女子美の中高大連携授業
どこまでなら私立中学行かせますか
抑えは持ち偏差値の10下といいますが、そのレベルの中学にわざわざ行かせる意味はあるでしょうか?
具体的にはS50後半で遠隔の千葉埼玉や午後受験校を受けさせる意味があるかどうか。
普通に考えて、S40台より高校受験で都立の二番手(もちろん日比谷西に越したことないが)青山、駒場ぐらい行った方がいいように思います。
「入学時点の本人の偏差値よりも、
学校のレベルの方が
進学先つまり出口との相関性は高い。」
学校のレベルとはどのように定義されているか
不明なので所論は理解不能です。
サンデーショックの時は承知しませんが、
長い目でみれば、入学者全体の偏差値と
当該学校の進学先には大きな相関があると
考えられます。これは入学者全体の偏差値
は入学者の素能力(いわゆる地頭)の近似値
と思われるからです。
もちろん学校の教育体制、教師の質、伝統的な
校風等々様々な要因が進学先のレベルには影響
しそうですが、灘、筑駒、開成などトップクラス
の学校ではそうした要因による違いがあるとも
思われません。
さて所論に戻って、個々の入学者の進学先のレベル
は当該入学者の偏差値よりも入学者全体の偏差値
との相関が高いと読み替えてみましょう。
これは切磋琢磨効果と言われているものでしょうが
証明不能と思われます。
>抑えは持ち偏差値の10下といいますが、そのレベルの中学にわざわざ行かせる意味はあるでしょうか?
>具体的にはS50後半で遠隔の千葉埼玉や午後受験校を受けさせる意味があるかどうか。
スレ主さんは東京に住んでいて、持ち偏差値がS60後半もあるのですね。
近藤絢子の2004年の有名な論文です。
そもそも、資本主義や市場経済は個人が合理的で神の見えざる手が働くと言う前提で設計されてますからね。
親子がこぞって難関中学を目指して金や労力を惜しまないのは、それが意味があるからなんですよ。当たり前のことですが。難関中学に合格することにそんなに意味が無かったら誰も目指しません。
私立中学受験に参入される方々の行動が
いわゆる「狂気」すら左右しているとす
れば「合理的な行動」が支配的とも
思えません。
中学という教育市場についてみると、
供給サイドは多数の公立、少数の
国立・私立からなり、その内容も
様々で、供給関数の連続性はない。
需要サイドは「淡々」「冷静」「熱気」
「狂気」「特攻」と多様性に富み、
これまた連続性に乏しい。
見えざる手も困惑の市場なのです。
誰も自分の進んでいる道は合理的
だと信じたいものですよね。
それでいいではないですか。




































