アートの才能を伸ばす女子教育
受験学力以外のもの
受験学力を上げるためにせっせと予備校通いして青春時代の貴重な時間を費やすことに意味があるんだろうか?
共通テストレベルで基準点が取れればもう受験勉強点取りレースはやめて、部活や運動、読書、趣味などに時間を使った方が将来有望な大人が出来るのではありませんか?
アメリカのようにAO入試で本人のやる気や将来性、適性見て入学させる方が良い人材選べるのでは・・・と思います。
現在、国で大学や中高の評価GPAをどうするのかの議論も行っている。
米国トップ大等では入学も大変だけど、卒業も大変という仕組み。
高等教育をしっかり学ぶ仕組みが他の国にはできるのに、日本企業はポテンシャル採用、大学名で足ギリのため、入学したら大学で学ぼうという学生のモチベーションが働かない仕組みの改善は不可欠。
大学だけでなく、中高から課題設定能力や課題解決能力、新しい価値を創出する創造力を培う教育が必要。
次期学習指導要領ではギフテッド人材には、小中学生が大学等の講義を受講できるようにする。
そのうち、大学は小学生から社会人までが学ぶ場所になるかもしれない。
社会人向けなら市民講座を利用したり、夜間大学も昔からありますよね。
学士入学もさまざまな大学で編入できます。
東大も各学部で実施されていますが、卒業生は 本学士 の扱いで他の大学卒業生とは別枠としている学部もあります。
全部が願望の寄せ集め。
課題設定能力、創造力、価値創出。。。どれも否定しないが、定義も評価軸も運用設計もないまま並べても意味はない。教育はスローガンでは回らない。
ギフテッドに大学講義を開くという話も同じ。選抜基準、履修管理、単位認定、年齢差による学習・生活環境の断絶、そのどれも整理されていない。大学の講義は前提知識と抽象度で設計されている以上、小学生をそのまま接続して機能する構造ではない。
結局、やるべきは既存の枠内での加速履修や個別最適化の精緻化。制度をいじらずにそのうち大学が全年齢化というのは、設計ゼロの空想に過ぎない。
ギフテッド教育は空想ではなく、国の審議会で議論し、中間報告での議論の方向性となっているもの。
小中学生がギフテッドと認められると高校、大学で学べるようになる、現実は小学生が小学校と大学にいくのは難しいのでオンライン授業等で高校や大学の授業をとる方式になるのでは。
しかも数学のギフテッドは数学のみ高校や大学の授業を受けられるようにするというもの。2030年の次期学習指導要領から実施。
話を盛り過ぎ。
審議会で触れられているのは事実でも、それは“方向性の検討”の段階に過ぎない。制度として確定しているわけでも、全国一律で回る設計ができているわけでもない。
実際に想定されているのは、せいぜい一部科目の先取りや外部プログラムの接続。いわば本籍は小中に置いたままの部分加速であって、「小学生が大学で学ぶ」が常態になる話ではない。
オンラインでつなげば解決、というのも単純化し過ぎ。単位認定や履修管理、発達段階の違いをどう扱うか、その整合が取れない限り制度にはならない。
方向としての議論と、現実に回る仕組み。この差を飛ばしている時点で、話が一段浮いている。
海外では小中学生が留年するのはよくあること。単位認定制度のようにすれば、年齢ごとにいっせいにあがっていく仕組みはなくなる。
日本のように出席日数のみでみんなあがっていく仕組みはギフテッド教育等の例外を増やしていくことでなくなっていくこともありうるだろう。
日本の場合、兵隊のレベルは高いが、下士官や将校が駄目なように、日本企業も管理職や経営層が世界と比べて著しく劣っているから世界の競争に勝てなくなっている。誰もが受けられる教育も大切だが、個性や尖った才能をのばす教育は日本の盛衰に関わることなのでもっと重要なこと。
ギフテッド教育やボーディングスクール等で、将来経営層や起業家になる人材を培う教育は重要。































