アートの才能を伸ばす女子教育
受験学力以外のもの
受験学力を上げるためにせっせと予備校通いして青春時代の貴重な時間を費やすことに意味があるんだろうか?
共通テストレベルで基準点が取れればもう受験勉強点取りレースはやめて、部活や運動、読書、趣味などに時間を使った方が将来有望な大人が出来るのではありませんか?
アメリカのようにAO入試で本人のやる気や将来性、適性見て入学させる方が良い人材選べるのでは・・・と思います。
「収益」の源泉となる「知財」は、関係機関との共働での成果であり、「収益」はいちど基金化してから、その用途を定めるべきものでしょう。そもそも、公共財の性格を持つ科学的知見からの「果実」を、局所に
集約させてしまえば、「立ち枯れ」は見やすい道理で、しかし活路は、大学帰属の特許利用の無償化あたりでしょう。
西千葉さんの指摘、筋が通っていますね。
収入が増えたという一点だけで研究力低下の原因を否定するのは、さすがに短絡的です。外部資金も病院収入も、それぞれ性質が違う。期間制約や使途制限が強いものも多く、基盤的経費の代替にはなりにくい。
だから、収入総額が増えているのに研究力が落ちる、という現象は普通に起こり得る。ここを「増えているのだから問題ない」と処理してしまうと、構造を見誤りますね。
知財の扱いについての話も含めて、単純な収支の話ではなく、資金の性格と流れをどう設計するかの問題だと思います。
大学の特許利用無償化なんてみんな中国人等に取られていくだけだよ。米国トップ大が年間5000億円程度のライセンス収入があるのは、米国トップ大には企業が使えるまともな特許があるということ。
大学は特許利用無償化で社会に還元するのではなく、ライセンス契約等を通じた収益で、さらに研究力をあげ、社会に還元する産業を創出するということでしょ。
西千葉さんの線に乗るなら、議論はもう少し解像度を上げた方がいいですね。
無償化か独占収益か、という二択に落としている時点で粗い。知財の価値は価格設定そのものではなく、配分設計と再投資の回路で決まります。無償でも死蔵すればゼロ、有償でも囲い込めば立ち枯れる。
米国トップ大のライセンス収入を引くのも表層的です。あれは特許単体の強さではなく、基盤費で回る長期研究、TLOの運用、起業エコシステムまで含めた総体の結果。収益の一点を切り出しても再現性はありません。
中国に取られる、という言い方も同じ。問題は国籍ではなく契約設計と利用条件。どこまで開放し、どこを縛り、どう回収して次の研究に戻すか。その制度設計の話を飛ばして、恐怖か楽観に振れるのは分析ではない。
結局、収益最大化か全面開放かではなく、公共財としての拡散と、持続のための回収をどう同時に成立させるか。そこに踏み込めない限り、大学改革の議論はスローガンの域を出ませんね。
そこ同意です。
ただ、産総研のような共同研究機構の意向を前提にするのは当然として、それを理由に設計を止めてしまうと何も動かない。実際には、機構側のガバナンスと大学側の裁量、その接点をどう切るかの話になりますね。
結局、「誰が握るか」ではなく「どう分けてどう回すか」。そこまで落とさないと、知財活用はいつまでも掛け声で終わります。
寄付金やその運用益が多い海外大はそれらの金で長期的な研究が十分にできている。他方、日本の大学は血税に頼りきり、研究者が国に金をくれ、運営費交付金を増やせというだけ。
こうした状況を大学は早急に脱却すべき、そのためには自立的な財務基盤を確立せよということ。大学法人化は大学自ら金を稼ぐ、自立を促すもの、いつまでも法人化前の公務員感覚でいられては困るんだよ。































