女子美の中高大連携授業
古文漢文要らない
大学入試の科目(東大など科目数が多いケース)
文系でも統計などで数学は使うので、最低限の数学は必要。
理系でも現代文が読めて書けなければ話にならないので、現国は必要。
グローバル社会の中で、英語はどの分野に行くにも当然必要。
文系の人でも、理科的思考はある程度経験した方がいい。
理系の人でも、世界の地理や歴史の基本的なことは、たしなみとして知らなければ恥ずかしい。
ところで、古文、漢文、大学入試にある意義はなんでしょうか?
東大なんか、理系の2次でも古文、漢文ありますが、その後の人生でほぼ何にも役に立ちません。
ここから改革してほしいです。
皆さんどう思われますか?
>個人的には漢文をやっている時間があるなら哲学をやってほしいね。フランスの大学入試では文理に関わらず哲学は必須みたいだし。
>アメリカは進学校ほど低学年からラテン語必修となっています。
大学入学選考でも、高校でラテン語や古典ギリシャ語の授業で一定の成績を修めていれば、性別・人種・大学での専攻を問わず加点があります。
新しい学説や新発見があればそれを名付ける造語能力が必要となり、そのような貢献ができる人物を輩出することも大学の存在意義になりますから。
横から恐縮。
このお二方のご意見に興味を覚えた。
なぜなら、この国ではしばしば財界筋から大学に対し、(財界にとって役に立つ=金儲けのできる)「人材」を養成せよ、との圧力が掛かるからである。古くは1970年代における中教審の答申にもそれらが見受けられる。今朝の報道にもそれに触れた記事があった(朝日)。教育社会学者の多くは、そうした動きに警戒する。
そうした財界の観点からは、哲学やラテン語、あるいは古文・漢文などは何の実利にも直結しない空虚なお遊びでしかないのであろう。さらにいえば、効率的な利潤追求を本質とする商事会社や資本家たちにとって、そうした「空虚なお遊び」を通じて養われる『立ち止まって自らモノを考え、疑い、(屁)理屈をいう』ようなタイプは、むしろ有害=邪魔者なのではあるまいか。
だからこそ、わが財界はその支援をする政府を通じて、「実務家(?)」を大学の理事者や教員に加えよとの圧力をかけたり、それに抵抗する大学に業を煮やして別途「専門職大学(?)」なるものの法制化を画策したのであろう。また、そうした一連の経緯を振り返るとき、現行憲法が第23条で「学問の自由は、これを保障する。」との短文ながら、そこで大学の自治を制度的保障したことの意義をあらためて痛感するのである。
令和2年の東大二次入試問題を見てみました。
久しぶりに見てみると、昭和の頃よりも国語の設問数が減っている。しかも現国の題材が平易です。受験生の国語力低下に合わせているのでしょうか?
昭和 理系4問(現国2、古文1、漢文1)/100分だったはず。
令和 理系3問(現国1、古文1、漢文1)/100分
令和 文系4問(現国2、古文1、漢文1)/150分
(古文の単語説明14か所、漢文の単語説明11か所、昔より多くない?)
数学を見ると、明らかな易問2つ難問1つあって、2完~5完の争いになりそう。数学力の低下にあわせて誰でも2問取れるようにして、プラス1問ないし1問半を取るか他で稼ぐかで合格ギリギリなんでしょう。
意地を張って古文漢文を出し続けなくても・・・と思いました。
大学に入ってから役に立たないもので合否を決めるのは国策として可笑しいでしょう。自分が得意かどうかで発言しているわけではない。自分ゴト化して苦手なら東工大とか、そういう話じゃない。
知り合いの東大卒の人も、古文得意だったけど、意味ないからやめた方が良いと言ってましたよ。
受験英語より実用英語と言ってる人も、受験英語が苦手だから言っているわけではない。
別に正直、どっちでもいいけど、法学や経済学を学ぶ上で漢文が必要なわけ? 法制史やるわけでもないし、現代語訳でも十分では? と、理系にいらないとする議論からはこういう突っ込みとなる。
なんかほんと議論の論拠がふらふらして、定まってないねえ
理系の共通言語が数字と記号なら、文系の共通言語が文字だからだよ。もちろん、理系も文系もどちらも基本レベルはおさえておくけど、深くやる範囲はそれぞれ違ってもいい。日本語の成り立ちを理解するのに、わざわざ中国古典を使わなければならないのは不可解(=日本の古文書でもいいはず)だが、漢文で書かれた文章を誰も読めなくなるのはよくない。




































