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【344020】法政一高について

投稿者: 匿名   (ID:FrcG.uazrv.) 投稿日時:2006年 04月 11日 19:22

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  1. 【354536】 投稿者: *  (ID:2A8mm6M4jGo) 投稿日時:2006年 04月 27日 12:32

    経営方針の転換 さんへ:
    -------------------------------------------------------
    >  
    > 経営方針というのは時代とともに変わるものですから、駄々っ子のように「茶髪じゃなきゃ嫌だ」「ピアス禁止反対」等と言っていたら笑われますよ。
    >  
    >


    「茶髪じゃなきゃ嫌だ」「ピアス禁止反対」等とは言っていないと思いましが。
    少なくとも集会の主旨はそうではなかったですよ。

  2. 【355069】 投稿者: はぁ〜  (ID:Y0g/QP8DGLQ) 投稿日時:2006年 04月 28日 08:08

       経営方針の転換様

      私が言おうとしている事と離れています。学力だけのことではないでしょ?
     我が子も今年高校生になりました。自己管理のみの学校です。
     もちろん茶髪、ピアスゴロゴロいますよ。
     でも、そのことだけでは、解らない魅力も子供にはあったのでしょう。
     その学校に行きたくて、親から見ていてもがんばっていました。
     そこまで子供がほれ込んだ学校にご縁を頂き、本当に嬉しかったですよ。

     今まで法政に対して興味がありませんでしたが、
     すばらしい子供達ではないですか?経営方針の転換だと、言われますが、
     今までこの方針で過ごしてきた子供達が納得いかないのは当然です。
     
     学校側の強引なやり方に怒りを感じているのでしょ?友達を思いやり
     集会に参加してもしなくても、自分の頭で考えての行動ですよ。
     自分で考えられない子供が多い中、それだけで素晴らしい!
     
     そうは思えませんか?この年頃つっぱりたいのです。腰パンしていても、
     茶髪にしていても、法政に通っている位のお子さん達はやるときはやりますよ。
     ちなみに偏差値の高い学校ほど自己管理が基本です。
     








     

     

  3. 【356319】 投稿者: 次男が在校生  (ID:5h0DZGchrMU) 投稿日時:2006年 04月 30日 13:54

    学校サイドの説明責任が、徹底されていないように感じます。

    長男の学校でも(法政一高は次男が在校)学校改革が実行されていますが、マスコミに正式に発表する前に徹底して在校生と父母に説明を実施します。

    もともと法政一高は、外部内部を問わず説明が下手(甘い)ですね。

  4. 【656306】 投稿者: 13653A  (ID:cXZxwiIcvT.) 投稿日時:2007年 06月 10日 13:02

    キャンパスの移転と跡地問題
    東京女子大学の旧・牟礼キャンパス=三鷹市牟礼<短期大学→現代文化学部>を、2005年に学校法人法政大学が学校法人東京女子大学から売却してもらい、吉祥寺にあった法政大学第一中学高等学校のキャンパスとして建物を全部新築して2007年に移転開校した。当キャンパスは1951年から東京神学大学、1966年から東京女子大学がキャンパスとして利用してきた歴史があるが、石積みの正門は東京神学大学時代から残され続いているものである。 しかし、移転に伴う売却により地域との間に軋轢を生じている。地域住民との協議を途中で打ち切り、強引に長谷工コーポレーション、グラウンドは三井不動産に売却した。2007年2月以降、周辺民家には「法政は環境破壊の元凶」などと書かれた幕がはられている。近隣住民は「牟礼キャンパスを考える会」、「法政跡地の会」、行政側は都市計画審議会を発足させた。武蔵野市議会で跡地問題について議論された。

  5. 【656307】 投稿者: !#&%#A  (ID:cXZxwiIcvT.) 投稿日時:2007年 06月 10日 13:03

    共学化へ向けての改革と不満
    法政大学を始め付属校は自由な校風を掲げていたが、近年は改革を行っておりその一環として法政の貧乏くささを守る会、法政大学学生運動の一斉検挙を始めとする学生運動の排除を進めており新校舎建設により拠点施設を強制的に排除したりてきた。むろん、本校にも改革の波が襲ってきた。「制服」は移転後に入学する1年生からと説明されたいたし、本校ホームページの沿革には

