女子美の中高大連携授業
昔のテレビコマーシャル
70年代のあるテレビCMについて情報を得たくスレ立てしてしまいました。
70年代なんてここにいらっしゃるお母様たちは、あまりご存知ないかも知れず
過疎スレになってしまいそうですが、ごめんなさい!
日産スカイラインのCMに、「愛と風のように」という歌と共に
ケンとメリーという素敵なハーフの男女が出ていましたよね。
あのCMの後、ケンは亡くなった・・といううわさがありましたが
それは事実だったのでしょうか。
何かご存知の方、教えてください。よろしくお願いいたします。
ほのぼのさま
ワーズワースのその言葉、いいですね。
私の好きな言葉として浮かぶのは、好きな作家のマルグリット・ユルスナールが
「私の好きな言葉」として書いていた、「われに能うかぎり」という言葉です。
全然、実践していなくて、ただそのように生きていけたら・・と思うばかりですが。
サクマのドロップって、アルミの缶に入った昔ながらの、あのドロップのこと
ですよね?缶のふたが楕円で。(取り出す口穴も楕円。)・・・違うかしら。
大人になってからも、たまに買って来て、薄荷とチョコ味を二つ、いっぺんに
口に入れてなめると美味しいことを発見した、あのドロップかな?あれはよく似た
別のドロップかしら・・
薄い粉がドロップの周りを白っぽく覆っているのですよね。平凡な味だけれど、
あると嬉しいドロップ。食べ残すと、気が付いた時には、ドロップ同士くっついて
しまってるのでした。
イチゴミルクは、大好きでした。飴の中で一番好きかもしれない・・。一時期だけ
レモンもブドウ味もありました。イチゴが、やはり一番美味しかった。
「サクマの、イチゴミールク♪」周りのピンクの飴のところが極薄くなると、もう
カリカリっと噛み砕かずに入られなくなりました。
野坂昭如は関西の人でしたね。神戸でしたか?
知ってますかさまが、「蛍の墓」で、妹に見せようとお兄さんが蚊帳にホタルを
沢山放した・・そんな場面のことを話して下さいました。
ドロップを大事に大事に持っていたのですよね。
八月が近づくと、いつも、戦争で亡くなった人々への鎮魂の思いが深くなります。
上の子にも、下の子にも、原爆で亡くなった子ども達の本を読ませようと、
図書館で借りてきて、自分が読んでは泣いてしまうのです。
戦争の物語や手記は、子どもが犠牲になるものはもう読むたびに嗚咽してしまう
のです。母親になったんですね、私も。
おばさん さま
> サクマのドロップって、アルミの缶に入った昔ながらの、あのドロップのこと
> ですよね?
> 薄い粉がドロップの周りを白っぽく覆っているのですよね。平凡な味だけれど、
> あると嬉しいドロップ。食べ残すと、気が付いた時には、ドロップ同士くっついて
> しまってるのでした。
そうですね。湿気に弱くてすぐくっついてしまうんですよね。
「火垂るの墓」で節子ちゃんが缶を振って中に飴が入っているか確認するシーンがありましたが、それを見て「そうそう!缶にくっつくからね。」とうなずきながら観ていました。
サクマのドロップ缶のパッケージには、「火垂るの墓」のアニメ版もありますね。
私もたまにサクマのドロップ缶を買って食べますが、あのアニメを見てからは、最後の一粒までしっかりと味わって食べています。節子の真似をして、空になった缶に水を入れてシャカシャカ振ってからその水を飲んでみました。節子がおいしそうに飲んでいたので・・・。
でも、ほとんど味がしなかったです。こんなにうすい甘い水が、あのときの節子には何よりのご馳走だった。野坂昭如さんの体験を元にしたフィクションですが、あの頃の子供たちは似たり寄ったりの経験をしたと思います。親と悲しい別れをして、終戦で無事命が助かっても、身寄りのない子供たちは浮浪者になって、たくさんの子供たちがあのように飢えて死んでいってしまったのですね。
アニメ最初のシーンで、お兄ちゃんが駅の柱のところで亡くなりますが、あとで、あの柱がJR三宮駅だったと知り、ショックを受けました。
西宮さま、私も東灘さま、わたしも関西人さまも一緒だと思いますが、私は学生時代友達との待ち合わせ場所として普通に使っていた場所であり、そんな悲しいできごとがあった事を知りませんでした。
あのあと、野坂昭如の元になった本を読みました。「火垂るの墓」は本の中ほどにありましたが、母から聞いた戦争の話と重なるところが数々ありました。
節子ちゃんたちの家があった所は、私の伯母の家の近くです。私も東灘さまの近くでもあります。そして、彼らが身をよせたおばさん宅は西宮さまの近くでしょうね。
戦争の話が長くなってしまってごめんなさい。
もうひとつ書いてもよろしいでしょうか。
海外に住んだ話をしましたが、その国は第二次世界大戦では、日本の敵国でした。
慰霊碑の近くに展示物があり、その中に旧日本兵の遺品がありました。
そこでは、敵国との区別なく遺品を丁寧に保管してありましたが、小さな紙に小さな字でいっぱい書き綴った日本語の日記をみて涙がとまりませんでした。
自分が生きた記録をつづって、もしものときは家族に渡したかったのではないかしら?
