女子美の中高大連携授業
地方の人が上京時に恥をかかないための東京の大学事情
地方人は上京時には要注意です。
早慶付属・・・・中学時代、学年で一番でも余裕で落ちる。
マーチ付属・・・中学時代、クラスで一番でも余裕で落ちる。
日大付属・・・・中学時代、クラスで3番4番5番辺りが第一志望で進学。
東京の高卒は
高校受験時に上記事情を知るので、大学受験の経験が無くても、
ある程度は大学受験がどんなものか想定できるので私大批判はしない。
私大を低く見る傾向がある地方人の考え方のままだと
東京においては自分自身の発言で相手の気分を害するだけでなく、
自分自身が気まずくなる場合もあるので要注意です。
東京においては私大の地位は高いんです。
奨学金を借金のリスク管理だけに還元すると、教育の意味そのものが見えなくなる。
返済不能になった時の顛末を知ることは当然だが、その前提だけで制度を語れば、学ぶことを人生の負債としてしか捉えられなくなる。
問題は個々のリスク耐性ではなく、なぜ教育がここまで個人の負担に依存する構造になっているのかという点にある。
奨学金が人生を売り払う行為に近づいているのは、若者側の判断が甘いからではなく、社会が学びを公共財として扱う視野を失ってきた結果だ。
大学進学は収益予測に基づく投資判断ではなく、どんな環境に人を置けば才能が開くのかという制度設計の問題だ。
未来をつくる知は、初期条件では測れず、後から育つものが多い。そこに負債の論理だけを持ち込めば、芽が出るはずの力を制度側が先に摘み取ることになる。
必要なのは、借りる側に自己責任を積み上げる説明ではなく、学びが負債ではなく未来資本として循環する仕組みを整えること。
個人の返済能力に教育を従属させている限り、社会全体の再生産力は痩せ続ける。
返すか返せないかという狭い問いではなく、そもそも教育を負債の器に押し込めてきた構造そのものが問われている。
奨学金を借りてまで大学に行くということは学問、技術の探求を図るということ。
学問や技術の探求は代替が効かない、己との戦いだということ。
己との戦いということを大袈裟に記したが、本当であり、先生や他者の質問や意見を受け止めなくてはならない非常に肉体的、精神的に堪える。特に若い人たちにとって。
大学の教育研究の真髄は正しくゼミや研究室での活動である。
そういったプログラムに飛び込み、自身を変革していきたい人には大学の進学はいいと思う。
奨学金を語る時に、気合いや根性の物語へとすり替えるのは筋が違います。
探求を志す姿勢そのものを否定するわけではありませんが、それを制度の説明として持ち出すと、構造の問題を個々の精神論に押し付けるだけになります。
大学での学びが厳しいのは事実です。
ただ、それは奨学金が負債として回る構造を正当化する理由にはなりません。
学問が孤独で代替不能だからこそ、そこへ向かう人を支える仕組みが必要なのに、制度の歪みを本人の覚悟で説明しようとすれば、教育の重心が個人の耐久力に転倒してしまいます。
大学進学の是非は、本人がどれだけ戦えるかという話ではありません。
才能がどこで開くかを社会がどう保障するかという視点で整理すべきです。
個々の努力の美談で制度の責任を覆い隠すと、必要な議論がどこまでも遠ざかります。
探求を語りたいなら、その前提となる環境をどう整えるかが先にあるべきです。
負債を抱えて飛び込む覚悟を称えるのではなく、負債にしなくても飛び込める設計を作ることこそ本題です。
あと探究と探求の違いは認識の上?
東京の私大関係者や受験産業なのかな?高齢者が多いらしく昔話が大半で、どこかの動画のコメント欄で嬉々として50年前の大学受験を長文で埋めていてのに対して今の時代の話でお願いしますと動画主にコメント返されてるのもあるね。
アニメの日本昔話が公式化での動画がアップされてるんだそうです、2週間前からとかで極最近の話、という一文だけで本来なら十分に事実の伝達は完結しているはずなのに、なぜかその情報が提示された瞬間から、話題の中心がどこにあるのか曖昧なまま周囲だけが膨張していくような、妙にたゆたう広がり方を始めてしまうあたりが実に味わい深いですね。そもそも公式化とは何をどの段階で指しているのか、動画がアップされているという事実が誰に向けられた意味合いを持つのか、そして2週間前という極最近という形容がどの程度の緊急性や価値を帯びているのか、そのすべてがふんわりと霧のような輪郭のまま提示されているため、受け手側の思考がどこにも着地できない。
それでいて、情報としては一応完結しているので読み手には何かを知ったような気分だけが残る。しかし、その知った気分をどう扱えばいいのかがわからないまま宙吊りになり、結果として話題の意味的重心がどんどん薄まっていく。動画がアップされているらしい、というだけで本題に回帰するのか、周辺の雑談に流れていくのか、そもそも本題がどこにあったのかが霞んでいき、結局は全体がゆっくりと拡散して消えていくような、完全に無害でありながらどこまでも冗長で取り留めのないレスとして美しく成立しています。




































