今年入学した高1生が語る青春リアル
絶対にやめた方がいい地方国立大学への進学
首都圏から地方国立には絶対に行かない方がいいです。なんなら日東駒専以下の大学でも首都圏に残った方がいいです。
自分は、地方国立に進学して半年ほどたって耐えられなくなってきた。本当につらいし、地方を心の底から舐めていた。東京で生活できることのすばらしさを舐めていた。住環境というものを過小評価していた。
受験してる時に戻れるなら、地方大学なんて絶対に受けない。なまじ偏差値の高い高校だったため、共テで失敗した俺は、周りの高得点をゲットしている同級生たちを前に焦り、あまり深く考えずに合格できそうな地方国立に出願してしまった。コスパ重視で国立大学を選んでしまったことを激しく後悔している。
面接で「地方に来ても大丈夫?」と聞かれ、都会の生活に飽きが来ていたと思っていた自分は「地方の生活も経験してみたい、東京以外の生活も面白そうだ」と答えた。
俺と同じように実家も東京でずっと東京で生活していて地方の生活も悪くないかもと考えている都内の高校生は多いと思う。そいつらに全力で警告したい。
・ぼんやりした理由で地方国立志望を絶対承諾するな。
・東京の生活に飽きたから地方で生活してみたい、は絶対後悔する。
・そもそも地方大学を受けるな。もし受けるなら、自分の愚かさを心の底から呪う羽目になる。
・地方大学進学は学費換算マイナス500万円/年くらいだと覚えておけ。つまり学費が6年間で3000万円以上安い場合のみ、初めてフェアな比較ができるという意味だ。つまり医学部あたりで初めて比較が成り立つということ。
・地方という地獄に6年間落ちないために。
幸福度もずいぶんとあいまいな基準だよね。
都会には都会の
田舎には田舎の
それぞれの住環境に合った生活ができていれば幸福度が高いと言えるんだと思う。
極論だけど都会は経済と利便性を、田舎は自然と近所づきあいをもとめているならそれなりに幸福。
田舎に移住してきて、近所の人付き合いにつかれてしまった、とか
車がなければ移動もできない不便さが我慢できなくて都会に戻る人の話もある。
幸福度という言葉があいまいに聞こえるのは、その尺度を一つに固定できるという前提自体が現実とずれているからだと思います。都会と田舎で求める条件が違うという指摘はその通りですが、だからこそ幸福度は場所に付随する要素ではなく、環境と個人の選択がどの程度噛み合っているかで決まります。
移住して合わなかった、都会に戻ったという話も、環境そのものが幸福を与えるのではなく、環境が変わることで自分の時間、関係、自由度がどう変質するかが問われるというだけです。利便性か自然かといった属性の比較よりも、その属性を支えている社会的構造と自分の生活設計の相性が核心です。
幸福度をあいまいと捉えると議論が止まりますが、実際はあいまいなのではなく、多層で測るべきものを単層に畳もうとするから輪郭がぼけて見えるだけです。都会の幸福も、田舎の幸福も、実は環境そのものではなく、環境が許容する生き方の幅と、自分が望む生活との整合度で決まる筈です。
実際の経験をもとにした海外との比較は興味深いが、ここ最近の田舎を体験されていないのではないだろうか。もっとも海外や田舎や都会に同時に住むわけにはいかないため仕方がない面もあろうが、競争がないから物価が高いだなんて2-30年昔をみているようだ。
確かに20年くらい前まではそういうこともあった。某港町に初めてコンビニができた時は数期連続で売り上げ日本一を叩き出し、その後各社がこぞって進出してきた。スーパーも数県を支配下におさめた会社が勢いを伸ばし、地元密着型の店舗などと競争が激化して価格は大幅に低廉となっており、都市部より高いだなんて都市部の流行とは無縁な町の服飾屋とかそれくらいしか見当がつかない。これはその某都市だけでなく、全国転々としているが、どこでも似たような流れになっている。
こういう論点のズレ方は、地方の現実を肯定したいという気持ちと、構造を読み替えてしまう癖が同時に走っているだけで、あなたが言うような昔話の精度を争っても核心には届かないと思います。
確かに、地方の価格構造は20年前とは違います。コンビニもスーパーも入り、流通の効率化で均質化が進んだ。それは事実です。ただ、私が指摘しているのは物価そのものではなく、街としてどれだけ選択肢を保持できているかという条件で、経済の表面ではなく生活の自由度の基盤に関わる部分です。
競争が生まれた、チェーンが増えたという話は、供給が整ったという一次的な変化です。でも、その後に選択肢として維持されるかどうかは別問題で、人口規模が縮むエリアほど淘汰が早く、店が残るかどうかも、市場原理より流出と高齢化のスピードの方が影響を持つようになる。都市部と同じラインに見えるのは表面の価格だけで、背後の構造はむしろ逆方向に開き続けているのが今の地方です。
都会と田舎を比べる時に重要なのは、物価や店舗数のアップデートではなく、街が将来に向けてどれだけ選択肢を再生産できるかという動的な条件です。そこが弱ると、人は自由度を失い、生活のデザインそのものが狭まっていく。環境評価の本質はその点で、安いか高いか、便利か不便かといった単層の比較では説明できません。
だから私は幸福度を、環境と自分の生き方がどれだけ噛み合うかという多層の整合性として見ています。地方の現在を否定する気はないし、魅力を語るのももちろんありです。ただ、街の選択肢を自ら再生産できるかどうか、その構造の有無こそが、都会と地方の差を長期的に分けていく部分だと思います。




