まわりに人がたくさんいましたが、みなさん自国の方たちの遺品に関心を持っていて、旧日本兵の遺品に足をとめる人はいませんでした。日本語が読める方は少ないでしょうし、当然ではありますが・・・・。名前も書いていないので、このまま身内に渡すこともできない日記。お身内の方に代わって、子供と読み、合掌しました。
> 八月が近づくと、いつも、戦争で亡くなった人々への鎮魂の思いが深くなります。
> 上の子にも、下の子にも、原爆で亡くなった子ども達の本を読ませようと、
> 図書館で借りてきて、自分が読んでは泣いてしまうのです。
> 戦争の物語や手記は、子どもが犠牲になるものはもう読むたびに嗚咽してしまう
> のです。母親になったんですね、私も。
同じ気持ちです。
母親として、平和の尊さ、戦争の悲惨さは語り継いでいかねばなりませんね。
本当にこのスレッド、大切な事を教えていただけて感謝しております。
ほのぼの様、おばさん様 ありがとうございます。
皆様、
8月なので重い話題が出ていますが、私も関西に行ったときにJR三宮駅に良く行きました。
あそこが最後に主人公がなくなった場所とは知りませんでした。
「火垂るの墓」はアニメと昨年か一昨年のドラマで見ました。
私は男性ですので涙は流さず、心で泣きます。
東京も空襲で打撃を受け、私の叔母は機銃掃射を受け間一髪だったそうです。
私が生まれた部屋には焼夷弾が落ちたときのあとが残っていました。
戦争の話は色々聞かされています。
祖母の妹は戦争で旦那を失い一生独身でした。
質素で欲もなく、ひっそりと生きた彼女は戦争に文句言うでもなく静かな一生を終えました。
ここで政治の話はしたくないので控えますが、また日本を戦争に向ける動きがあるのを
危惧しています。
これ以上は立場、考えも違う方もいらっしゃると思うので差し控えます。
知ってますかさま
三宮駅の柱。節子ちゃんたちの家があった場所。身を寄せたおばさんの家。
どれも知ってますかさまや、西宮さま、私も関西さま、東灘さま達のよくご存知の場所だったのですね。悲しい戦争の物語の舞台がよく知っている場所であったら、歴史の中の遠い出来事のようにも思われていたことが、突然、身近なものに感じられることでしょう。
知ってますかさまが仰ったように、戦争で命は助かっても、親と別れ、日々の糧に事欠き、辛酸をなめた子ども達は多かったのでしょう。お母さんやお父さんがもういない。家もない。そしてきょう食べる物もない。沢山の子ども達が、そういう体験を強いられたこと思うと、子を持つ者として胸のつぶれる思いがします。
子どもの頃、漫画ですが、戦争孤児のお話を読んだことがあります。(兄と妹のお話で、もしかしたら「火垂るの墓」が原作だったかも知れません。)食べ物を探して、兄がしばらく妹を置いて出かけ、戻ってくると妹が「お兄ちゃん、おいしいおはぎがあるよ。」と言って、兄の眼の目で、泥でこしらえたおまんじゅうを嬉しそうにほおばるのです。口の周りを黒く汚して、小さい妹ががつがつと泥まんじゅうを食べる姿を見て兄は、妹を一人にして出かけた自分を責めるのです。飢えと寂しさのために、気がふれてしまった女の子。子どもの私にとっても、そのシーンの印象は強烈でした。せんそうって、食べるものが全然無くなってしまうのだ・・そういう捉え方で、小さい私は戦争というものに恐怖を感じたと思います。子どもにとって、飢えるという事は、死そのものですね・・。
サクマのドロップの缶で、私も水を飲んでみたいです。悲しい、味のない甘さをかみ締めて、飲んでみたいです。
旧日本兵の遺品。小さな紙に小さい文字で一杯書き綴られていたという日記。
