在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
古文漢文要らない
大学入試の科目(東大など科目数が多いケース)
文系でも統計などで数学は使うので、最低限の数学は必要。
理系でも現代文が読めて書けなければ話にならないので、現国は必要。
グローバル社会の中で、英語はどの分野に行くにも当然必要。
文系の人でも、理科的思考はある程度経験した方がいい。
理系の人でも、世界の地理や歴史の基本的なことは、たしなみとして知らなければ恥ずかしい。
ところで、古文、漢文、大学入試にある意義はなんでしょうか?
東大なんか、理系の2次でも古文、漢文ありますが、その後の人生でほぼ何にも役に立ちません。
ここから改革してほしいです。
皆さんどう思われますか?
この場合、個人の尊厳の理念に基づく、思想良心の自由や法の下の平等等が人類普遍の原理として措定される。そのうえで、三段論法を用いて演繹的に法を適用し、紛争の解決を図る。
他方、おバカさんが言う如くに演繹的手法をとってしまうと、逆に危険なものもありうる。たとえば「神が地球を創った」の如く神学的イデオロギーが普遍性ある至上価値とされた場合、すべての自然事象が妄想の巣と化す。まさに中世に逆戻り。さしずめ無神論者の私などは、神を冒涜する「魔男」として(宗教)裁判に科せられかねない。
> 個人の尊厳の理念に基づく、思想良心の自由や法の下の平等等が人類普遍の原理として措定される。そのうえで、三段論法を用いて演繹的に法を適用し、紛争の解決を図る。
これって研究なのか。三段論法を用いて演繹的に法を適用するのは法曹界がやっていることだろ。それなら早かれ遅かれ大部分はAIに取って代わられるだろうな。
あたかも囲碁における碁石の如く、抽象的な存在でもない。活きた人間である。まして法的紛争とは、錯綜した権利・事実関係の本質に当事者各自の「思い」が存する。それゆえ個別具体性が不可避となる。したがって、AIなどによる画一的処理に本来なじまず、その性質上それが介在してはならぬ領域であるといえる。




































