今年入学した高1生が語る青春リアル
受験学力以外のもの
受験学力を上げるためにせっせと予備校通いして青春時代の貴重な時間を費やすことに意味があるんだろうか?
共通テストレベルで基準点が取れればもう受験勉強点取りレースはやめて、部活や運動、読書、趣味などに時間を使った方が将来有望な大人が出来るのではありませんか?
アメリカのようにAO入試で本人のやる気や将来性、適性見て入学させる方が良い人材選べるのでは・・・と思います。
消されるね 笑
毒を抜いて再掲しましょうか。
この議論は、日本の受験をどう見るかという話だけれど、前提がかなり単純化されていると思う。
受験勉強とそれ以外の経験がトレードオフという見方自体が、まず現実と少し違う。
日本の大学入試の特徴は、評価基準が極めて透明な点にある。
出題範囲は決まっている。過去問も公開されている。採点基準もある程度想像できる。つまり努力の方向がはっきりしている。
これは実はかなり珍しい制度。
たとえば就職は違う。
企業ごとに評価基準は非公開。面接官の主観も入る。何が評価されるのか完全には見えない。
その意味で、日本の大学受験は人生の中で最もフェアに近い競争の1つ。
努力と結果の対応関係がかなり明確だから。
だから受験勉強に意味があるかという問いは、少しズレている。
あれは単なる知識テストというより、長期間の自己管理能力のテストでもある。
毎日勉強する。
誘惑を管理する。
長期目標を維持する。
こういう能力は、社会に出てからむしろ本体になる。
もう1つ。
アメリカ型AOを理想のように言う人が多いけれど、実際はかなり別の問題を抱えている。
アメリカの大学入試はエッセイ、課外活動、推薦状、ボランティアなどを総合評価する。
一見すると人物評価に見える。
ただ現実には、この仕組みは家庭環境の影響を強く受ける。
裕福な家庭は
海外ボランティア
研究インターン
NPO活動
スポーツ実績
こういう履歴を簡単に作れる。
つまりAOは「人間力評価」ではなく「家庭資本評価」になりやすい。
実際、アメリカのトップ大学は長年その批判を受けてきた。
一方、日本の試験型入試はシンプル。
紙と鉛筆と知識。
家庭の文化資本の影響がゼロとは言わないけれど、AOよりは遥かに小さい。
そしてもう1つ大事な点。
受験勉強をした人間が、必ずしも他の経験をしていないわけではない。
むしろ上位校ほど、部活をやりながら受験も強い人間が普通にいる。
結局、問題は制度より個人の時間の使い方。
共通テスト程度で勉強をやめて趣味に時間を使う。
それも一つの人生。
ただ、難関大学に入るための勉強を通して得るものが無意味かと言われると、それもかなり違うと思う。
むしろ日本の受験は、世界的に見るとかなりシンプルで公平な選抜システム。
完全ではないけれど、人物評価という名のブラックボックスよりは、点数という可視化されたルールで競う方が、社会としてはまだ健全な面も多いと思う。
日本の大学の選抜方式は、答のある問題を解くことができるだけのAIで代替される能力の高低を競っているにすぎないので受験勉強に大きな意義はない。
答のない課題を設定し、課題解決に向けた独創的な取組をする人材、価値を創出する人材等を選抜する必要がある。
日本の大学は研究力や大学発スタートアップ人材の輩出力など、世界トップ大学と比較してまったく劣っている。
東大をはじめとした難関大学が輩出した日本の人材が世界で負け続けるのは、中高時代を答のある問題を解くことができるだけ対策に多くの時間を無駄にするからだ。
大きな志と新たな価値を創造する人材、課題解決に優れた人材を海外トップ大学は選抜していくなど、各大学がそれぞれアドミッションポリシーに学生像を提示し、学生像に適合する人材を選抜していくことが不可欠。
公平性が大事なのではない。日本の成長を牽引する人材を選抜することが必要だ。
> 中高時代を答のある問題を解くことができるだけ対策に多くの時間を無駄にするからだ。
中等教育の到達点は問題解決できることだからそれで問題はない。答えのない問題を解けるようにするのは高等教育の到達点だから、大学で身に付ければいい。でも日本人は大学で勉強しないからそれができる人が少ない。したがって、改革すべきは大学の教育であって、高校の教育や大学入試ではない。
大学改革は不可欠だが、大学で一生懸命に学ぼうというモチベーションは学生にはない。
なぜなら企業は大学名でフィルターにかけて足ギリした上で、日本の場合終身雇用が原則なのでコミュ力などの人間性で選抜するからだ。
海外のように、学位で出世コースが決まるとか、大学の成績や専門能力、即戦力等重視しない。海外企業のように、使えないと解雇できる仕組みではないので、企業は大学で学んだことを評価するわけではない。
なので、大学は改革すべきだが、大企業のサラリーマンではなく、起業家兼研究者等を育成すべき。
生まれてから18年も答のある問題を解くことができるだけの学びに費やしてきた人間が、大学になって答のない課題を設定し、解決のための独創的な取組や価値を創造できる能力を培う人になると考えるのは能天気。そんな人はほとんどいない。
大学は改革すべきなのは入試選抜方法だけではなく、受動的な講義型式の学びや体系的な知識を身につけるだけの学び等、現状のままではまったく駄目なので、根本的に見直すべきことが山積している。
一番日本の研究者や教職員の悪いところは、海外トップ大学などの大学経営や大学システム等をまったく知らないこと。同じ組織で育って日本国内しか知らないので、世界と研究や教育、人材や考え方などを含め、何も知らなすぎること。




