外国の地で、日本語のその文字に託された思いを知るすべもなく、その前に立ち止まることもない人々の中あって、知ってますかさまとお子さんが、その日記を読むことのないご家族に変わって、読まれた・・・ということ。涙が出ました。
遺品に手を合わされた知ってますかさまのお側で、きっとお子さんは、静かな悲しみとともに戦争というものに深い思いをめぐらされたことでしょう。知ってますかさまの仰るとおり、私達は、子ども達に平和の尊さを語り継がねばならない、と、また戦争の醜さについてできる限りのことを伝えていく義務があるのだ、と思います。
去年「碑」という広島の旧制中学の生徒達の、原爆による全滅の記録を読みました。
子どもの年が近いこともあり、あまりの悲惨さ、悲しさに、ページをめくるたびに新たな涙が流れました。子どもみたいに泣きながら、戦争の本を読む母親を見て、神妙な顔をしていた息子は、せんそうって、きっとそんなに悲しいものなんだ・・・とだけでも、思ったかも知れません。もう少し大きくなったら、必ず「碑」を読ませようと思っています。(悲しい話はいや、と今はまだ言うのです。)
知ってますかさまに聞かせていただいたお話、一生忘れないと思います。本当にありがとうございました。
季節的なこともあり、ふと、火垂るの墓の話題をサクマ式ドロップに絡めてさせていただいたのですが、皆様からの反響が、これほど大きいとは予想していませんでした。 改めて、私も自分が勘違いをしていたことにも気付きました。 あの最初の場面で、清太さんが、「これは、もう駄目だな!」っていわれた場所は、駅の雰囲気から、神戸駅かと思い込んでいたのですが、三ノ宮駅だったのですね。 私が、学生時代も、働き出してからも毎日利用していた、三ノ宮の駅なんですよね。
結婚当初、火垂るの墓を一緒に見ようと誘ったのが主人でした。 私たちは、今は、神戸に住んでいますが、実は、私の主人が、西宮出身なのです。 彼は、じっと見入っていましたので、口にはしたくない特別な思いがあったのかもしれませんね。 最後の方のシーンで、節子が既に空になったドロップの缶に、ガラスのおはじきを入れて口に含んでいたんですよね。 「お兄ちゃん、おはぎどうぞ!」は、耳について離れませんでした。 今度、主人の母と一緒に旅行に行きますが、どんな想いがあるのか、それとなく聞いてみようかと思っています。
おばさん さま
> 去年「碑」という広島の旧制中学の生徒達の、原爆による全滅の記録を読みました。
> 子どもの年が近いこともあり、あまりの悲惨さ、悲しさに、ページをめくるたびに新たな涙が流れました。子どもみたいに泣きながら、戦争の本を読む母親を見て、神妙な顔をしていた息子は、せんそうって、きっとそんなに悲しいものなんだ・・・とだけでも、思ったかも知れません。もう少し大きくなったら、必ず「碑」を読ませようと思っています。(悲しい話はいや、と今はまだ言うのです。)
スレッドの空気を重たくしてしまって、申し訳ありません。
「いしぶみ(碑)」奇しくも、私も昨年読みました。おばさん様がお読みになったと聞き、家の本棚をくまなく探しましたが、すでに古書店に売ってしまっていました。
(なにぶん家が狭いので、読んだ本は古書店行きがほとんどです)
覚えているのは、広島第二中学という名門の中学の十数人の男の子たちが、最期どこにいたのか、親や学校関係者の言葉が克明に記されていたことです。
名門だけあって、親元を離れてその中学に通っていた子も多く、中には大事な息子だからと東京の戦災で命を落とさぬようにとわざわざ東京から転校してきた子供もいましたね。
