アートの才能を伸ばす女子教育
受験学力以外のもの
受験学力を上げるためにせっせと予備校通いして青春時代の貴重な時間を費やすことに意味があるんだろうか?
共通テストレベルで基準点が取れればもう受験勉強点取りレースはやめて、部活や運動、読書、趣味などに時間を使った方が将来有望な大人が出来るのではありませんか?
アメリカのようにAO入試で本人のやる気や将来性、適性見て入学させる方が良い人材選べるのでは・・・と思います。
教育や研究開発に投資することは学力を高める、今の22兆円投資から50兆円投資が実現すればさらに良い。
人材供給、育成にも力を注ぐべき。
まずは教育を知識偏重教育の従来教育を脱却し、新しい価値を創造する人材を育てる教育に転換すべき。
保護者は今まで自分が学んできた教育は正しかったのか、子どもに自分が学んだ従来の教育を従来の教育を学ばせたいか
というと違うよな
という保護者が増えたからこそ、グローバル教育、探究的な学び、STEAM教育、リベラルアーツなどの特色を有する私学共学新興校が台頭してきた。
また、その雑な「旧教育 vs 新教育」二元論ですか、という感じですね。
まず、今の保護者が従来教育に違和感を持っている部分は確かにある。
でも、それは単純に「探究!STEAM!グローバル!」へ感動しているからではない。
少子化
共学志向
大学入試多様化
英語需要
海外大学演出
SNS時代のブランド形成
都市回帰
校則疲れ
昭和的管理教育への反発
そういう複数要因が絡み合っている。
ところが、この手の議論はすぐ、
古い教育=悪
新興校=未来
みたいな浅い物語へ持っていく。
しかも最近の教育界隈って、「探究」「STEAM」「リベラルアーツ」を唱えれば最先端っぽく見える空気が強いけれど、実態は玉石混交です。
看板だけ立派で、中身は単なる総合学習の焼き直しみたいなケースも大量にある。
さらに根本的な話をすると、AI時代に入りつつある今、「知識を幅広くやる」程度では既に差別化にならなくなっている。
人間側に求められ始めているのは、単なる教科横断ではなく、
既存知識を再構成する力
意味を創出する力
問いを立て続ける力
異なる価値観を衝突させながら対話する力
なんですよ。
ところが日本の教育論壇は、未だに
偏差値教育か
探究教育か
みたいな、2000年代の教育改革テンプレを反復している。
視座が古いんですよね。
社会課題を見極め、その課題解決に取り組む人材は社会に最も求められる能力、人材だ。
社会は常に変化している。AIが進化した今、知識等の習得はオンライン授業等で十分であり、学校の役割は社会課題を見極め、その解決に取り組むファシリテーターとしての役割に変化している。
ザビエルは何をした人か等の答のある問題を正確に早く解く教育ではなく、ザビエルのように、あなたが他国であることを普及させるには何をすべきか、等思考力に働きかけることを通じて、真の知識等を身につけつつ、思考力を鍛える教育。
こうしたアプローチや自ら問いをたて、その課題を解決する取り組みについて、議論する等、従来の教育を変えていく試みが不可欠だ。
AIで東大の問題をほぼ満点とれる時代に、理3の化け物、最高得点者よりはるかに高い得点をとるAIと同じ能力を人間に競わせても意味がなくなっている。
人間はAIにできないことを学ぶ必要がある。































