女子美の中高大連携授業
実娘の介護
60代の娘です。
80代の元気だった母が要介護2で退院してきました。
リハビリ病院を経由する知恵もなく、誰も教えてくれなかったので、ヨロヨロの母を連れて帰りました。
母は実娘と一緒に住むことが嬉しかったようです。
夫とは卒コン中で夫からの生活費+パート代で気ままな1人暮らしから生活が一転。パートはやめました。減収分は母の収入から補填してもらいましたが、
お金の問題でなくニ人きりでマンションに閉じ込められる日々はあまりに辛かった。
ケアマネさんが心配して介護保険サービスの人を出入りさせてくれて、息抜きして、と言ってくれますが、娘と同居でのサービスは一回1時間です。
認知症でもなくトイレも一人でいけるけれど、一人の留守番は寂しいと作りおいた昼食はたべません。
一人でいると1日家でボーっとしているので認知が下がる。
熱中症とコロナで家から出たがらなくなって、ますます引きこもる。
同居していない家族持ちの親族が遊びに来た日だけは気分が上がるのかしゃっきりするので、誰も私の苦しさを理解してくれない。
こんな楽な老人との同居のどこが辛いのか?と言われ、どんどん、私のメンタルが追い込まれていきました。
パニックになって自分は認知症かもしれないから、医者へ行きたいと泣かれる辛さ
散歩になんとか連れ出しても途中で動けなくなってしまい見ず知らずの親切な方に
助け起こしてもらったり。
夜中に警報を押してしまい刑事さんが何人もきたり。
世間にはもっと過酷な
介護をされている人もいらっしゃるので、私が弱いんです。
見かねた親族が母をホームへ入れました。
あんなに同居で、生活を奪われて苦しくて辛かったのに、
私がもっと頑張れば、優しくしてあげられたら、
もっと余裕のある生活をしていたら
受け止めてあげられたのではないのか、
とかこの1週間泣き暮らしています。
明らかにメンタル病んでいるのでクリニックにも通って、新しい仕事もみつけました。
でも、二人きりがあんなに辛かったのに、一人になると涙が止まらないのです。
最近、ネットで
介護うつ
という存在を知りました。
正式な病名ではないそうですが、介護の世界ではよくあるものらしく
厚労省の統計も存在していました。
母と同居に至った過程
自分の置かれている生活環境から無理だと判断したのに親族グループLINEで押し切られたこと
私自身が独居なので1人で母を抱えたこと
母がデイサービスやショートステイに行きたがらず、また、私も無理に行かせることに罪悪感を持ったこと
介護費用は母から出していましたが経理担当は同居していない親族で、
介護サービスを受けるたびに了承が必要だったこと、
たまに精算をかねて訪ねてくる親族が、母を心配するあまり理想の介護を語ること
これが全て介護うつのリスク因子だったのだと思い当たりました。
だから、事情を知っている包括さんやケアマネさん、訪問看護師さんが、母とともの私のメンタルにきを配ってくださっていたのだと、今更ですが思い当たりました。
私が母と同居をしたのは今年の梅の季節ですから、リスク因子が揃うと短期でも発症するものなのですね。
自分から、おかしい、クリニックへ受診しないと、と思い至るときはすでに初期ではないそうなので、
ゆっくり治したいと思います。
こういう病気があって、ポピュラーで、自分が弱いからではない、と知ることができて、少し前進した気分です。
ありがとうございます、書き込んでくださって。
今現在、そして今後、
介護をめぐって自分の無力感にさいなまれ、自分を責めて追い詰める人々はいるでしょう。やがて介護うつを発症するかも知れません。
そのような人々がスレ主様の勇気あるスレ立てと、今日の書き込みによって救われる日が来ます。
感謝しています。
誤爆ですか?
ここは介護板ですが。
そもそも私は未婚ではないし、社会人の息子がいます。
息子は医療関係者なので最初の頃は親族LINEにも参加していました。
かなり的確なアドバイスをしてくれていたのですが、上の世代の価値観に押し切られてLINEからはぬけてしまいました。
介護はともかく、コロナ禍でも高齢の母が的確な医療と手術の機会を得られたのは息子のおかげだと思っています。
スレ主様
介護うつ、、あります。
あんなに大変な日々で緊張もあり
それでも目の前の事をこなしていかなくてはならないから介護中は無我夢中
ショートやディがあっても休まらない
その間に溜っていたものなどを
片付けなくてはならない
やっと離れられても時間が経過すると
次は後悔の様なものが押し寄せてきました。
もっと出来たのではないか?
