女子美の中高大連携授業
神戸大学は、本当に旧帝早慶一工レベルに迫る難関大学であると言えるのか。
神戸大学を、スレタイのような難関大学と同列に語る人が多いように思いますが、実際のレベルはどうなの?
確かに医学部はレベルが高いみたいだけど、それ以外は大したことないし総合的には筑波とか外大とかと同レベルなのでは?
> むしろ、その在り方が的を射ていたからこそ、多士済々の人材を社会に輩出したのであろう。
だったら大学なんていらないじゃん。大学は入り口の狭い中身のない箱であって、そこを通過するだけで多士済々の人材を社会に輩出できるだから。でも今の日本を見て、本当にそのあり方が的を射ていたのが疑問だよ。海外の発展著しい国の大学生はしっかりと勉強しているからね。
それゆえ私立大学も国からの冷淡で微々たる支援の中で、さまざまな模索や工夫を行ってきた。その結果として、一部から指摘されてきた少人数教育化もかなりの程度達成したのである。
また早稲田でも、基礎学力を修得するためのアカデミック・リテラシー科目を設け、たとえば英語だけでも「Tutorial English」「Critical Reading and Writing」「Cross-Cultural Distance Learning」といった3科目を全学生向けに開講している。その他、数多くの科目やプログラムを学部横断的に用意している。
それらは、私たちの学部生時代には想像すらできなかったものだ。私立大学=マスプロなどという、旧態依然たる俗論をいまだ妄信する人々は、そうした現在の私学のすがたを偏見なくご覧になって頂きたいと願う。もっとも、そのために非常勤講師ならびに派遣や有期等の非正規職員らが多数劣悪な処遇で就労させられるとの皮肉な一面もある。ゆえにアンビバレントな思いもないではない。だが、それは本件とはまた別の問題である。
先の卑見は、その前のキミによる「早稲田のように狭い敷地にたくさんの学生を押し込んだら、本当に効果的な少人数での講義ができるのか疑問だよ」なる書き込みを受けてのものだ。それでありながら、なにゆえ唐突に「大学なんていらないじゃん」にまで飛躍してしまうのだろうか。よくわからない。
私の趣旨はそうした「批判」あっても、早稲田からは多士済々の人士が多数社会で活躍しているとの実績があり、キミはそれをどうお考えになるのか、ということだ。私はそこに、この大学には「人を能動的にさせる伝統や学風」が脈々と息づいているからではないかと考えている。その一つの表れが、田中総長も認める早稲田の活発な学生文化である※。
続く
続き
また、私自身も高校生時代に訪れた「早稲田祭」でそれに触れ、志望校としたものであった。それゆえに、早稲田志望者には可能な限り複数回受験を勧めてきた。既述のように、現在の早稲田はかなりの程度学部横断的な科目構成が採られており、各学部間の垣根は相対的に低くなっている。それゆえにまず「早大生」になることを最優先にすべきだと私は考えるからである。
※このように学生は大学からの干渉を厭い、大学もまた放任を決め込んできた。だが、そうした学生のワイワイとした自由主義的諸活動(まるで資本主義のダイナミズムや冒険的ロマンスのようだ)も、現在の大学から学生にしてするパターナリズム的所為により今後、どのように変容していくのであろうか。そこに多少の懸念もなしとしない。
だから、実態が大事だと言っているんだよ。できます、やってますと言っても、それが全体の1~2割では意味がない。
例えば、1つの学部に1学年800人にいたとして、その学年の必須科目を40人のクラスにしたら1つの科目だけで1つの講義室が月~金の1~4限の半期の間ずっと占有される計算になるが、必須科目が5つも6つもあったらどうするのさ。さらに選択科目や、異なる学年の科目はどう割り振るのかい。すべてを少人数クラスにするなら、1人の学生が半期で取れるコマ数を減らすしかないじゃん。1つの科目につき膨大な宿題を課すのならまだしも、そうじゃないなら学生を遊ばせるだけだね。何しに大学へ行っているのかわからんよ。
そこなんですね。
旧帝大学は地域トップ高(ナンバースクール)が上位を占めているのに対し、神戸大学は準トップ高や私立もレベルが少し下がった高校からの合格が多い気がします。同地域の京大、阪大の次に選ばれるから仕方ないのかもしれません。




































