将来の選択肢が広がる学部合同説明会
関西の中学の序列を教えて
関西の中学受験で入れる中高一貫校の序列を教えてください
≫難関は公開より志別が重要ですよね
→大学受験の場合は冠模試が12月まであるけど、中学受験の場合は8月ごろで冠模試終わっちゃうよね!
また大学は共テの対策も必要で広い視野が必要だけど、中受は1回勝負の世界
それで志望校対策コースの成績が、という近視眼的な発想が強くなってしまうのかな?
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中学受験の自称玄人
受験の場合大学受験もですが苦手科目がない方が基本的に有利です。一般選抜の場合。ただ難関校なら志別の方が重要だと思いますが、基本が出来てないのに難問が解ける人は少ないと思います。関東圏なら算数一芸入試が流行っているみたいなので、算数さえ出来れば良いですが。灘で算数と理科で満点近く取れる子極一部では?灘卒の人に会ったことありますが、京医でも数研は尊敬されていました。普通の子は満遍なく取れる子が受かると思いますが常識的に考えて。他の学校でも一緒ですが。
>偏差値50程度という前提があり得ない
超エリート塾の真ん中のクラスランクから灘合格者は毎年いるのです。これは事実。
真ん中のクラスランク=公開偏差値50ではありません。クラスランクは総合評価です。
新興進学校推しのピンキリレベルの塾生を抱えている塾に通わせている親の感覚を一度捨て去りましょう!
そもそも超エリート塾の話です。
奈良女子大学附属・1973年入学者が中高完全一貫開始の学年
6年後の1979年以降の東大京大合格者数・合計は、
1979 15人
1980 16人
1981 16人
1982 09人
1983 20人
→ 5年平均 15.2人
一方、完全一貫化前の東大京大合格者数・合計は
1978 21人
1977 17人
1976 20人
1975 23人
1974 18人
→ 5年平均 19.8人
この差の4.6人がまるまる東大寺に流れたわけでもないだろうから、
奈良女子大附属の中高完全一貫化により東大寺が受けた利益(有利になった)というのは仮にあったとしても微々たるもの
wikiには中高完全一貫化の所に、(注)進学実績が低下した、と書いてあるが
奈良女子大附属の東大京大合格者のピークは1966年と1970年で中学入学は1960年と1964年
東京一工であればピークは1966年で中学入学は1960年
奈良女子大附属が中高完全一貫を始める前に凋落は始まっていた
>奈良女子大附属の東大京大合格者のピークは1966年と1970年で中学入学は1960年と1964年
東京一工であればピークは1966年で中学入学は1960年
奈良女子大附属が中高完全一貫を始める前に凋落は始まっていた
エデュでの議論は1973年時点で進学実績が似ていた淳心と東大寺のその後の変遷をやりとりしている
その中で奈良女一貫校化が取り上げられている
もっと広範囲に東大寺と奈良女を見ると東大寺学園高校ができたあたりから奈良女の衰退が始まっている
すなわち東大寺は高校設立の時から奈良女に影響を与えていた
おそらく東大寺の全身青々中学校からは奈良高だけでなく奈良女附属高にも進学してたんだろうね






