それでも私は当時、ショートメールで
その時の気持を記録していました。
それがあるから今はこれで良かった、と自分に言い聞かせています。
過ぎれば当時大変だった事なんて忘れてしまう時もあります。
でもショートメールを読み返すと当時の私はもう限定スレスレでした。
血が繋がっていたから尚更です。
今も時々落ち込む事もありますが
とりあえず自分が元気でいることが
1番だと思えるまでになりました。
このスレできっと支えられている方も
多いと感じています。
そのぐらい血の繋がりのある介護は
割り切れない。不思議です。
お辛い経験を書き込みいただきありがとうございます。
文章にすると気持ちを整理したり振り返ったりできますよね。
人は本来、辛い経験を忘却できるようにできているそうです。
私も、もはや、最も辛く苦しかった時の感情をそのまま再現することはできなくなりました。
ただただ自分がパニックになっていたという記憶と、その時は、なぜ私だけが
たった1人で母を背負っているのだろう、という、誰かではなく運命を呪った記憶だけが残っています。
今思うと一緒にいた母はどれだけ悲しかっただろう、と後悔で涙が出ます。
この後悔だけは過去形にならないのです。
一方で、もう一度同じ環境だったら、やはりあれ以上は出来なかったんだ、
と思えるようにもなりました。
仰るとおり、血の繋がりって、時には優しく、時には残酷だと思っています。
勇気がなくてまだホームへ母に会いに行けないでいます。
まだ寒い季節に要介護2で足を引き摺るようにして健常者が2分で歩ける距離の美容院へ私と一緒に15分かけてたどり着いた母。
有料ホームで24時間介護と看護で、なんと要支援1まで戻ったそうです。
今さらわかりませんが、訪問医が母の認知の低下と思われたものは、ひょっとしたら老人性うつだったのかも?
と思ってしまいました。この2つは鑑別が難しいそうです。
コロナで、入院中一切面会出来ず、せん妄の酷かった母をさらにリハビリ病院へという選択は遡って考えても可哀想で選べなかったと思いますが、そこで時間を稼いで同居せずにプロが常駐する施設という選択肢
(医療従事者の私の息子の提案ですが、家族がいるのに!親を捨てるのか!と上の世代に一蹴されました。息子はその考えは施設で働いてる方、利用している方に失礼すぎる、とLINEを抜けてしまいました)
もじつは合理的で、
誰もうつになるまで苦しまなかったのでは、と思ってしまいます。
その辛い経験があったから母も入所の踏ん切りがついたとも慰めていただきますが、代償があまりに大きい。
母は元気になりましたが、私は親族LINEで押し切られたり、その後も理想の介護論を親族に振りかざされた影響のほうが強く残り過呼吸の症状がぬけません。
介護は怖いですね。
ここで何度も何度も反芻して私のやり方は悪くなかったんだと承認してもらいたいように読めました。
自分にとって都合のいい情報だけ出すとその辺がどんどん浮き彫りになってきますよね。
自分の兄弟は親族としか言えないのに、味方である「医療従事者の息子」の意見は伝家の宝刀のように何回も出しますね。
ハッキリと医師の息子と書かないのは何故ですか?
親族の事を遠回しに書いても、自分中心のいいことなってしまうのはもう避けられないでしょう。
ずっとこれ読んでて、やはり語る人が違えば、全く違う話になってしまうんだろうなと思いました。
それをブログでなく批判の多い掲示板で書くのはあなたにとってもリスキーだしここで誰かに慰めてもらいたいのですか?
ここは様々な立場の人がその立場から色々書くことが多いので、望むようなレスがつかない事も多いのでその代償は更に更に大きくなってしまいますよ。
ご指摘ありがとうございます。
ですが、事実誤認がありますね。
繰り返し親族とは誰かお尋ねの方でしょうか?
このスレも長くなりましたが、私が子供の話題は殆ど出していません。
大局的には関係ないからで、ださざるを得なかったのは、最近いらした荒らしの対策です。
無視してもかまわなかったのですが、あえて書きました。
基本的に、人は神様ではないので、主観でしか語れません。
それはしかたのないことだと思います。
ですから、すくなくとも私は違う立場の人を貶めないように書いております。
ゆるくゆるく書いているので、読んでくださった方が逆に不透明な部分でご自身を投影なさって想像で補われているのではないですか?
失礼ですが、あの様も例外ではないですよね。
私にとって不都合なご意見も、その限りだとおもっています。




































