女子美の中高大連携授業
昔の四谷大塚
数年前、子供を入塾させるときに、一番心配だったのが、「入れるかどうか?」でした。
なぜなら、私が子供の頃、四谷大塚には入塾テストがあって、成績が足りないと入れなかったと記憶していたからです。
そのため、四谷に入るための孫塾があり、そこでまず四谷に入るための勉強をする(人もいる)と聞きました。
現在では、入塾テストはクラス分けのためであり、断られることは無いですよね。いつごろから、全員入れるようになったのか・・・?
自分が子供だったので、もしかしたら全くの勘違いかもしれません。昔も全員入れたのかもしれません。
でもずっと気になっていて、もしかしたらエデュをご覧の方の中には御存知の方がいらっしゃるかもしれないと思い、スレッドをたてさせていただきました。
それを調べてどうする?といわれると、う~ん・・・
自分の記憶が間違っていたかどうか知りたいのです。子供が塾に行くようになって(近所に四谷大塚がなかったので他塾ですが)、自分のときと色々違うな~~と思うことが多いので。授業は今のほうが昔より親身で解かりやすいと思います。先生も優しいし。(模試で四谷の先生に解説していただいたことが数回あります)なんか、昔は、もっと厳しかった気がします。
・・・子供だったからそう感じただけかも知れません。
懐かしいです。私も御縁様とほぼ同じ頃の卒業生です。
うちは夫婦で四谷卒です。もちろん大学で一緒になるまでお互い知りませんでしたけど。
四谷の話で盛り上がったことがあって、週報毎週載ってたけど名前覚えてなかった?と聞いてみたんですけど、全然知らなかったらしくて、がっかり。
近くに四谷がないこともあり、子供は別の塾ですが、OBが脈々と続いているのが四谷の強味だと思うので、もし四谷の方ここを見ていたら、OB会を企画してほしいと思っています。。。
あとにこんなにレスが繋がっているのに驚きました。
みなさん、四谷には思い出深いものをお持ちなんですね。
自分の子供は何年か前に中学受験を終え、幸い第一志望だった学校に通っています。
近所の別塾に新小三から通わせましたが、漢字や理社は四谷の教材を通販で購入してやらせたこともありました。基礎を固めるにはよくまとまった教材だと、今更ながら感じたのを覚えています。
私も室歌を子供に歌って聴かせて笑われました。
私は準会員でした。塾は日進ではなく東進という所に通ってました。
今や東進が四谷大塚を買収!?
雲の下の生物(準会員)でしたが、なんか勝った感じがして嬉しいですね。
成績上位の方々だけで盛り上がるのも結構ですが、多数派ではないこと意識すべきでしょう。過去の栄光は一文の得にもなりません。
私は当時の反省から、子供を私立の小学校へ通わせています。いまや、サピとか四谷大塚に通わせる中受験組は、ある意味少子化の流れのなかにおいては、負け組でしょうね。
日曜テストっていうのに通っていたなあ~。
懐かしいなあ~。
幼い頃の楽しい思い出のひとつ。
OB会 なんてあったら楽しそうね、
でも現代は自分の子、四谷じゃなくってサピにしてる人のほうが多そう。
うちは 近くに四谷あったけど、あえて子供2人ともサピ卒。
中堅校なら四谷、筑駒開成桜蔭ならサピ、の流れになってしまいました。
衰退し続けてますね・・・
四谷と日能研で、中学受験者ボリューム層の取り合いになってしまってる感じです。
日能研のほうはできる子をスカラシップでとっているので合格人数を確保しているようですが、
四谷は経営が下手。 全国無料テスト、ネット通販、個人塾等の使用、これらが四谷ブランド下げてしまったようです。
昭和からの中学受験の老舗だったのに、残念。
うちは少数派でしょうか。
両親そろって四谷卒でも志望校に届かなかったので敗北組なんでしょうが、わが子を幼い時から私立へとは思いませんでしたね。自分たちが負け組とも思わなかったなあ。自分よりできる子がたくさんいるんだな、くらいで。
子どもは自分たちと同じ五年生から四谷に預け、身の丈に合った受験をしました。中受に当たってはほかの塾は考えられなかったですね。
子どもがお世話になったころがテストコースをなくすと決まった頃に差し掛かっていたので、「なくさないで、それが魅力で入れたのだから」と直訴もしました。通らなかったけど。残念でしたね。
ぎゅうぎゅう詰め込んで合格させたのでは意味がないと、今でも思っています。
四谷のかつてのやり方、いいと思うんだけどな。
これも時代の流れなんですね。
わが子は親に似ずよく頑張って東大生になりました。大好きだった先生にも報告に伺って、喜んでいただいたのが何よりうれしかったと言っています。
ゆるゆるした道のりでしたが、常時余裕を持っての結果。我が家にとっては間違ってはいなかったかな。
懐かしすぎて、初投稿してしまいました。
’74~’76年まで在籍していました。
私の記憶では、
当時は正会員(テストによって入れる)と準会員(誰でも入れる)に分かれており、私は正会員でした。クラス分けは上から中野、四谷(上智大)、水道橋、池袋(どこかの電子専門学校)、拓大校舎。それぞれ上から国立、麻布、慶応クラスでした。正会員でも年に一回資格審査?試験があり、それに落ちると準会員になりました。
テストの日曜教室以外に中野で行われる、月水教室、火木教室、と昨年の過去問を勉強する土曜教室(高田馬場)がありました。その他講習の会場では鴬谷会場、目黒(杉野ドレスメイカー)、などがありましたね~
そうそう、女の子は四谷の手帳に友だちになった子の住所を書いてもらっていました。
室歌もまだ歌えます。どなたかが歌詞を書かれていましたが、私の記憶では「揃う笑顔の学び舎だ」だったと思います。
週報の成績優秀者常連のお名前はよく覚えていて、週刊誌の東大合格者名簿にその多くを発見しました。随分前でしたが、週刊朝日に「四谷大塚で歴代トップだった子のその後」という記事があり、会社の同僚が載っており、トップだったのか~と驚きました。(確かに天才ともいえる頭脳の持ち主でした)




