     制服順次導入(中1・高1より) と書かれている[2]

    のにもかかわらず2006年12月の終業式で、突然「来年度から全校生徒に制服着用などを義務付ける」旨が学校側から言われ、生徒たちは憤りを覚えた。特に高3生は1年しか使用しないのにもかかわらず購入しなければならなかった。2006年2月20日に本校は伝統的に二年生から三年生に進級する際、クラス替えをしない方針でいたのにもかかわらず、「3年進級時にクラス替えがある」と突然の発表行った。クラスづくりを大切にしたい生徒たちはクラスのまとまり大切にしながらすごすことを望み、生徒会を通じて学校側に話し合いを求める「要望書」を提出したが、校長(森田勉)は受けとることを拒んだ。2006年4月校門で「登校指導」なども始まった。始業式では、校長の森田勉が「自主自律をしばらく封印しよう」と語った。自主自律は法政一高で大切にされてきた目標であり、「自分たちで学び、自分たちで学校をつくり、同時に全ての責任を自分達でとる」と教えられていた生徒の自覚を大きく傷つけるものだった。 校長が学校の教育の根幹を否定する発言をしたことが、生徒を傷つけ、学校、教員、保護者への信頼を大きく損ねるものとなった。生徒たちの中に、「校長と共に急速な学校改革を進める教師は敵」、「生徒の気持ちを汲んでくれる教師は味方」という発言も聞かれ、教員の間でも賛否両論がひしめき合っていた。運営委員会も廃止された。教育目標も「学ぶ喜び、誠実、礼儀」へと変更された。本校ホームページでは 

     服装の自由は限度を超え、短パンにアロハシャツ、茶髪、ピアスをつけて登校する生徒もいました。自由のはき違えが、基本的生活習慣の乱れにつながった生徒も数多くいたがこれは、生徒だけの問題ではなく、教員自身にも反省すべき点があります。  

    と書いてあるが、教員側の処分は一切無く、生徒に校則という形で押し付けている。[3]

  6. 【656308】 投稿者: !#&%#A  (ID:cXZxwiIcvT.) 投稿日時:2007年 06月 10日 13:03

    座り込みデモ事件
    2006年4月18日朝には学校の南側校庭に約450人の生徒が集まった。部活の大会直前で、出場停止を恐れて参加しなかった生徒の中には、同じ時間に登校することで連帯の気持ちを示した生徒もいた。やがて、副校長など数名の教員が現れた。生徒は「戦いをしにきたのではない」「あくまで学校と話し合いをしたい。」と気持ちを伝えた。また「移転、改革をめぐり教員間が不一致ではないか」、「大学理事会のいいなりではないか」と指摘し、さらには全教員のネクタイ着用を契機にある講師がと退職なった件についても経緯の説明を求めた。副校長は「校長と話し合いをさせます。」と約束をした。 5月9日に話し合いが行われたが、生徒側は1名しか参加できなかった。デモ当日の午後4時ころ、学校は記者会見をしたが校長(森田勉)は終日不在でもっぱら副校長が対応にあたった。副校長は「説明が不足したという面はあるかもしれない。生徒会は校長に話し合いを申し込むことができる唯一の機関。(しかし、クラス替えに関する「要望書」を校長は受理しなかった。)ゲリラ的なやり方ではなく、正規の手続きをとってほしい。また、もっと有効な手段があったと思うが、生徒たちの思いは理解できる。今後、生徒たちと十分話し合って理解を求めたい。」と述べたが、翌朝には文章で4月18日の東京新聞(夕刊)で報道されたことに対して、校長(森田勉)自らが

    報道されている内容の中には、生徒の節度を持った整然とした集会を、「座り込み」「抗議行動」とするなど事実誤認も多く、正規のアポイントも取材もない、一方的な書き方となっているものもあります。

    と報道機関を非難した。また、当時の生徒会長は 

    生徒たちの多くは言われたことを守って、髪も黒くし服装も改めた。それでもまだ『高校生らしい服装を』などと指導される。何の説明もないまま校則が厳しくなっており、自由な校風が失われる前に何か行動を起こしたかった

    と説明した。

    2007年1月には本校教師である中村努が、痴漢容疑で逮捕された。校長(森田勉)はこの事件に対して、保護者・報道関係者に実名入りで謝罪文を書いた。

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