アートの才能を伸ばす女子教育
受験学力以外のもの
受験学力を上げるためにせっせと予備校通いして青春時代の貴重な時間を費やすことに意味があるんだろうか?
共通テストレベルで基準点が取れればもう受験勉強点取りレースはやめて、部活や運動、読書、趣味などに時間を使った方が将来有望な大人が出来るのではありませんか?
アメリカのようにAO入試で本人のやる気や将来性、適性見て入学させる方が良い人材選べるのでは・・・と思います。
保護者や生徒は何十万人も何百万人もいるから色んなことを考える自由はあるが、高市や高市政権を支える人間の考えで政府は運営され、所管官庁の考えで各業界は運営されるから、保護者や生徒の考えは関係ない。
例えば製薬業界や薬剤師の在り方を決めるのは厚労省だし、建設や不動産なら国交省。
自民党の人事のセンスは東大中心。総裁選五人衆や閣僚、党役員の顔ぶれを見るべき。
何万もの保護者や子どもが、御三家等の伝統校で学ぶ従来の教育より、渋幕、渋渋、広尾等の新興校を選択することで中高の序列は変わってきた。
こうした新興校の教育に共感する人が劇的に増えてきたという背景がある。
過去は学力ごとに学校を選ぶ時代、つまり今の偏差値ごとに学校を選ぶ時代だった。学力が高い人は偏差値高い学校に進学した。
近年は御三家志願者数減少、難関校志願者数減少という状況が続いている。報道では難関校に挑戦しない中堅層が増えてきた。と言われてきた。
しかし、実際は、御三家などの伝統校のような従来の学力偏重教育ではなく、グローバル教育、探究的な学び、STEAM教育、医進、リベラルアーツなど、どのような教育を学びたいか、どのような教育的アプローチが良いのか等で選択する保護者が劇的に増えてきたため、こうした新興校を選ぶ人が増え、中堅校、つまり新興校が人気となってきた。
今では渋幕、渋渋、広尾、市川等が上位層となり、それに続いて、新興校の広尾小石川、三田国際、開智日本橋などが上昇してきた。
そもそも、その「偏差値教育から探究教育へ」みたいな整理自体がかなり古いんだよな。
現実には、上位層ほど昔から「偏差値だけ」で学校を選んでいない。自由度、人的ネットワーク、海外接続、研究環境、校風、共学化、帰国生環境、進学実績、その全部を見ている。
渋幕や渋渋、広尾が伸びたのも、「探究が凄いから」みたいな単純な話ではない。共学人気、国際化、医進需要、SNS時代のブランド形成、海外大演出、都市部回帰、その複合結果。
しかも最近の教育界隈って、「STEAM」「探究」「グローバル」を唱えれば最先端みたいな空気が強いけれど、私は正直、STEAM教育ですら既に賞味期限切れに近いと思っている。
結局あれは、「STEMにリベラルアーツも加えましょう」という程度の話で、知識の寄せ集めとバランス感覚に終始している側面が強い。
でも今、AIによって知識そのものが急速に自明化している。
GPT、Claude、Grokが、人間より高速に検索し、整理し、記述し、会話し始めている時代に、「知識をたくさん持っている人材」を作るだけでは、もう差別化にならない。
本当に問われ始めているのは、「意味を創出できるか」。
既存知識をどう再構成し、異なる視点を交差させ、新しい問いを立てられるか。
つまり必要なのは、「情報処理能力」より「構造的想像力」。
AIは論理生成には強い。でも基本的には、意図なき言語再生産の延長でもある。
だから人間側に残る価値は、「なぜ」「誰に」「何のために」を重ねながら、多層的な意味を与えること。
さらに言えば、教育の本質も、「知識演習」から「知の対話」へ変わっていく。
今後重要になるのは、正解を覚える力ではなく、正解のない問いを持続的に扱える力。
他者と摩擦を起こしながら、問いを深め続ける力。
ところが、日本の教育論壇はまだ、「偏差値か探究か」「御三家か新興校か」みたいな、2000年代的な二元論をやっている。
視座が低すぎるんだよ。
教育学やら何かのゴタクは関係ないよ。
権力者が人事握ってるから。
高市(及び黒幕)が閣僚決めて、閣僚が官僚人事決めて、官僚が所管業界の人事に影響する。
探究型教育がいいことになりました、保護者や子供が選んでます、で銀行の頭取が探究型人材を役員に昇進させるか?
しないよ。銀行の役員にふさわしい、すなわち、学歴や見識や見た目や話し方がまともな人間を部長や支店長から選ぶし、課長や中間管理職を選ぶのも、新人採用も同じ。
採用担当が採用者リストを人事部長に持って行く時、前例を少し現代風に味付けするだけ。グローバルとか探究とか少しは考えるかもしらんが、基本は東京一旧帝早慶MARCHの比率、ガクチカ、コネなどの主要指標だよ。































