在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
早稲田目指してたけど、もう無理。立教で妥協していいっすか?
現役で早稲田に受かるようなのってやっぱ天才なんだなと実感した。
マーチの過去問なら解けるけど、早稲田の問題は全然解けん。あっ、天才だけが解けるヤツなんや。
早慶とマーチの壁ってめちゃくちゃデカイ。
>したがって、その理論に関する背景知識を持ってない数多くの様々な分野の人が、同じものを見て同じような感覚を持てるならば、理論負荷性は小さいと考える。
私が言及しているのは、背景知識と言うよりは特定の理論の論理的基盤を形成する時代精神ともいうべき知のパラダイムやイデオロギーです。
分かりやすい例えで言うと、マルクス経済学と近代経済学は、依って建つイデオロギーが違うので、一つの現象を観察するときでも、全く異なった事実として認識することがしばしば起こる。こういうことです。
それよりも、あなたは早くフッサールの肖像写真を見て、その眼光の洗礼を受けなさい。
>どのようにして起こったかは理論で説明できても、何が起こったかという、今まさにその瞬間のことまで理論で説明できるとは思えないね。理論でどう説明するのか教えてほしいね。
主語が抜けているんだよね。
「何がどのように起こったか」を説明するのは確かに理論なんです。
この命題は「何が起こったのか」を前提にしなければ成り立ちません。
ご説は論理的に破綻しています。
「なぜ起こるのか」という存在論的な問いを提示したいのならば、「世界はガイストの自己展開によって生起する」というヘーゲル的な命題が答えになります。
いずれにせよ、哲学の命題になります。
君は分かっていない。なにゆえ私立学校法が制定されたのかについてだ。そこに、私学の独自性を重視するとの制度趣旨が存する。しかしながら、教育事業の如き国の事業として行われるものについては、国公立においても私立学校と同様に政治からの独立が強く要請されるのである。そのうえで、教育基本法6条は私立学校を含める意味で、私立学校の公共性を明らかにしている。だからこそ、私立学校助成は合憲とされ、私立学校振興助成法が国会で満場一致で可決成立したのであった。
すなわち、そこに現代国家における国民生活に対する調整的、助成的機能の営みを観ることができる。それが生きた現実における法が営む機能である。それこそが本来の「国の役目」である。もっと、事業の本質と現実の必要性との調和に関心を及ぼしなさい。まして、君のように制定法すら無視する粗雑な「意見」に一体いかなる意義があるというのであろうか。そこに見受けられるのは、親方日の丸頼みの権威主義的な差別意識のみである。まるで、戦前の意識であり、価値観だといえる。
> 教育事業の如き国の事業として行われるものについては、国公立においても私立学校と同様に政治からの独立が強く要請されるのである。
国立学校は、その運営において、国から経営の指導を受け、資金を提供してもらっているのだから、私立学校と同等の独立性があるとは思えないね。それこそ君がよく言及する経済論理に反するよ。
俺の出身校である私立中高はある時期に包括的なレベルで府教委に指導と助言を受けるような事があった。そのため、同時期から遅刻に対する指導が物凄く厳しくなった。この指導の際には、近隣の同程度の学力の公立高校における生徒の遅刻の頻度や生徒指導も参考にされた可能性もある。私学と国公立は違いはあるが、学生への指導の仕方ぐらいは大学間でも比較対照されたり共有されたりしてもおかしくはないと感じる。
> 「何がどのように起こったか」を説明するのは確かに理論なんです。
具体的な事物を特定したら、理論とは言わないね。理論はある条件を満たす事物に対して一般化したものだから。なので、実際に起こったことを理論だけで説明するなんて不可能だと思うね。
> 採算の取れない事業でも、採算が取れるように改善されれば、民営化に移行した方が効率がよい。
基礎研究は採算が取れないからこそ国のお金ですべきであって、採算が取れるのならもはや基礎研究とは言わないし、民業圧迫になるから国のお金ですべきでない。国のお金で運営する国立大学にさせるのはもってのほかだね。研究面では、国立大学と私立大学では大きく役割が異なるよ。




































