女子美の中高大連携授業
昔の四谷大塚
数年前、子供を入塾させるときに、一番心配だったのが、「入れるかどうか?」でした。
なぜなら、私が子供の頃、四谷大塚には入塾テストがあって、成績が足りないと入れなかったと記憶していたからです。
そのため、四谷に入るための孫塾があり、そこでまず四谷に入るための勉強をする(人もいる)と聞きました。
現在では、入塾テストはクラス分けのためであり、断られることは無いですよね。いつごろから、全員入れるようになったのか・・・?
自分が子供だったので、もしかしたら全くの勘違いかもしれません。昔も全員入れたのかもしれません。
でもずっと気になっていて、もしかしたらエデュをご覧の方の中には御存知の方がいらっしゃるかもしれないと思い、スレッドをたてさせていただきました。
それを調べてどうする?といわれると、う~ん・・・
自分の記憶が間違っていたかどうか知りたいのです。子供が塾に行くようになって(近所に四谷大塚がなかったので他塾ですが)、自分のときと色々違うな~~と思うことが多いので。授業は今のほうが昔より親身で解かりやすいと思います。先生も優しいし。(模試で四谷の先生に解説していただいたことが数回あります)なんか、昔は、もっと厳しかった気がします。
・・・子供だったからそう感じただけかも知れません。
やっぱり親が出願を変えたという話になるのでしょうか。他に受けた二校も男子校で筑駒も男子校。なぜ共学で家から遠い学校の受験になったのか不思議なのです。今では小金井も通学一時間以内でないと出願できないみたいなので。
当時の国立は抽選でしたよ
筑波が第一志望でしたが、お茶の水とともに抽選で落ちました…どちらも確か5倍くらい?
竹早は2倍くらいで倍率は低めでした
女子なので男子は細かくわかりませんが筑駒も倍率高かったのではないでしょうか?
当時の国立は1/19とか1/20に出願が締め切られて1/26とか1/27に抽選の結果出ていたので、国立を1校だけ出願するというのはあり得ず、できるだけの学校に出願して、抽選の結果をみて受験校を決めるのが普通でした。
また、開成の召集日が筑駒の二次試験(実技試験)にぶつけられていて、開成と筑駒を併願する場合、筑駒への合格の確約がない段階で開成合格を放棄しなければならず、開成合格の段階で筑駒の合格を放棄する人も結構いました。そのため、当時の筑駒の合格は今のように突出して難しいというイメージは全くなかったです。
当時の中野の国立1組に在籍していたのであれば、筑駒のレベルが高すぎて出願を見合わせたとは考えにくいです。今で言えば、サピックスの東京校のアル1の人が開成受験を回避するようなイメージになります。
二歳下さん、ちょっと上さん
当時のシステムを教えていただきましてありがとうございました。
私が2/1に開成を受験した当日に四谷大塚の友達が筑駒の抽選受かって受験する話を聞いて羨ましかったことだけ強烈に覚えています。
併願は可能でも途中で開成辞退が必要だったなら、そんなに羨ましいお話でもなかったようですし、当時の状況から親の操作もないようなので、スッキリいたしました。
ご回答誠に有難うございました。
この書き込みを見て、びっくり。
下平先生は四谷大塚の後、早稲田アカデミーの高円寺校に移られて中学生に社会を教えていました。
私は理科の担当だったので、ときどきお話させていただきました。
90年代の話です。




































