将来の選択肢が広がる学部合同説明会
関西の中学の序列を教えて
関西の中学受験で入れる中高一貫校の序列を教えてください
>トップ3は中受していない大阪府の公立たちが集まる学校ばかり
小学校から思考力学習した甲陽でも及ばない
1973年卒の大阪府立高校は5学区制の時代であった
9学区に細分化される前であったし、当時は越境入学が横行していたので大阪公立御三家は合格実績が良かった
当時は兵庫県からも北野に越境入学していた
そんな北野受験生のすべり止めが甲陽であった
話題
難関は公開より志別が重要ですよね
長老
大学受験の場合は冠模試が12月まであるけど、中学受験の場合は8月ごろで冠模試終わっちゃうよね!
また大学は共テの対策も必要で広い視野が必要だけど、中受は1回勝負の世界
それで志望校対策コースの成績が、という近視眼的な発想が強くなってしまうのかな?
↑
絶対に灘とは無関係!
1973年だけ見ると次の状況で淳心のほうがよかったみたい
今となっては雲泥の差で逆転されているけどね
淳心 東大18人 京大12人 卒業生120-130人
東大寺 東大3人 京大11人 卒業生100人程度
その後だけど、東大寺には順風が吹いたが淳心には逆風が吹いた
東大寺は、まず奈良女子大附属の通学範囲制限により京都兵庫方面からの押さえとしての受験者増加
大阪でも徐々に中受熱が高まり大阪星光と共に成長
奈良府民と呼ばれる大阪府からのインテリ転入者増加(奈良高校も成長している)
団塊ジュニア受け入れに向けた定員100名増加
一方で淳心は、姫路にあり京阪神からの影響を受けない
西播磨地域の地盤沈下(姫路西も成長していない)
白陵の躍進により西播磨での勢力逆転
(西播磨では自由型校がスパルタ校に敗れた!)
淳心 卒数125程度か
1972 東大9、京大8 合計17
1971 東大6、京大9 合計15
1970 東大5、京大11 合計16
東大寺 卒数100程度
1972 東大4、京大16 合計20
1971 東大1、京大16 合計17
1970 東大4、京大19 合計23
奈良女子大附属については、現在でも、奈良女子大附属の通学範囲には京都市、大阪市まで入っている。
北摂や兵庫県から奈良女子大附属は受験の対象にほとんどならなかったことも考えると、
東大寺が奈良女子大附属の代わりの抑えとして受験生が増加したというのは当たらないと思われます。
>1973年卒の大阪府立高校は5学区制の時代であった
9学区に細分化される前であったし、当時は越境入学が横行していたので大阪公立御三家は合格実績が良かった
大阪府の公立高校9学区後の京大合格者数10人以上近畿分
国公立大学が1校しか受験できなかった最後の年である1976年のデータ
1973年は旧1期2期の時代なので若干大学入試側の条件は変わっている
*が国公立高校
学区が2分割された北野が2位を保っている
北野と別学区となった茨木と合わせるとやはり100人越え
大阪の公立高校がベスト10に3校、ベスト20に7校
共通一次の導入により中高一貫校の躍進があったものの、学区分割しても大阪の公立は強かった
この後のゆとり教育とバブルの崩壊が公立低下を招くことになるが
私立では、初めて洛星が3桁合格を達成(2クラス増加のため)
現在の最難関校や難関校の大半が顔を出している
東大寺、星光も躍進しているがそれ以上に洛南の躍進が目覚ましい
西大和は開校した頃で卒業生なし
大阪桐蔭はまだ旧校名の時代で今後の躍進が期待されていた状況
男女雇用機会均等法が施行されて間もない時期で女子は短大進学が中心の時代
神女の躍進ももっと先の時代
学校名 所在地 設置 共別 中高 合格者数
*洛星 京都 私 男 中 104
北野 大阪 府 共 ― 74
*甲陽学院 兵庫 私 男 中 71
*洛南 京都 私 男 ― 67
*東大寺学園 奈良 私 男 中 64
天王寺 大阪 府 共 ― 49
茨木 大阪 府 共 ― 48
*大阪教育大附池田 大阪 国 共 中 44
*大阪星光学院 大阪 私 男 中 44
奈良 奈良 県 共 ― 40
三国丘 大阪 府 共 ― 39
四條畷 大阪 府 共 ― 37
大手前 大阪 府 共 ― 35
膳所 滋賀 県 共 ― 33
高津 大阪 府 共 ― 32
*灘 兵庫 私 男 中 29
*大阪教育大附天王寺 大阪 国 共 中 26
神戸 兵庫 県 共 ― 26
*白陵 兵庫 私 共 中 22
姫路西 兵庫 県 共 ― 20
*京都教育大附 京都 国 共 中 19
長田 兵庫 県 共 ― 19
*六甲 兵庫 私 男 中 19
*大阪教育大附平野 大阪 国 共 中 18
生野 大阪 府 共 ― 17
*清風南海 大阪 私 男 ― 17
*淳心学院 兵庫 私 男 中 17
畝傍 奈良 県 共 ― 17
*高槻 大阪 私 男 中 16
豊中 大阪 府 共 ― 15
*神戸女学院高等学部 兵庫 私 女 中 12
*奈良学園 奈良 私 男 中 12
桐蔭 和歌山 県 共 ― 12
千里 大阪 府 共 ― 11
兵庫 兵庫 県 共 ― 11
寝屋川 大阪 府 共 ― 10
*金蘭千里 大阪 私 共 中 10
>奈良女子大附属については、現在でも、奈良女子大附属の通学範囲には京都市、大阪市まで入っている。
北摂や兵庫県から奈良女子大附属は受験の対象にほとんどならなかったことも考えると、
東大寺が奈良女子大附属の代わりの抑えとして受験生が増加したというのは当たらないと思われます。
1950年代から1970年代前半にかけては、県内だけではなく大阪府や京都府からの入学希望者も多かった[注釈 4]。
[注釈 4] 中には兵庫県から通った生徒もいた。高等学校から附属に入る生徒には、隠れて下宿する者もいたほどである。
附属が1973年から中高一貫のみになっているのも東大寺に追い風
また、附属の通学区域は一旦ほぼ奈良県内に限定されたのちに中等教育学校になるタイミングあたりで拡大されている






























