在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
「文系は刺し身のツマ」に
今後は、産業ニーズと合ってるかどうかが重要。
学士と高専卒が同じ括りに。
例えば、DMG森精機
卒業・学位_____初任給__想定初任年収
大学院卒(博士課程)475,000円_6,825,000円
大学院卒(修士課程)310,000円_4,650,000円
大学・高専専攻科卒_300,000円_4,000,000円
書き始めは”16歳くらい”にしようかと思っていましたが、昔読んでものすごく印象に残った以下のリンクのような子もいるので、14歳ぐらいで働きだしたいのはちょっと早すぎるから、世の中に厳守させる意味で14歳という数字がいいのかなと。
https://hatarakikata.net/3210/
学問論として科学論を構想するとき、単に科学的認識論や科学理論に関する認識論的な検討に留まらず、科学という文化形相を支える世界観の規準としての価値観にまで及んで検討する必要があると私は考える。そしてさらに、科学という文化財の実践に及んだ社会的機能にまで考慮を及ぼす必要があるとー文系はー考える。すなわち、認識論的な科学批判に留まらない文明論的な科学批判である。それすなわち、近代資本主義と結んだ科学のパラダイムの被拘束性を文明史的に解明することにより、既述のように「科学」が近代の歴史的所産であることが明確になると思われる。それが、私たちの指摘する「相対性」でもある。
しかしながら、それらはあるいはあなた方の実証的経験主義ともいえる真理を人間の知的了解領域内にあると設定し、理論の実証的な論証可能性を肯定するとの考え方。そして、この認証を得たものだけしか理論として承認しないとの科学主義の構図には反するのかもしれない。もっともそれが、実証できないものにつき全否定ではなく、「現時点の科学では証明できない」との姿勢であれば、私も歓迎である。なにせ形而上学の世界では、死後の世界にまで勝手な妄想を吹き込み、そのうえで不当なカネもうけを企てる輩の跳梁跋扈が後を絶たないのであるから。観念論哲学の負の側面である。
私大の問題をあげつらったところで肝心の国立大学の劣化は止まらない。
特に地方国立は私大私文以上に劣化は避けられず、ろくな人材を輩出できないのは周知の事実である。
少子化、地方の経済悪化が明らかである以上既定路線であるから仕方ない。
あきらめたほうがいいでしょう。
> 科学という文化財の実践に及んだ社会的機能にまで考慮を及ぼす必要があるとー文系はー考える。
> すなわち、認識論的な科学批判に留まらない文明論的な科学批判である。
> あなた方の実証的経験主義ともいえる真理を人間の知的了解領域内にあると設定し、理論の実証的な論証可能性を肯定するとの考え方。
そもそもが、科学におけるアクティビティは、文系的な定義とは別のところにあり、イデオロギーや文明論とは住む世界が異なるのだ(と思う)。
だが時に、科学が生み出す成果が社会に劇的な影響を与えることがある。近年の「IT革命」もその一つだろう。巨大な富を生み、貧富の格差が拡大し、戦争の方法まで変えてしまう。
そうすると一見、科学が何かを支配しようとするイデオロギーや特異な文明に見えてしまうのかもしれない。
しかし、科学は「仮説→検証」をルールとし、数学(数理モデル)を言葉とする「ゲーム」でしかない。
一方、科学で扱う理論は常に未完成だ。新たな理論・数理モデルが提案されたとしても、時を経ずにその限界が指摘される。当然、科学で説明できない事象も多い。
そういう意味では、自然の現象や物性に対して謙虚でなくてはならない(と思っている)。




































