在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
古文漢文要らない
大学入試の科目(東大など科目数が多いケース)
文系でも統計などで数学は使うので、最低限の数学は必要。
理系でも現代文が読めて書けなければ話にならないので、現国は必要。
グローバル社会の中で、英語はどの分野に行くにも当然必要。
文系の人でも、理科的思考はある程度経験した方がいい。
理系の人でも、世界の地理や歴史の基本的なことは、たしなみとして知らなければ恥ずかしい。
ところで、古文、漢文、大学入試にある意義はなんでしょうか?
東大なんか、理系の2次でも古文、漢文ありますが、その後の人生でほぼ何にも役に立ちません。
ここから改革してほしいです。
皆さんどう思われますか?
高校で学ぶ理由であって、大学入試に課す理由にはなってませんよね。
高校で学ぶから入試に課すと言うなら、数3や理科四科目社会も保健体育もとなってしまいます。
結局、国語200点の中の勢力争いで、古典漢文が生き残っているだけの話なんでしょう。
一般的にですが、中学までの勉強は9科目とも常識、高校では教養とか素養とかなのかと思います。
東大など難関で、全員共通の共通テストは別として、重点科目で、どこまで深く学んできたのか、大学学部で学ぶ資質があるのか、を問うと思います。
かつて東大では、現代文の英訳とかだけでなく、漢文英文変換で素養を見た年もありました。
高校で学ぶ科目があるのなら、その範囲で出題していくのは理に適っていると思いますが。
塩野七生であったかと思う。
どうしてラテン語など勉強する必要があるのだろう、大した役には立っていないではないか、と思っていた、と。あるとき高名な大学教授の講義を聴く機会があって、淡々と聞いていたら、その教授がラテン語で説明をし始めた。するとぼそぼそと味気なかった話に生気が宿り、会場に居た各国の研究者たちも活き活きと話を聴き始めた。そんな話だった。ラテン語という皆に共通の知の軸を基に、言語も文化も異なる人々が一体化する。そんな瞬間を見た、と。
寺田寅彦の専門の文献を読んでも、私には理解できない。だけど随筆ならわかる、彼のほんの少しの言葉で。知のレベルでは私など彼の足下ではない、裏だ。交わることのない対蹠点に立つ者だけれども、それでも、そんな私の心に訴えかける言葉を彼は綴る。私にも分かるけれども高雅な言葉を放つ。
東大は一般論として、専門家を育てる大学なのだろうか?私は昭和の生まれだからかもしれないが、「東大生は国を作る」、そんなイメージを持つ。国を作るのだ、典雅であってほしい。東大の理系で古文漢文が二次試験にある、なんで理系に?必要ないじゃない、とは思わなかった。「さすが、東大だなあ」と思った。専門家養成じゃない、国のリーダーを育てる大学なのだなあ、と。現在の東大のイメージには合わなくなってきているのかもしれない・・・
中国語ならまだしも漢文で語り合う瞬間は無いでしょうね。
東大生が国を作るって、いつの時代でしょう?
今や私大出の総理の気にいるように政策も資料も国会答弁もやらないと人事報復できる仕組みですよね。
変えたく無い人には、何を言っても無駄なんだなと改めて思わせるスレッドでした。
私としては、もう終わりで結構です。
昭和ですよ。
東大を現在のように変えたのは新しく台頭してきた考えの持ち主たちで、それが良かったのか?という問題はあるでしょう?矜持、教養の問題において、現代社会の効率性に即した変更をすること、すなわちそれが進歩で是、というふうにはならない気がします。
中国語、これは故事や言語外の知識を重んじる言語ではないかと思っています。些少ですが勉強したことがあり、中国人と会話する際、中国語を話すことよりも漢文等で知った中国の故事の知識を高く評価されましたが、それも昭和生まれの世代ゆえの経験になってしまうのでしょうか・・・




































