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【5651937】津田とマーチ

投稿者: Ai   (ID:uN9l.DA6UHg) 投稿日時:2019年 11月 27日 02:45

津田塾とマーチ
大学の印象に関する質問です。マーチと津田、どちらを受験するか悩んでいます。現代の日本社会における津田塾に対する評価はどのようなものでしょうか。
母は津田はマーチと同等と言い、私もそう考えていたのですが、ネットを見ると同じくマーチと同じ位のレベルと言う方と、マーチとニッコマの間と言う方と様々で、いまいちよくわかりません。
実際に津田塾に縁の深い方とお話しすると、出身高校も偏差値70前後ある秀才ばかりのうえ、マーチと両方受かってどちらにするか悩んだ結果津田、という方が多いのですが、数字上ではマーチの下位学部程度の偏差値しかないのが不思議です。

私が国際関係学や英語に加えて女性学に関心を抱いていることと、その伝統や自立した校風、落ち着いた雰囲気、さらには偏差値だけではない、人間的に「よく出来た」学生があそこには多いような気がし、津田塾は私にとって非常に理想的な大学なのですが、もし評価がマーチより一段下がるのであれば、津田ではなくマーチを志望校に入れることも考えています。
そこでお聞きしたいのですが、マーチと津田塾に対する世間の(特に就職活動における)評価はどれほど異なりますか?

また、マーチは早慶に行けなかった妥協案としての印象が強い反面、津田塾は女子大没落が叫ばれている今だからこそ、逆説的に考えて敢えて入学してくる学生が多いではないか、という考えもあります。
しかしある方に「昔は確かに社会進出に意欲的な学生が多かったかも知れないが、今はむしろ、敢えて女子大に通う学生は高学歴男と結婚するためのステータスを手に入れたい、という人が多い気がする」と言われ...津田塾にそういうイメージは全くないのですが、実際のところどうなのでしょうか。
女子校出身の方がよく女子校は楽、ジェンダーロールに縛られなくて楽しい、と言っているのと、様々な大学における女子学生に対する犯罪行為をここ最近よく耳にし、そういった異性絡みの問題から離れて勉強に集中したいという思いが強かったのですが、社会に出た時のことを考えると、男女が入り混じる共学の方が世渡りのコツを学べるでしょうか......

長くなりましたが、マーチと津田塾どちらを私は志望校に据えるべきでしょうか。よければ回答宜しくお願い致します

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  1. 【6124114】 投稿者: その出典はなにかね  (ID:avWAoWPUVRE) 投稿日時:2020年 12月 14日 16:05

    史的評価に当該人物の言動は無視できないが、他方で形式的・外形的言辞にとらわれずその文脈や当時の社会的背景を勘案したうえで解釈を行う必要がある。

    そこで、あなたは当時のそうした成瀬の発言が、現在の意味におけるそれと同じ内容的次元にあると素朴にお考えなのかな。失礼ながら、選挙権すら戦後になりやっと付与されたに過ぎない日本女性の置かれていた低い地位にかんがみ、当時の要人に「良妻賢母」教育を超える発想がそこに存したのだろうか。むしろそれは、あくまで当時の「常識(社会通念)」の範囲内のものであったと解釈するほうが自然ではあるまいか。

    仮に仰せの通りであるなら、当時の有力者たちはなにゆえ米国帰りの津田梅子に対しあそこまで冷たい対応をなしたのだろうか。すなわちそれは、日本語を忘れた津田の個人的事情にとどまらない何か(当時の日本の保守的な女子教育とは異質の)を、津田の学校が世間に与えていたからにほかなるまい。現在の実践女子大の創設者である下田歌子などは、その急先鋒だったのではないか。

  2. 【6124184】 投稿者: ??  (ID:ojPS7lwK0pg) 投稿日時:2020年 12月 14日 17:11

    職業婦人という単語は昔からありますね
    女手ひとつで、とかも常套句になってますし野口英世の時代くらいからじゃない?

  3. 【6124249】 投稿者: ここまで  (ID:rInOnkmm7zs) 投稿日時:2020年 12月 14日 18:22

    ここまでのレスを全く読んでないが、「マーチと津田塾」とは大雑把だなあ、と。
    Marchも5大学すべて違う個性だろうに。
    最近はやりたいことは何かを第一に考えて偏差値に縛られていない学生が多いし、それが本来あるべき姿ではないかな。

    あなたのやりたいことはなんですか?


    (まさか偏差値・難易度の不毛な背比べ・・・・!?)

  4. 【6124558】 投稿者: 通りすがり  (ID:zwrugWmYsxY) 投稿日時:2020年 12月 14日 22:48

    スレ主さんの冒頭文しか読んでおりませんが、
    多磨駅の東京外語大の併願校をお探しなのだと思いました。
    多摩コンソーシアムの一角、それで津田なのでは?

