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強気に出て失敗した例

【794665】
スレッド作成者: 小六母 (ID:ecDyzr0Zu8U)
2007年 12月 19日 14:02

よく「第一志望は80パーセントの確率の学校・・なんてそんな弱気じゃだめ」だの
「目標は高く持つこと。でないと本人のモチベーションが下がる一方。」「目標の学校以外は進学しない。くらいの意思をもたないとだめ。塾の先生に第一志望考え直すように言われても本人の意思を貫き通しその強い意志と頑張りで合格しました。諦めなくて良かった」といったプラス思考で結果成功したという書き込みの多いことに毎年この時期気が付きます。

この時期にマイナススレはいけないとは思うのですが反対にその強気が災い失敗することってありますよね。。。その場合子供は第二志望以下の学校に進学することなりますが、スムーズに現実を受け止められるのでしょうか。

私はどちらかといえば「強気」ではありません。併願校を含め自分の偏差値−10くらいまでかんがえているのでおさらく全落ちは無いと思ってますが「強気思考」の友人からは「そんな安全策を子供に伝えると絶対にだめ・・・第一志望以外は考えさせない」と言っています。
その洗脳をそのまま受けた子供は親と全く同じ考えで今の時点でまだまだ合格点の出ていない過去問を夜中まで掛かったやっているとのこと。
こういう子が中学入試に向いてるんだとつくづく思っています。

確かにすごいと感じますしその「意志の強さ」で成功することもあるでしょう。
でももしものとき一体この親子はどうなるのだろう。
実際そんな場合の「その後」を見てきた方いらっしゃいますか。

【805275】 投稿者: 繰り返し   (ID:DSvRbGsxyV2)
投稿日時:2008年 01月 09日 05:59

違うって。
現実にチャレンジさせられるのは子供なのに、
親がまるで自分のチャレンジであるかのように考えて、
子供も親の結論に納得するとか、チャレンジが子供のためになるとか、
安易に考えていることに皆警鐘を鳴らしているんだって。
現実は必ずしも(この、「必ずしも」が大事)親の思うとおり
そんなにきれいには進まないよって。
たとえチャレンジと呼ぼうが、プラス思考と呼ぼうが、無謀と呼ぼうが、
言葉でどうきれいに取り繕っても、その構造は全く変わりません。
チャレンジ派はロマンチストだから、言葉のマジックに弱いねえ。

【805335】 投稿者: 去年受験   (ID:CmeVDsiqFpk)
投稿日時:2008年 01月 09日 09:04

我が家のレベルは受験者総数からすると、少数派かもしれない。けれど、左程まれなケースではないはず。


受験者増に比して、中学受け入れ人数は左程増えていないのは事実。ただし、今まで定員割れの学校が定員に近い入学になったり、クラス数を増やしてでも定員以上の入学者を受け入れている。つま入学者数は完全に増えている。
それとともに、我が家レベルの受験者も確実に増えている。


だから我が家のケースは特異ケースとはいえない。


しかも、私はこのレベルの受験ならばすべてがチャレンジ、と書きたかったのではなく、受験に対する考え方が大事だといいたかった。


子供は順応しているのに、親ばかりが思わぬ悪い結果と引きずることの醜さ。合格できるはず、と思う親のあさましさ。


もっと、気楽に考えればよいのに。


子は親の所有物でもロボットでもない。中受の結果は全面的に親の責任でもない。

【805340】 投稿者: ウチの息子   (ID:xYYYNjsQpsI)
投稿日時:2008年 01月 09日 09:11

6年になってから模試偏差が安定しないまま本番突入です。
従って、受験校も下は40台から上は70までと、慣らし、抑え、適正、チャレンジ、雲の上と用意しました。全て、子供と親の希望を擦り合わせ、納得した学校です。雲の上の学校も、模試の結果よりも過去問が思いがけずとれることがわかった上で受験校に加えることにしました。
先日、雲の上校について、「○○にとって落ちても恥ずかしくない学校だから楽しんで受けておいで」と言ったところ、「ここはたぶん一番緊張すると思うけど、今まで一生懸命やってきたんだから、”ここを受けた”という経験がしたいから受けるんだ、万が一受かったとしても、入ったあと大変そうだから行かないかもしれない」と言われました。そこまで言われては止められないですね。
チャレンジ受験も無謀受験も何も親が尻たたいてさせる受験だけではないのです。


【805500】 投稿者: 全勝一家   (ID:bYYkQue1NHI)
投稿日時:2008年 01月 09日 12:20

我が家の4人家族は、運転免許の試験を除き
試験という試験、小学校受験から夫の国家試験まで全勝です。
私は、不合格通知という物を目にした事がありません。
下の子の中受では、お仏壇の前に5枚の合格通知を並べて
ご先祖様に報告しました。
どうぞ、神様、今後も不合格通知なぞ目にすることのない
祝福された一家でいさせて下さい。
(こんな事書くと天罰が下るかもしれないな)

【805528】 投稿者: コンバト   (ID:3eMqi6Fv/m.)
投稿日時:2008年 01月 09日 12:56

>>どうもやっぱり平行線だな。自分の特異な経験を
>>書き並べても、それはその意味でしかないと思うよ。




べつに平行線でかまわないのでは?
議論するつもりも、議論をまとめるつもりもない、
という考えもあってよいと思います。
(たんに書き散らかしているだけ、もありだということです)
私にとっては、貴方の言うところの「特異な経験」こそ、現実味が感じられ、
読んでいて糧になります。





