今年入学した高1生が語る青春リアル
中央大学法学部は都心移転によりどこまで復活するか?
みなさんの予想はどうですか?
私は、
出身学部別での司法試験合格者数は1位。
予備試験合格者数では2位。
国家公務員総合職の合格者数では早慶を抜いて1位。
民間は今より良くなる。
偏差値は普通に早慶上位レベルまで上がる。
続 山本祐司氏[司法試験の中東戦争]より。
昭和四十六年十月一日、法務省中庭に掲示された司法試験合格者を見て中央法学部関係者は深刻な衝撃と、いい知れぬ屈辱感にさいなまれた。
受験者総数2万2336人、合格者536人、平均年齢26.5歳。
合格者一位が東大129人、二位中大の116人、三位早大の47人、4位京大の27人、、、。
二十年間、中大が首位を独占、その栄光の座が突然崩れ落ちたのである。
中大が前年の138人から22人減ったのに、東大は前年の88人から一挙に41人も増えたためだが、[司法試験合格者首位]は、中大にとって最大の売り物で司法試験教育には特に力を入れていただけに中大関係者のショックは大きかった。
とうとう中大の学術団体で全国の司法試験受験生を指導している中央大学真法会(向江会長)が[論文式問題が東大関係者から事前に漏れている疑いがある]と法務省の司法試験管理委員会に抗議の要望書を突きつける騒ぎになった。
判明した1970年(昭和45年)の司法試験合格は、
中央138人 東大88人。
前年に50人の差がついていたので、まさか翌年に逆転されるとは思ってもいなかったのであろう。
青天の霹靂。
まだ連覇は安泰で続くだろう、21連覇と思っていたところによもやの首位陥落、その驚き、ショック、無念さは想像するに余りある。
ご丁寧に解説してくださり、ありがとうございます。
中央大学卒の知り合いが複数いますが、皆さまそれぞれのフィールドで活躍されています。法学部卒の方から「中央大学法学部です」と言われたかどうかは記憶にありません。そうですねさんのご経験からすると、そう言わない方はきっと少数派なのですね。
学外の私から見ると、皆さま全員を中央大学の方としか認識せず、法学部と言われても自慢とすら受け止めませんが、学内の方にとっては重要なのですね。
学外の私から見ると、皆さま全員を中央大学の方としか認識せず、法学部と言われても自慢とすら受け止めませんが、学内の方にとっては重要なのですね。
文章の前半はまさにその通り!ですね。中央の法学部と言われてだから何?というのが、殆どの今の日本人の反応です。明治、立教、法政、青学の法と同じくらいの難関だな、最近移転したらしいけど、受験生のレベルや偏差値は変わらずマーチなんだな、程度のお話です。
後段は、言わずもがな、このスレの延々と続く遥か昔のOB自慢列伝を読めば、どれだけ自己肯定感が高いか分かるでしょう笑 自らを中央大学の中で特別な存在だと思ってるみたいです
続 山本祐司さんより。
中央大学真法会の向江会長が論文式問題が東大関係者から事前に漏れている疑いがあると司法試験管理委員会に抗議の要望書を突きつけた。
東大が六月に行った行政法の[無名抗告訴訟について]は司法試験行政法第一門[無名抗告訴訟]と同一である。
など抗議は六項目に及んだが、東大側は[全くの言いがかり法律を志ざす者のすまじき憶測]と激昂。
東大合格者が88人から41人増えた件。例えば、その前年に合格者が20人位減って、その不合格者が呼び戻しで、言わば倍返しで盛り返したのか。
しかし、実際はそうではない。
1969年(昭和44年)の司法試験合格者は
中央131人 東大84人 であり、1970年の中央 130、東大88人とほぼ同一の数字だった。
それでは、1971年の東大の41人増に次ぐ年はと見ると、1965年(昭和40年)、前年の67人から35人増で初めて百人台の102人になった。
1964年は中央法学部の最大数の174人を出した年で、67人の東大に百人以上の大差を付けた年だ。
東大の危機感は相当のものだったと推測される。
翌年、中央法は20人減らしたが、154人とここでも
50人余りの差をつけていた。
東大はこの年から四年間、百人台を維持するが、1969年、1970年と80人台に停滞していた。




































