在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
これが旧帝大の現実
今年の成人式での会話
理系ヲタク「ぼ、ぼ、ぼくは東北大学なんだよ」
周りの人たち「ふーん」(無関心)
ブランドスーツで固めた男「俺青学だぜ!!」(指定校推薦)
周りの人たち「すごい!!!○○君って、天才!!!中学から勉強出来たもんね」
理系ヲタク「……」(誰にも相手されずに帰宅する)
おっしゃる通りで、とくに戦後に旧制高校から新制大学となった国立大学に「建学の精神」がないことが、東大(および旧帝)を頂点とするシステムを持続可能にしているのだと思います。旧帝にはそれぞれに学風があります。例えば、阪大なら長岡半太郎先生で、教員・学生にはその系譜に連なるという自負もあります。旧帝以外の地方国立大はどのような精神で学問の系譜を守り、時代を拓こうとしているのでしょうか。この点において、旧帝とその他国立大には大した差がないというのであれば、旧帝という括りは虚構かもしれないです。しかし、やはり旧帝にはそれぞれに伝統的に大事してきた精神があります。それは戦後にできた他の国立大とは一線を画するのではないでしょうか。
厳しい言い方かもしれないが、甘えてはいけない。
日本人全員に研究者としての素養がある訳ではない。もし、恵まれた研究環境、設備で研究したいなら、論文などで評価されて東大や旧帝大などの研究室に行けばよいのである。
一般企業でも激しい競争がある。
ならば、都立一番手から三番手に相当する神奈川県立高校のカテゴライズはどうなるのでしょうか。みんな旧学区トップの一くくり?
あと「かつて神奈川高校野球でも評判になった同校エース投手が、現役で九州大学に進学したことも覚えている。」という情報こそどうでとよい切り取りでは?もちろんエースで旧帝大進学するのは優秀という主張は同意しますが。
でもそれを言ったら都立国立は都立一番手校ですが、甲子園に出場し、そのときのバッテリーは東大入学しましたよ。どうでもよい情報ですが。
〉反論にもならぬ次元のものばかり。お相手するのも嫌になる。
相手にしなければよい。暇な人達がどうでもいいことを言い合いしているだけなので。
マーチ関係者が、旧帝大はマーチと比べてもらえるだけありがたいと思え、とか、旧帝大には行く意味がない、などと主張するので、首都圏優秀層の進学先や学歴フィルター、大学ランキングなどの現実を突きつけているだけですから。
暇ならどうぞ。
ノーベル賞候補の藤田誠さんは千葉大出身、飯島澄夫さんは電通大出身。
能力があって実績を上げれば評価されます。
東大などの一部の大学ばかり優遇されるのはおかしい、と嘆くので、自分自身を見つめ直してと言ったまで。
国立大学はその性質上、「建学の精神」をあえて提起してこなかったのではないか、と。それゆえにしばしば「金太郎あめ」のごとく、揶揄もされるのであろう。入試難易度以外、さしたる差別化要因に乏しいからというのである。
他方で「学風」の相違は、国立大学にも存すると考えてきた。むろん、何が「学風」であるかとの問いもあるが、私の知る限り東大と京大とではやはり異なるものがあるようだ。たとえば、京大系の法学者の学説には一般に、西田哲学等からの影響をしばしば感じる。たしかに明治この方この国の法学界、司法、官界をリードしてきたのは東大法学部であることに異論ないが、こと学説的には歴代の京大系の先生方になぜか共感するところが多い。そのいくつかの部分は必ずしも通説的立場にはなくとも、国民目線では納得できる場合も少なくないからである。なにより、東大(法学部)系の研究者に比べ、京大ご出身の先生方のほうが相対的に人間臭く感じられる。それが京都の街で昔から、「三高生」が愛されてきたとの伝統に由来するものでもあると勝手に想像するのである。




































