女子美の中高大連携授業
津田とマーチ
津田塾とマーチ
大学の印象に関する質問です。マーチと津田、どちらを受験するか悩んでいます。現代の日本社会における津田塾に対する評価はどのようなものでしょうか。
母は津田はマーチと同等と言い、私もそう考えていたのですが、ネットを見ると同じくマーチと同じ位のレベルと言う方と、マーチとニッコマの間と言う方と様々で、いまいちよくわかりません。
実際に津田塾に縁の深い方とお話しすると、出身高校も偏差値70前後ある秀才ばかりのうえ、マーチと両方受かってどちらにするか悩んだ結果津田、という方が多いのですが、数字上ではマーチの下位学部程度の偏差値しかないのが不思議です。
私が国際関係学や英語に加えて女性学に関心を抱いていることと、その伝統や自立した校風、落ち着いた雰囲気、さらには偏差値だけではない、人間的に「よく出来た」学生があそこには多いような気がし、津田塾は私にとって非常に理想的な大学なのですが、もし評価がマーチより一段下がるのであれば、津田ではなくマーチを志望校に入れることも考えています。
そこでお聞きしたいのですが、マーチと津田塾に対する世間の(特に就職活動における)評価はどれほど異なりますか?
また、マーチは早慶に行けなかった妥協案としての印象が強い反面、津田塾は女子大没落が叫ばれている今だからこそ、逆説的に考えて敢えて入学してくる学生が多いではないか、という考えもあります。
しかしある方に「昔は確かに社会進出に意欲的な学生が多かったかも知れないが、今はむしろ、敢えて女子大に通う学生は高学歴男と結婚するためのステータスを手に入れたい、という人が多い気がする」と言われ...津田塾にそういうイメージは全くないのですが、実際のところどうなのでしょうか。
女子校出身の方がよく女子校は楽、ジェンダーロールに縛られなくて楽しい、と言っているのと、様々な大学における女子学生に対する犯罪行為をここ最近よく耳にし、そういった異性絡みの問題から離れて勉強に集中したいという思いが強かったのですが、社会に出た時のことを考えると、男女が入り混じる共学の方が世渡りのコツを学べるでしょうか......
長くなりましたが、マーチと津田塾どちらを私は志望校に据えるべきでしょうか。よければ回答宜しくお願い致します
少なくとも『明治大学』当局は、警察に確認したうえで、として正式にHPにそれにつき「薬の使用はなかった」旨を記している。同様に私自身も、本件につき新宿警察が刑事事件として立件したとの話を耳にした覚えはない。
また、私にそれを指摘された先の2名の女性はなぜ、そうして一転して沈黙を決め込んでいるのだろうか。仮に誤解であったのならば、明治大学(ならびに当該学生ら)に謝罪の言葉の一つもあってよいではないか。人として、ありえない態度であると思われる。そうしたところに、私はこの国の「女性(一般)の甘え」を感じて仕方がないのである。
そもそも日本は、仕事よりも豊かな消費生活や子どもに良い学校が評価されやすい社会だといえる。そうした日本の女性にとり人生の目標は、仕事で活躍する以上に「豊かな消費生活を送る」というものだろう。だからこそ、恋愛優先の欧米とは異なり、結婚相手の男性に経済力をまず求めるのであろう(パラサイト志向による家庭内従属化)。
また、そうして仕事を苦労して続けている女性よりも、仕事をしていなくても豊かな生活をして、子どもを良い学校に通わせている女性をより高く評価する社会でもある。
その意味で『津田塾大学』のような学風の女子大は、そもそもこの国の伝統的風土に適合しない要素を有していたのかもしれない。他方で「良妻賢母」教育を建学の精神とした沿革有する『日本女子大学』において、本件のような事件を惹起してしまったとは何たる皮肉なことであろうか。
日本女子大学は良妻賢母の建学の精神では
ありませんが。
女性が一生をかけて向上し発展していく生涯教育。
女性の解放と地位向上の改革のために大学を作ったので
この学校では妻として~という精神はありませんね。
今年受験なので学校案内を取り寄せたところ、書いてありました。
「私の知る限り」でのこと。知らないことは記せない、当然ながら。
また、その当時は本当に優れた学生たちー能力のみならず、学びの姿勢においてーであったと思う。ともに活動して、それを痛感した。
また、そうした彼女たちの口からは、たしかに「一橋」なる言葉を耳にした覚えはなかった。おそらく、そのような存在に依拠する発想すら乏しかったのではないか、当時の彼女たちには。そこが、あなたの世代との大きな相違点であろう。
さらに、それと同時期に進行したと思われる津田の入試難易度急低下現象との連関も興味深い。
卵が先か、鶏が先か。いずれにせよ、かつての面影はない。
現代的解釈によれば、そのような表現になるというだけ。今時、「良妻賢母」なるアクセント強い文言を躊躇なく用いる学校がどこにあろうか。
もとより学校設立当時の社会的背景ならびに設立に関わった人士らの顔ぶれをみれば、およそ本質的に当時の女子教育の主流であった東洋的「良妻賢母」教育の範疇を超えるものはあり得なかった。それは、当時の女子教育の限界でもあったのである。
それに比べれば、津田や東京女子の沿革にまだ相対的な進歩性ー欧米流の思想の混入ーの萌芽を垣間見ることができる。もっとも、だからどうというものでもないが。
いずれにせよ、本件に関してあたかも一方的に明治の学生らのみが「加害者」であるというのならば、さすがにそれは失当に過ぎるということである。日本女子の学生らにも、多大の過失があったと言わざるをえまい。そのことは、大学当局も自認しているはずである。




































