女子美の中高大連携授業
海城・攻玉社・本郷・城北・世田谷・巣鴨 2013
新しくスレを立てました。
スレタイはとりあえず偏差値順に並べています。
このスレは芝が抜けてるんですね、数年前までならまだしも
最近は東大合格者もそこそこ出してきて実績あがってるのになぜ?
あ、もしかして自称名門芝マダムのしわざ?笑
まあ、でもこのスレも短命でしょうね。類似スレ多すぎですし。
名門校なんていうと、攻撃の繰り返しですよ。
最近では攻玉社と芝、両方○もらっても攻玉社を選ぶ方いましたけど。芝は昨年は実績良かったですよね。来年はここのスレ校の動きはどうなる事でしょうね…。その年によって優秀層の流れが違いますし。
攻玉社
1863年に明治時代の六大教育家の一人である近藤真琴が鳥羽藩の江戸屋敷に開設した蘭学塾が発祥。明治後期には慶應義塾、同人社(のち明治20年代に廃校)と合わせて、「三大義塾」として並び称された。1869年には築地の海軍操練所へ移転、その後海軍兵学校への予備校として発展、海軍大将など多くの海軍関係者を輩出する。その成立経緯から第二次世界大戦前は海城と深い関係を築いていた時期もあった。一世紀以上の歴史を有する伝統校であり、その名は広辞苑にも記載されている。
海城
1891年(明治24年)、佐賀藩出身の古賀喜三郎(海軍少佐・教育者)により、海軍予備校として創立された。戦前の海兵(海軍兵学校)は、「一に海兵(海軍兵学校)、二に陸士(陸軍士官学校)、三・四がなくて、五に東大(東京大学)」と言われ[要出典]、まさにエリート中のエリートであった。そのエリート教育を行うため、商議員には渋沢栄一や高田早苗ら、また議定員には西郷従道や伊東祐亨ら朝野の名士を集め、講師にも海軍兵学校の有力な教官を揃え、万全の体制を敷いた。全盛期には、海軍兵学校の全入学者の半数近くを占めるほどに発展し、「海軍兵学校に進むには海軍予備校(海城)を経なければならない」とまで言われた。
本郷
高松松平家第12代当主である松平賴壽が設立した。当時は中等教育が急速に普及していたが、官公立の中学は旧制東京府立第一中学校(現・東京都立日比谷高等学校)など学校数が少なく、地元の本郷区立誠之小学校から多くの子弟の進学が困難であったし、また教育界が知育偏重・画一的な教育に大勢を占められていたからだ。松平はこうした状況を憂え、1923年に旧制本郷中学校を設立した。
城北
東京府立第四中学校(現・東京都立戸山高等学校)で40年間校長を勤めた深井鑑一郎と、その高弟で凸版印刷社長だった井上源之丞を創設者として、元教員やOBらにより開校された。
世田谷
1592年(文禄元年) 曹洞宗吉祥寺の学寮(旃檀林)として誕生し、江戸時代には、漢学研究の中心として幕府の昌平坂学問所(東京大学の前身)と並び称された由緒ある伝統校である。
巣鴨
1910年(明治43年)文学博士遠藤隆吉 東京府北豊島郡巣鴨村(本学園現在地)に硬教育による英才教育と人間研究の実践を目指し、巣園学舎を創始。社会学研究所・易学研究所を併設。
芝
現・東京都港区の浄土宗増上寺が1906年(明治39年)私立芝中学校として設立。戦前から進学校として知られ、各界で活躍する幾多の人材を輩出してきた。校訓「遵法自治」の下に自由で大らかな校風を特徴としている。




































