将来の選択肢が広がる学部合同説明会
受験する学校選び
以前は偏差値表や大学合格実績を頼りにできるだけ偏差値や大学合格実績の良い難関校を目指すご家庭が多かったのですが、現在はお子さんの性格や目指す将来像に適した学校を目指すご家庭が顕著になっています。
探究型の学び、グローバル教育、STEAM教育、リベラルアーツ等の教育内容
面倒見が良く、イベントが多くて楽しそうな学校等の教育環境等で選ぶご家庭が増えています。
社会や大学受験等が大きく変化する中、どのような学校を受験するのが良いのか、情報共有しませんか。
まあ良いんじゃないですか?
伝統校が下がるというワードだけで興奮して、おかわり三杯いける方々がいるようですから、気持ちよくなって貰えば良いんじゃないでしょうか。
目くじら立てる内容でもないですし、リアルに微塵も影響はないお話です。
世界では教育目標にウェルビーイングを掲げた探究教育への流れがある。
一般選抜入試がなくなれば偏差値はなくなり、総合型選抜入試が増えればマッチング入試や選抜となっていく。
大学側がアドミッションポリシーに基づく学生像を掲げ、それに相応しいかどうかで選抜する。
大学ごとにアドミッションポリシーが異なれば、様々な才能や能力に応じた特色ある大学となっていく。そういう時代がすぐそこまで近づいている。
>世界では教育目標にウェルビーイングを掲げた探究教育への流れがある。
どこの国の、どの教育政策を指しているのか、一切具体性がありません。国名も、政策名も、統計も出さずに、世界では と書く時点で、検証不能な印象論です。
>一般選抜入試がなくなれば偏差値はなくなり
これは根本的な誤りです。
偏差値は特定の入試制度の産物ではなく、母集団の中での相対的な位置を示す統計的な指標に過ぎません。一般選抜がなくなっても、共通テストや模試という形で受験者集団の得点分布が存在する限り、偏差値という概念そのものは消えません。実際、アメリカは大部分がホリスティック(総合的)選考ですが、SATやACTという標準化テストの得点分布とスコアによる序列は今も厳然と存在します。入試制度が変われば偏差値が消えるという因果関係自体が成立していません。
>総合型選抜入試が増えればマッチング入試や選抜となっていく。
これも日本の現状と矛盾します。
東大や京大の学校推薦型選抜(総合型選抜に近い枠組み)ですら、共通テストでおよそ8割の得点が出願・合格の実質的な基準になっています。つまり難関大学ほど、総合型選抜の内部にも数値化された学力基準がしっかり組み込まれているのが実態です。「総合型選抜が増えれば数値による選抜から解放される」という前提そのものが、トップ校の入試設計と矛盾しています。
>大学側がアドミッションポリシーに基づく学生像を掲げ、それに相応しいかどうかで選抜する。
これは未来の予測として書かれていますが、実際にはすでに現在進行形で行われている制度です。日本のすべての国公私立大学は、現行の大学設置基準ですでにアドミッションポリシーの策定と公表を義務付けられています。これから来る変化 として語っている時点で、現状認識が古いか、間違っています。
>大学ごとにアドミッションポリシーが異なれば、様々な才能や能力に応じた特色ある大学となっていく。そういう時代がすぐそこまで近づいている。
この理想論、まさにこの掲示板で先日話題になった記事と真っ向から矛盾します。総合型選抜・推薦入試で入学した学生の学力不足が深刻化し、基礎学力を補うための塾通いや補習が急増しているという実態が報じられています。多様な才能を選抜する制度が理想通りに機能しているなら、この種の補習需要は生まれないはずです。理想と現実の間には、この投稿が想定しているよりずっと大きな溝があります。
つまりこの投稿、具体性のない世界情勢の話、統計的概念への理解不足、日本の難関大学の実態との矛盾、すでに現行制度であることを未来として語る誤り、理想論と現実の乖離、五重に薄い内容が積み重なっています。
下げしろがあるのは伝統校だけなので、下がるのは伝統校のみ、上がるのもまあ新興校のみと言うことだよね。言葉の定義からして。
新興校も今より下がりうると言うかもしれないけど、下がりうるだけの伝統があると言う意味で伝統校だから下がりうるんだよ。伝統校の上げしろについても新興性があったと言うこと。
だからと言って、新しいもののうち古いものを超えられるものはほとんどないけどね。
大学序列は創立からほとんど変わってないが、中学受験の序列も特に上位は東大紛争で入試が中止された1969年頃から50年来ほとんど変わってない。
国立と御三家、早慶附属、御三家に準じる駒東とか。
御三家の下につくのが桐蔭、巣鴨から聖光や渋幕に変わったって言うかもしれないけど、そりゃそのぐらいは変わるでしょ。
トランプの大富豪とかモノポリーと同じで、いったん勝つと武器も独占するからひっくり返しにくいんだよ。
そうそう。
ソーナンス!
トップランナーという言葉自体、90年代から2000年代にかけて経産省や自治体の技術基準(トップランナー方式)や、TBSだっけ?NHK?人気番組名として広まった表現で、正直かなり時代がかっていますよね。概念としても、もう今の時代には合っていません。
トップランナーという言葉には一本のトラックの上で他人と競って先頭を走るという、単線的な競争のイメージが染み付いています。
が、本来おそらく言いたいのは「他人の評価やものさしから離れて、自分の幸福を基準に選ぶ」という話の筈。それなのに結局、トップランナーを目指すという、周囲との比較を前提にした表現に着地してしまっている。
これは書いてる本人が気づかないまま、否定したい筈の価値観(競争・序列・トップであること)に立ち戻ってしまっている典型例かと。
本当に周囲の目を気にしない生き方を語るなら、そもそもトップという順位づけの発想自体が要らない筈なんですよね。
トップって
言った時点で
気にしてる
ナノ川柳でした。
スレ立ててもスルーされちゃうんだけど、子供の才能が未知数の状態で、勉強して大企業就職か資格取得させる以外にどんなルートがあんだ?って投げても、誰もいい答えないよな。
芸術、芸能、スポーツの類は1万人のうち10人も食えるヤツいないだろ?コーチとかトレーナーで細細とやれるかもしらんが






























