は「日当たりが悪い=価値が低い」という固定観念があった。しかし実際に住む人間が増え、技術が進化すると、むしろ北向きの合理性が見えてくる。
タワマンは上に行くほど直射日光が暴力的になる。庇もなく、西日がダイレクトに刺さる。特に東西向きは昼間から遮光しないと厳しい。眺望が売りのタワマンで、カーテン閉めっぱなしは本末転倒。
一方で北向きは、順光で終日クリアな眺望。カーテン不要。外からは逆光になるのでプライバシー性も高い。更に最近はLow-Eガラス、断熱性能、空調性能の向上で寒さの問題もほぼ解消。
つまり、従来の価値観では劣後していた北向きが、合理性という観点ではむしろ優位になるケースがある。
にもかかわらず、南向き信仰は依然として強い。何故か。単に古い価値観が惰性で残っているから。
実際、タワマン初心者や投資目的の購入者ほど南向きに集中する。居住実態を伴わない「イメージ価値」で選んでいるから。
逆に言えば、こういう固定観念があるからこそ、北向きのアンダー20などがベストバイになる。ニーズ価格の最大化という意味では、むしろ逆張りが合理的になる。
これは教育にも同じことが言える。
プロジェクト型だろうが探究型だろうが椅子取りゲーム、というのは雑な一般化。競争は残るが、評価軸は多様化し、ニッチの価値が上がる。
オンリーワンは幻想だと言うが、今はむしろオンリーワンの価格が最大化される時代。標準化されたエリートより、特定分野に突出した人材の方が市場価値が高くなるケースも増えている。
つまり、椅子取りゲームは残るが、椅子の種類が増えている。しかも、その椅子の価値は一律ではない。
それを「結局は競争」と一言でまとめるのは、あまりにも粗い。
共産主義だの中心と周縁だの、古いフレームでしか物事を見ていないから、こういう変化が見えなくなる。
率直に言えば、「競争はなくならない」という当たり前の話を、深い洞察の様に語っているだけ。
かなり古臭いし、浅いと思う。
あと、段落分けもない、ソリッド感満載の一塊文章。そこに読む側への配慮も、ネットでの体裁という思想もない。
つまり、社会人として普通にコミュニケートしていれば身に付くリテラシーが欠如していることを、書き込みが一目瞭然、如実に語っている 笑




