学校から家までたどりついて、親の胸に抱かれて命を落とした子はまだしあわせな方で、多くは親と会えないまま、帰路の途中で命を落としたのでした。
親が必死になって、子供を捜す場面を覚えています。通りがかった人の会話を偶然聞いて、ほとんど奇跡的に子供にめぐり合えた方もおられました。
何人か写真も載っていましたが、まだ本当に幼くてかわいい少年たちでした。
かわいそうすぎて読むのがつらくなりました。だから、おばさん様のお子さんがまだ読みたくない気持ちがよくわかります。
うちの子がもう少し大きくなったら読ませようと思い、購入した本があります。
「聞け わだつみの声」です。
母から「この本だけは、子供が大きくなったら読ませなさい。」と言われ、購入しました。
彼がもうすこし成長したら、渡したいと思っています。
すみません。また書いてしまいました。スレッドが重くなってごめんなさい!
夏休みに入って、皆様の生活はお変わりになりましたか?
前にも書きましたが、我が家は相変わらずの毎日です。
そういえば、昨日、セミの鳴き声を聞きました。もう夏が近づいているのですね。
早く梅雨明けしてほしいです。
すみません。重くなりすぎましたね。
これでは誰も書き込めませんね。ごめんなさい!
昔のコマーシャルですが、「チューペット」を覚えておられますか?
かわいい女の子がうしろにぬいぐるみ?か何かを従えて、砂浜?を行進してきます。
「チュチュチュチュチュ チューペット チュチュチュチュチュ チューペット♪」という軽快な音楽に合わせて、すこしずつ進んできます。
チューペットって今もあるのでしょうか?
もう10年くらい前のコマーシャルですが、こんにゃくゼリーでちょっぴり太めの女の子に「(カロリーなのか体型なのか)気にしなよ」と話しかけるものがありました。
それを聞いて、「あー私だ!やせなくっちゃ!」と頑張ってダイエットしました。
食事を少し減らしただけで、3ヶ月で8キロくらい痩せたんですよ。
今は駄目です。同じことをやっても1キロ減るかどうかです。
新陳代謝が落ちているのでしょうか。夏も間近なのに困っております・・・・。(泣)
霧の遁兵衛様 ダイエットはどうなさっていますか?
お見合いをされたとか?どうぞ恋でご多忙になられても、ここにいらしてくださいね。
8月近くで戦争の話が色々出てきましたが、第二次大戦の悲惨な小説として私が繰り返し
読んでいるのが箒木蓬生の「みたびの海峡」です。
これは手にとってみてキット感動する一冊だとおもいます。
今日は来週のお見合に備えるために理髪に行ってきました。
お見合は慣れているので緊張もしません。
恋愛に慣れていないので気に入った女性がいると困ります。
何せMR.ビーンですのであらぬことをやってしまいよく振られます。
振られるのが慣れているのでがっかりもしません。
理髪したあとプロヴァンス、オキシタンにある化粧品ショップロクシタンで石鹸を購入。
次に書店で箒木蓬生の新作「聖灰の暗号」を購入。新宿の居心地の良い喫茶店「ユイット」でずっと読んでいました。
日本人の歴史学者がフランスで文書を探しながら中世の歴史を探求するミステリーです。
私が普段読んでいるブローデル、コルバンと言った歴史学者が出てきてうれしい限り。
読んでいたらオキシタン語という方言が出てきて驚きました。
石鹸を買ったあとでオキシタンが出てくるなんてなんと偶然。
それから食事にはおいしそうなホウィトアスパラが出てきて、思わずほのぼのさまの投稿を思い出しました。
この本に出会ったのがまるで暗号のような一日でした。




































