アートの才能を伸ばす女子教育
受験学力以外のもの
受験学力を上げるためにせっせと予備校通いして青春時代の貴重な時間を費やすことに意味があるんだろうか?
共通テストレベルで基準点が取れればもう受験勉強点取りレースはやめて、部活や運動、読書、趣味などに時間を使った方が将来有望な大人が出来るのではありませんか?
アメリカのようにAO入試で本人のやる気や将来性、適性見て入学させる方が良い人材選べるのでは・・・と思います。
典型的な、戦史を読んで「国民性論」に逃げるパターンですね。
ミッドウェーを、日本人は浪花節、アメリカ人は合理的、で片付け始めた瞬間に、分析は止まる。
実際には、工業生産力、補給能力、通信体系、意思決定構造、暗号運用、航空機開発速度、訓練サイクル、全部が複合していた。
しかも現在の戦争は、もはや精神論でも国家気質論でもなく、半導体・AI・衛星・サプライチェーン・金融制裁・情報優位で決まる世界。
1942年を引っ張り出して、日本人は戦争に向かない、だからAO入試、という飛躍は、論理ではなく感傷です。
さらに言えば、今後は歴史から直接学べる領域そのものが縮小していく。
技術変化の速度が速すぎて、過去の成功体験や戦訓が、そのまま未来に適用できない。
だから本当に必要なのは、戦史暗記でも精神論でもなく、「前例が役に立たない状況で意思決定できる能力」。
そこを見誤ると、歴史を学んでいるつもりで、ただ昔話に酔うだけになる。
きれいな理屈に見えるけれど、かなり単純化されていますね。
人間が変えるのは確かに教育を通じてです。
ただし現実には、教育だけで社会構造は変わりませんよ。
なぜなら、教育は「結果」ではなく「制度の一部」だから。
カリキュラムも評価も教員配置も、すべて予算、労働市場、地域格差、大学入試と連動している。
例えば探究学習を増やしても、入試が知識詰め込み型のままなら行動は変わらない。
逆に入試が変われば、学校現場は一気に変わる。
つまり主導権は教育そのものではなく、選抜と評価の仕組みにある。
さらに言えば、人間の価値観は教育だけでなく、家庭環境、SNS、職業経験、所得構造にも強く影響される。教育はその中の一要素でしかない。
教育万能論は一見前向きだけれど、現実の複雑さを削り落としている分だけ危ういですね。
東大はエリート選別装置として機能してるよ。
自民党ー財務省という日本の統治のあり方に疑念があるなら、立憲民主党でも中道でも立ち上げて、海外大学でも何でもやってチャレンジしたらいいじゃん?
私が若い頃から田原総一朗が朝まで生テレビ!とかやって口角泡飛ばして、官僚主導じゃダメだ!とか言ってたけど何も変わってないよ?
確かに官僚から一代目が政治家になる一世の吉田茂だ、池田勇人だ、の時代ではなくなったが、代わりに官僚政治家の孫が政治家になるようになったな。麻生太郎とか岸田文雄とか石破茂とか安倍晋三とか、全部官僚政治家の孫や息子な。
野党?中道のおがじゅんと国民の玉木は政治家になる前は何やってたって?
もうこうなったら、新しいAI政治家の新党みらいか?開成桜蔭東大の夫婦だって?
これ、AIとか東大の話をしているようで、実質は「権力の世襲構造の雑な羅列」になっていますね。
まず東大の位置づけは、エリート選別装置というより「行政・法曹・研究の基礎供給装置」に近い。
ここを混同すると議論が全部ズレる。
さらに、AIで東大数学が解けるという話も典型的な短絡で、これは「問題解決」と「研究能力」を同一視している誤りです。
AIは既存問題の解法生成は得意でも、問題設定そのものや評価軸の設計は依然として人間依存。
そして一番ズレているのは政治の話への接続です。
官僚主導や世襲政治の問題と、東大の教育機能を同列に語るのは論点の混線。
前者は制度設計の問題、後者は人材供給の話でレイヤーが違う。
東大がどうこうではなく、問題は「意思決定層がどこから再生産されているか」であって、大学単体では制御できない。
結局ここで起きているのは、AI・教育・政治を全部エリート批判という一つの箱に押し込んでいるだけですね。
意思決定の選別しか意味がない。
人事権者が決めるだけとずーっと言ってる。
キミらの東大の機能やら教育論やら何のための議論なのやら。
東大だろうが海外大学だろうが高卒だろうが、総理や有権者や株主や社長が人事指名して世の中が回る限り、イスラム学でも四書五経でもAIでも何でも同じこと。
血統と学歴を上回るものは人類史上ない。
現代日本でも血筋と学歴。
何を教えるべきとか全く意味ない議論。
返信じゃないってことは独り言かな?
それともヘタレ過ぎて直で言えないとか?
ま。いいや。
これ、言っているようでいて実はかなり単純化しすぎています。
まず「人事権者が全て決める」というのは事実の一部であって、全体ではありません。
現実の意思決定は、人事権ではなく「選択肢の生成段階」でほぼ決まっています。
どの候補がテーブルに乗るか、どの情報が評価されるか、どの問題設定が許されるか。
この上流工程は、人事権者単体では制御できない。
次に血統と学歴の話ですが、これも歴史的にはかなり限定的な観察です。
確かに閉鎖的社会では再生産されやすいが、産業構造が複雑化すると、能力・ネットワーク・専門性の混合が支配的になります。
現代の企業や国家運営は、単純な指名ゲームではなく、多層的な評価フィルターの上に成立しています。
株主、規制、メディア、市場、専門家コミュニティが同時に作用するため、「一元的な指名」で説明するのは無理があります。
さらに重要なのは、教育の役割を軽視すると、そもそも人事権者が参照する“選別の言語体系”が劣化する点です。
何をもって優秀とするかは教育と知識体系に依存しています。
つまり教育は結果を直接決めるものではないが、意思決定の前提条件を作る。
血統と学歴で全てが決まるというのは、歴史の一部を拡大しすぎた見方で、現代構造の説明としては粗いです。
返信していない訳だし議論には、ハナからそもそもならないよね。































