在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
灘高の成績上位半分の進学先
灘高 2005年卒業生の進学先
理系165人中 上位80人(成績は高3駿台全国模試)
01 現 東大理三 21 現 東大理三 41 浪 京大医医 61 現 京都府医
02 現 東大理三 22 現 東大理一 42 現 京大医医 62 浪 京大医医
03 現 東大理三 23 現 京大医医 43 現 京大医医 63 現 京都府医
04 現 東大理三 24 現 東大理一 44 現 東大理一 64 浪 東大理三
05 現 東大理三 25 現 京大医医 45 現 東大理一 65 現 東大理一
06 現 京大医医 26 現 京大医医 46 現 京大医医 66 現 東大理一
07 現 東大理三 27 現 東大理三 47 現 京大医医 67 現 神戸大医
08 現 東大理三 28 現 東大理三 48 現 阪大医医 68 現 大阪市医
09 現 東大理三 29 現 阪大医医 49 現 東大理一 69 現 東大理二
10 現 東大理三 30 現 京大医医 50 浪 東大理三 70 現 京都大医
11 現 東大理三 31 現 京大医医 51 現 東大理二 71 現 東大理一
12 現 京大医医 32 現 京大医医 52 現 東大理一 72 浪 京都府医
13 現 京大医医 33 現 阪大医医 53 現 東大理一 73 現 東大理二
14 現 東大理三 34 現 東大理二 54 現 京大医医 74 浪 東大理一
15 現 東大理三 35 現 東大理一 55 浪 阪大医医 75 浪 東北大医
16 現 東大理三 36 現 東大理一 56 浪 京大医医 76 現 東大理一
17 現 京大医医 37 浪 京大医医 57 現 京大医医 77 浪 京大医医
18 現 東大理三 38 現 阪大医医 58 現 京大医医 78 浪 阪大医医
19 現 東大理三 39 現 阪大医医 59 現 阪大医医 79 現 東大理一
20 現 京大医医 40 現 東大理一 60 現 京大薬学 80 現 東大理一
見事に東大と医学部ですね。
画一的教育の弊害でしょうか?
遠藤周作や野依さんが出た頃の灘と今の灘は違う
という考えが一般にあるんじゃないか?
つまり当時は県立中学(神戸一中?)や公立高校の滑り止め
もしくは同じ程度の受験勉強で入れる学校で今のような
熾烈な受験塾通いは必要なかったのでは?
都立高校が学校群で潰される直前灘が日比谷を一人上回った
のは1967年?ぐらいだったかな。そのころから灘は
明確に東大にターゲットを絞った連中が入りだしたのでは。
それまでは地元の自営業者やぼんぼんの進学先で
進学先が東大だけなんてことはなく、それこそ多彩な人材を
出して狐狸庵遠藤周作も生まれたわけだ。
イメージとしては関東の成城や成蹊の感じだったのでは
ないかな?
灘を痛烈に批判しているたちは今の「東大オンリー
、理3」か「国立医学部」に偏っている事を価値観の一元化
として批判しているんでしょう。
遠藤周作自身も「灘は進学校なんかになって良さが失われた」
みたいなことをインタビューで話していた記憶があるが・・・。
野依さんも塾廃止論者だし、灘に入るとき3年間も塾通いして
夏期講習だ特訓だなんて全くやってないんだろう。
今の灘中受験生がやっている事を見たら
「こんなことやってるから大学以後伸びない」と言うんじゃ
ないかな?
ところでノーベル賞後灘にきて講演会とかありましたか?
他の学校では偉い人が出ると後輩に話してくれと学校が
頼むんだけど。もしあったらどんな話をしたか教えて下さい。
野依先生が今の灘生にどんな話をするのかとても興味が
あります。
高校受験偏差値も日本トップ、そして進学先大学や学部も、かれこれここ何十年・・・
しかし客観的数値などでもって外から決めてこられるのはここまでですね。
好きな道 さんへ:
-------------------------------------------------------
> 多才(彩)な人材・良き校風 さんへ:
> -------------------------------------------------------
> > あ、それと器用貧乏さんは、小さな日本の小さな灘一校で
> > ノーベル賞の野依さんとノーベル賞候補だった遠藤周作さんがおられても
> > ご不満だった方ですから。
> どっちも東大ではないですが。
> このスレで多く批判されているのは、ただ偏差値が一番高い東大(理3)を目指して受験勉強に邁進することでしょう。
> 上記のような人は、自分の好きな道へ進んで大成された人ですね。素晴らしいことです。
受験秀才とは?さんへ:
> 灘を痛烈に批判してるたちは今の「東大オンリー、理3」か「国立医学部」に
偏っていることを価値観の一元化として批判しているんでしょう。
これも今まで何度か出てきた繰り返しの話ですね。
東大(理3)であれ、その他の進路であれ
受験勉強を経て進む灘生の皆さんお一人お一人を
傍から、あなたは好きな道に進んだのではないでしょうと
どうして決めつけられるんでしょうか。
灘高の皆さん、何ものかに強いられて嫌々ながら選択しているんでしょうか?