>>大半の親は、子供を世にいう偏差値を基準とした学校の序列化に
>>従って学校選びを行い、受験を行う。




偏差値による序列がまったく気にならない、という人は珍しいでしょうね。
ただ、偏差値による序列をとても気にしている層とは、やはり上位20校程度が
視野に入る人たちこそ、とも感じます。

【805872】 投稿者: 受験とチャレンジ   (ID:Uve3eAzDVys)
投稿日時:2008年 01月 09日 20:07

私は受験におけるチャレンジという言葉とその意味しているところを
もうちょっときちんと考えたほうがよいのではと思っている。
いったい受験におけるチャレンジとは何なんだろう。


自分が志望している或いは目標としていて、偏差値や塾の学校別クラス編成でも
入れてもらえないような自分より上の学力を要求する学校の入学試験を
受けに行く。これがチャレンジなんだろうか。いや、チャンレンジとは
中学受験を決心し、志望学校を決めて、その学校の受験に向けて
準備を始めた日、多分数年前の日からずーと続いているのではないだろうか。
受験の準備、塾に行ったりクラス編成の結果に一喜一憂したり、四谷の模試を受けたり、
自分の弱点を一生懸命克服しようとしたり、それらが皆チャレンジなんだ。
今までがチャレンジの連続なんだ。
入学試験を受けに行くということは、
この今までのチャレンジの集大成であり、自分が自分に与えられたチャレンジに
きちんと答えて来たかを試す、或いはあらわにする最後の、
しかし重要なチャレンジの一つに過ぎないのはないかな。あらゆることに言えることだが、最後の
「審判の日」の結果は、それに至る過程ですでに殆ど決まっている。
「審判の日」はその努力の結実を確認する日でなければ、本来いけないのでは
ないかな。


問題は志望する学校の偏差値に遠く及ばす、その学校の受験日に
もっと適正に合格できそうな学校の試験があり、その学校の受験を
スキップすると、後で志望校等が不合格だったときに中学進学の
選択に重要な支障をきたすときにどう対処するかだと思う。
ここにいたって、客観的事実、偏差値や四谷の模試の結果が
思わしくないのに、規定路線としての志望校受験を敢行する、
これがチャレンジかな。最後にひと踏ん張りすれば、今までのチャンレンジに
対する努力不足、自分の至らなさがチャラになり、要領よく
結果オーライとうまくいく、それでよいのかな。そういう例もあるとは
思うが、大半はそんなにうまくいかず、世の中甘くないと知るんでは
ないかな。


チャレンジする精神と猪突猛進とはやっぱり明確に違う。受験で
後悔したくないのは誰でも思うことだけど、自分の実力と志望校が
要求する学力に大きな差があるときは目出度く合格できたまれなケースを
除けばどんな選択をしても悔いは残ると思う。あの時、受験校を変更していれば
今より上位校にいけたなんか、多くの人が後知恵で感じることだ。


子供の実力と志望校が要求する学力に大きな差があるときに親として
どうすればよいのか。子供が望むからそのまま突っ込ませるのも
確かに一つの選択である。最終的にそれが自爆行為となっても、
そう予感できても止められないものは止めにくい。
それは重々よくわかる。しかし、
翻って、今まで子供%A

【805875】 投稿者: 受験とチャレンジ   (ID:Uve3eAzDVys)
投稿日時:2008年 01月 09日 20:14

前の投稿が途中で切れたようなので、その続きを掲載します。
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子供の実力と志望校が要求する学力に大きな差があるときに親として
どうすればよいのか。子供が望むからそのまま突っ込ませるのも
確かに一つの選択である。最終的にそれが自爆行為となっても、
そう予感できても止められないものは止めにくい。
それは重々よくわかる。しかし、
翻って、今まで子供が行ってきた数数のチャレンジとその努力を
自爆の道ずれにしないためにも、ここで踏ん張って現実を直視し、
志望校を変更するというのも、悲しいが勇気ある決断だと思う。
そうできることは親にとって真のチャレンジではないか、私はそう思う。


人は可能性がある限り、夢をあきらめるのは難しい。
最後は合格発表の掲示板の上で自分の子供番号がないことを発見するという、可能性が現実に集約する
瞬間に直面するまで、気持ちを断ち切ることは難しい。ただ、それは多くの場合、
単なる未練なのだ。子供にはこの辺りを十分理解するには
経験が乏しいだろう。そのまま前に進むのも、ここは一歩下がって、
次善の策を講じるのも、親にとって本当のチャンレンジだ。子供の将来を
見据えて、じっくりと考える「真実の瞬間」だ。昔、「十五の春は泣かせない」という言葉があったが、
少しでも多く「十二の春を泣かせない」ために、
最後の重要な決断を行うのは親の責任だと思う。

【805902】 投稿者: 泣かせたくない   (ID:onsDPvUuD7k)
投稿日時:2008年 01月 09日 20:45

我が家は、到底偏差値では追いつけそうもない学校を親子で第一志望と決めました。
確かに過去問では、ひょっとすると受かるんじゃない?という感触なのですが
そうは甘くないだろうことも十分承知です。


でも、せっかく親子で(決して子どもだけではない)頑張ってきた3年間。
最後であきらめることは、かなり戦意喪失です。
だから、第一志望はそのまま複数回ある試験もそのまま出願します。


でもでも、それでも、ぎりぎりの選択で、より可能性のある学校を受験するかもしれない。
そうです。ほんとはまだ迷いがあるんです。


だから、すべての日程でW出願です。
最後の最後の決断は、親がします。


受かれば、子どもの成果。
だめなら、親の責任です。

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