女子美の中高大連携授業
小学校受験って損なのでは?
都内で子育てをしております。
子供の将来を見据えて、小学校受験をさせる価値はあるのでしょうか。
私立小学校で付属中学が難関なのは早慶だけですよね。
子供が小学生になって中学受験したいと言えば、させてやりたいです。
だったら、名門公立小学校で中学受験した方が良のかなと。
3S1Kから第六中学に進んで、高校で早慶目指しても良いのかなと。
金銭面の不安はありません。私立小学校はコストに見合う価値がありますか?
幅広くご意見お聞かせ下さい。
ちなみに、親の趣味なら共学にしたいな、お嬢様すぎるのは嫌だなと思っております。
「~をやったから、どうなった」とか、「~をやらなかったから、どうなった(ならなかった)」とか、そういう考え方が間違いなのだと思いますよ。
公文式でもそろばんでも、中学受験に有利と言われることもありますが、実際には、できる子は、やっていてもやっていなくてもできるので。
そういうケースを沢山経験してきました。
何なら、ピアノとかスイミングしかしていないような子が、5年生からやっと塾に通っても中学受験で無双したりします。
結局、地頭。それ以外ありません。
もちろん、インプットは必要なので、受験等にあたって、最低限の勉強は必要です。
しかし、地頭がいい子が10分で理解できる内容を、地頭が悪い子は1時間かけても理解できませんから、努力で差を埋めることはできません。
しかも、地頭のいい子は勉強が楽しくなってしまったりするので、地頭の悪い子以上に勉強に集中したりします。
ですから、その差が何百倍にも開いてしまうのです。
学習環境を良くするのは、親の自己満足のようなもので、子供さえ優秀ならチープな環境でも、いくらでも上昇していきます。
たしかにおっしゃってることにも一理あるんだけど、その地頭良い子層を一般的な勉強法とかの議論にいれる意味あるのだろうか?
生まれつき凄い子はいるよね。私も一人だけ知ってる、それまで公文すら行っていなかったのに大手の入塾テストで特待生扱いで授業料ゼロなのでぜひ通ってくださいと言われたけど、力試しで入塾希望ではなかったし週2回通わないといけないのがちょっとしんどいかもと伝えたら、週1だけと通塾でも良いのでと食い下がられた子。今は理3出のお医者様です。
その子は中受したけど、中受しなくても理3出のお医者様だろうね。
ただ、初めて入塾した4ねんの時点で偏差値38とかだったのにその後、頑張って徐々に伸びて難関中に入った子も知ってる。
中受させる大多数の親のマインドって自分の子どもの能力が「普通」だからこその「中受」選択な場合も多いので、「普通」の子たちの中で、なんとか努力して少しでも上を目指さないと中受の意味がないとおもうのよ。
~をやったから、どうなった」とか、「~をやらなかったから、どうなった(ならなかった)」とか、逆にやるべきじゃない??
子ども「普通」なのに、どうせ地頭だからって試行錯誤もせず例えば塾も行かず中受した場合、せめて能力通りのところに入れるかな?入れないよね?学力はやればのびるから、自分より地頭が良くないけど努力してきた層に抜かされて、自分の地頭レベル以下のとこしか入れないよね?中受する意味なくなっちゃう。
親の自己満いいじゃないですが、子を産み落とすのだってそもそも親の自己満です。
MIT先生の地頭に対する定義は、ここではなされていない。ただ、はんはんさんは、MIT先生のブログから遺伝と家庭環境による比較的小さい頃に備わる能力と理解しているね。
地頭とは、定義の難しい用語。一般には、その人本来の頭の良さであり、論理的思考力が中心になるのかな。学術的に得た知識は対象とはならない。
地頭とは、知性や教養の到達点の「高さ」だと解釈しています。
これは生まれつきだと思います。
生まれつき、100レベルの地頭があったら、勉強等をしてインプットしていくことで、100の高さに到達できる可能性があるでしょう。
ただし、努力が少なければ100までは到達しません。
ですから、努力が不必要ということはありません。
でも、環境を良くしても、80の地頭を100にすることはできないと思います。
生まれつきですから。
また、80の地頭だと、それに知性や教養が近づいてくると、近づきにくくなるでしょう。勉強しても伸び悩む状況が発生するのは、生まれつきの到達点に近づいているからだと思います。
100の地頭だと、80は通過点に過ぎないので、そのぐらいで伸び悩みにはなりません。
結局、地頭がいい子と悪い子は、大きく違うと思います。
うちは子供が二人いて、地頭が全然違っていました(父親似と母親似の違いだったかもしれません)。
その差は圧倒的でした。
難問でも難しい概念でも瞬時に理解してしまう子と、かみ砕いて丁寧に教えてもそこまでの理解には到達できず難問は決して解けない子と。
絶望したこともありますが、それもそれぞれの個性と諦めました。
ですから、教育環境をどれだけ良くしても、結局は地頭次第、というのはとても納得できる話なのです。
ところで、勉強に関してと、スポーツに関しては二人はまったく逆でした。
スポーツにも地頭(地体?)のようなものがあって、生まれつき全然能力が違うのだと思います。
もちろん、「地体」もトレーニングしなければ伸びません。それは地頭と一緒だと思います。
つまり、それぞれの子には向き不向きがあるのだと思います。
親の務めとは、その適性を敏感に察知し、子供の得意なところを伸ばしていくことでしょう。
地頭がそこそこの子に、勉強ばかりの人生を歩ませるのはかわいそうです。
そもそも地頭なるものを測定できるわけでもなく、また例えば地頭100なら開成いける80なら頑張っても無理、などが分かるわけでもないのだから、地頭うんぬん話しても意味なくないですか?
「お兄ちゃんに比べて理解が早いね」位の比較はできるでしょうけど。
因みに流れとしては就学前の幼児教育の話しだったよね??6歳までに自分子の地頭が60点なのか80点なのか100点なのかはわからないから、いろいろ教育環境整えようという親子心は当たり前ではないかい?
あと難しいのは、努力が足りなかった地頭レベル100なんだけど結果80点の人と努力家で最大限の力を出した結果80点の人って見分けれるん?
《親の務めとは、その適性を敏感に察知し、子供の得意なところを伸ばしていくことでしょう。 地頭がそこそこの子に、勉強ばかりの人生を歩ませるのはかわいそうです。》
には共感しかないんだけど、『勉強ばかり』の人生が全くイメージできないんですが、具体的にどんな人生を指してるんですか?




