灘生さん方の進路については、これまでに
部外者ですけど・・・さん【960619】や
灘のご父母らしい はぁさん【970619】がおっしゃっていましたが
私も全くそのとおりであると拝見しておりました。
(今一度、ここで引用させていただきたいほどです)
この学校の空気を毎日吸っているだけで学ぶべきことを学んでいた
といった自由な学校の雰囲気の中で、お一人お一人の意思によるのであって
それでよいわけです。
同じ大学、同じ学部、目指す仲間同士教えあい、刺激しあったりしながら、
あるいは仲間と毛色の違った道を進むのも
お一人お一人の自由であっていいことですね。
野依先生は東大の大学院や人の育て方について厳しい
意見をもっているようだ。灘生も奮起して先輩の
期待にこたえないといけませんね。
日本には研究の評価ができる機関がないとよく聞きます。よい評価をしていくために、社会の側が何を求めるのかが大事だと思いますがいかがでしょうか。
野依|そのとおりで、若い人はすっきりするからといって、論文のサイテーションを評価の基準にしたがるが、そんなものに意味はないのです。むしろ社会が何を求めているかが重要であって、例えば社会が東京大学にナンバーワンであることを望んでいるならば、東京大学のミッションはハーバード大学と同じ位置に立つことであります。それが医学部ならば、人を救うことがミッションであり、それぞれの機関が与えられたミッションに対してきちんと仕事をしているか、ということが重要になるのです。
―――では大学院のミッションとは何でしょうか。
野依|大学院はインターナショナルトップでなければなりません。東京大学の理学部や工学部の化学は、ハーバードやスタンフォード大学と比べたら、はなはだおそまつ、相撲でいったら三役と十両くらい違います。ここが社会の付託に応えていないところなのです。教育のシステムのまずさや、学生の意欲、能力、関心のなさなど要因は考えられますが、しかしうち(名古屋大学野依研究室)で学んだ学生は、そこで身につけた専門性について本質的に僕と同じ能力があるはずです。学生の能力を引き出すこと、それが大学院のミッションなのです。
関西出身なので、高校の頃から灘高には敬意を持っていましたが、
ここで多くの方が語られていることには同意します。
男親からすると自分の幼年・少年の頃を思い起こしても、男の子にとって少年期には、幅広い知識を詰め込むよりも、いろんなことに幅広く興味を引き出してやる(意欲する気持ちを持たせる)ことが大事だと思いますね。
加熱する中学受験のリスク / SAFETY JAPAN [親野智可等氏] / 日経BP社
〜その2〜
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/da/28/
〜その1〜
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/da/27/
受験秀才とは? さんへ:
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> 野依さんも塾廃止論者だし、灘に入るとき3年間も塾通いして
> 夏期講習だ特訓だなんて全くやってないんだろう。
そこまで断言できる厚顔無恥さが、実に羨ましい。
地元(六甲)の公立小ではなく、わざわざ兵庫師範学校付属小(今の神戸大学付属住吉小、学校の位置は当時から同じ)に通われたのですから、親が教育熱心だったということは確実です。
当時は、住吉駅や御影駅からあの急な坂を、歩いて登るしかなかったのですから‥‥(地元の人間でないと判らんだろうなぁ、この話は)
適当な事は書かないようにさんへ
教育再生会議で「塾廃止論」を唱えた野依先生が自分自身
灘中に入るために長時間の塾通いするとは考えられないのですが?
下記は「ノーベル科学部門受賞者9人の素顔」という読売新聞
関係の記事ですがこれを読んでも現在の灘受験生とは随分
違う子供時代を過ごしているとは思いませんか?
野依先生は昭和13年産まれですから灘中入学は昭和25年ごろ
ですね。この頃の神戸の塾事情は地元の貴方が良くご存知と
思いますので野依先生がどういう勉強をして灘中に入ったのか
教えてください。
自伝やインタビューで私が読み落としている記事があるかも
しれません。貴方の手持ちの資料を開示して野依先生が
今の灘中受験者の通うような塾に行っていた根拠を
お示しください。 よろしくお願いします。
野依博士は、1938年9月3日に兵庫県で生まれました。父親はある化学企業の研究者でした。後に、弟が2人、妹が1人生まれました。幼いころからとても頭が良く、小学校は神戸大学附属住吉小学校に入学しました。体が大きかった野依博士は、野山をかけまわるガキ大将でもありました。神戸の豊かな自然は生活空間の一部。山の中を探検したり、川で泳いだり、チャンバラごっこをしたり、毎日が自然との遭遇でした。遊び仲間からは「ノブタ」というあだ名が付けられ、親分のように慕われていました。




