    立地も、新座や三鷹のICU, 高田馬場は考慮中だと推測。
    池袋は人混みがコロナで困る…、
    というところでは? 
    違ったら失礼しました。

  5. 【6124671】 投稿者: 問題は、その言葉の質(内容)にある  (ID:nk4yvuyQnvc) 投稿日時:2020年 12月 15日 02:20

    わが国での「職業婦人」なる言葉の起源については不知。だが問題は、たとえそれが漱石の時代当時に由来するものであったにしても、はたしてそれがどのような時代背景のもとで、かつどのような文脈において語られてきたのか、ということである。

    あなたはそれを肯定的(積極的意味合い)でとらえておいでのように思われる。しかし、明治の時代においては、それは職業を自主的に選択するごく少数の先覚的な女性たちをむしろ揶揄する意図で使用されていた、との可能性も有りうるのである。

    あのフランスにおいてさえ、女性への参政権付与は第二次大戦後であった。それ以前は日本同様に、「女性は家庭に入り、出産や子育てに励むべし」との価値観が長く維持されていたとの経緯を有する。その結果1960年代後半になり同国に社会党政権が誕生、フェミニズムなどが本格化するまで、-カトリックの影響もありーフランス女性は避妊や離婚さえ認められていなかったのであった。

    そうした外国との比較において、東洋的な儒教的思想による封建的女性観・家族観が濃厚である1901年に「日本女子大学校」が旧制女子専門学校として設立されたとしても、そこにどれだけの積極的な今日的意義を認めることができようか。先の成瀬による言葉も、そうした時代背景を踏まえたうえで解釈されるべきものである。

    すなわち、当時の女性のおかれていた状況に憂慮し、明治日本が諸外国に対していくに女性にも教養が求められ、それが当時の男性を中心とした家族体制を支えていくに重要だと成瀬は考えたものと解釈できる。そこには女性自身の封建主義からの解放との視点は見受けられず、あくまで健全な家族を建設するために、との限界があったと考えられる。それは当時の天皇を中心とした中央集権国家体制構築のため、必要なイデオロギーでもあったのである。

    そうした意味で私は、先に日本女子大学をして「『良妻賢母』教育」であった、と指摘した。それは、同学がHP上にて主観的に語る沿革とは異なる評価である。

  6. 【6126729】 投稿者: 何を言いたいのか理解出来ない  (ID:yju3Sv/TU6U) 投稿日時:2020年 12月 16日 23:28

    だから何?

    現在の視点で、その時代の問題点を憂い、出来る範囲のことを精一杯努力した先人を、批評する意味がわかりません。

    子どもが以前『ハックルベリー・フィン』を時代背景を考慮しないで読んで、奴隷や黒人への意識に驚き、これが名作?と驚いていたことを思い出した。

  7. 【6126818】 投稿者: この程度でさえわからないのなら、  (ID:k.AQXExCi9s) 投稿日時:2020年 12月 17日 02:16

    もはや二の句が継げない。自らの不勉強を棚に上げるのはおよしなさい。

    どうやらあなたは、歴史的視点というものがお分かりでないようだ。学生時代、お勉強は苦手だったのかな。いずれにせよ、明治時代における成瀬の当該言動は、歴史的には相対的(relatif)で偶発的(contingeant)な性格なものに過ぎなかったということである。したがって、当時の時代性という限界から何ら免れるものではなかったといえる。

    また、この機会に歴史という考え方を知るのだったなら、高名な英国の外交官だったE.H.Carrの名著『歴史とは何か』(岩波新書)にまず目を通してほしい。あなたにでもお分かりになれるほど、歴史というものが理解しやすく記されている。

    さらに日本女子大には、日本近現代史専攻の高名な研究者である成田氏がいたはずだ。あるいは彼の著書でも手に取ってごらんになればよし。お勉強してね。

  8. 【6126820】 投稿者: もっとわかりやすくいえば、  (ID:k.AQXExCi9s) 投稿日時:2020年 12月 17日 02:57

    明治時代という社会的・経済的背景からして、旧制専門学校たる日本女子大学校を設けた当時の成瀬の発想にも「女性の権利性」を考察するとの積極的意義は見出すことはできないということ。

    むしろ成瀬は、あくまで当時の統治者たる天皇を中心とした中央集権国家(ある意味の疑似家族)を構成する基礎的要素(単位)たる「よき家族」構築のために女子教育を志したとみるほうが自然である。少なくともそこに、津田梅子の有していたような米国的女性観の残滓すらうかがうことはできない。

    ちなみに『主婦マリーのしたこと』というフランス映画をご存じか。周知のようにフランスでは、第1期帝政期の1810年刑法典以来、人工妊娠中絶は堕胎罪によって処罰されてきた。その結果、社会に「闇堕胎」が横行した。この映画の主人公は、そのために死刑(1944年連合国軍パリ解放によるヴィシー政権終焉まで、この国の死刑は「ギロチン」であった)に処せられた不幸な女性の物語である。この映画でも知るフランスの当時の女性の置かれていた地位との比較で、そうした成瀬の言動の真意を比較的に考察してみるのも興味深い。

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