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年収1200万で自転車操業?3人目中絶寸前の家庭にみる「日本の中流崩壊」と社会保険地獄

【7689211】
スレッド作成者: rolarola (ID:ZSrzClVlhy2)
2025年 07月 07日 12:00

なぜか消えてしまったので再掲です。

先日、Yahoo!ニュースにあがった毎日新聞との共同企画による記事

(ニュース要約)
首都圏在住、共働きで世帯年収1200万円を超える30代夫婦。子どもは2人いて、第3子を授かったものの、中絶を選んだ。理由は、住宅ローンが月15万円以上かかり、保育園の空きがない上に民間保育は高額。さらに中学以降の私立進学を視野に入れると教育費負担が想像以上に重く、将来的に家計が破綻する不安を抱えたからだという。


以上です。
記事は「中流・上位中流」ともされる層であっても、育児環境の脆弱さから子どもを安心して産めない日本社会の構造的な問題を浮き彫りにしている。

いわゆる「勝ち組」とされる世帯年収1200万円クラスでさえ、3人目の子どもを産むことを諦める。これは衝撃的で、同時に「日本の中流」の脆弱さを象徴している。

まず、住宅費と保育費のダブル負担。さらに学歴偏重社会ゆえの私立進学コスト。こうした重圧が、産む産まないの選択を大きく左右してしまう。結局「産めるかどうか」は、個人の価値観や努力ではなく、社会の仕組み次第だという現実が見える。

ヤフコメにも見られる通り

・年収1000万以上でも足りないってどんだけ日本は子育てに冷たいんだ
・保育園入れないなら、結局母親のキャリアも止まる
・3人以上育てるのは一部の超富裕層だけ
・住宅ローンの規模もでかすぎて詰む
・教育費をもっと公的に出すべき
といった多様な論点が次々に飛び交っている。

しかもこの事例は、制度的な穴のせいで「産む自由」すらないことを示している。子どもを産みたい人すら産めないというのは、少子化対策の根本否定にほかならない。

国は「子どもを増やそう」と言うが、そのために必要な社会保障・教育・保育の支援を徹底して組み直さなければ、現実には何も変わらない。

このニュースが本当に突きつけている問いは

「安心して産める社会」とは、結局どこまで公が責任を持つべきか?

ということだ。
「産む・産まない」の選択が個人の自由と言いながら、実質的には「産めない」方向に追い込まれている日本の現状を、もう逃げずに直視しよう。

【7690392】 投稿者: 中央集権と一極集中   (ID:x5K15SOfid2)
投稿日時:2025年 07月 11日 00:13

>地理的制約を通信と制度で解体し、暮らしのインフラを分散化して、均等に届ける。それを実現している国こそ、教育アクセスやデジタル社会で先行している北欧やエストニアではありませんか。

日本の国土がエストニアのように平坦だったりスウェーデンのように比較的平坦だったならインフラを均等に届けることが容易だったかもしれません。日本の過疎になりつつある地域で起こりつつある問題のひとつに交通の便のよくない点在する妊婦や高齢者のケアをどうするかにあると思います。前者は海外のように巨大なバースセンターを作り集中的に産科医を配置することで解決可能ですが、後者は高齢になったからと言って素直に施設に入居するとは限らず、あちらこちら駆け回る役所の担当者を疲弊させるだけのような気がします。少子化により役所の人員増もままならない中にです。少ない人的予算的リソースの中でそれを解決するのが選択と集中ではないでしょうか?
今、日本の高度経済期に作られたインフラの老朽化が問題となっています。人が散らばって住んでいる地域の隅々までインフラ網を供給する財政的余力も時間もあまりないよう感じます。さまざまな面でのシュリンクが避けられない今だからこそ選択と集中の徹底なのです。日本でもイギリスを見習い10年くらい前?から国土交通省などがそのような方針を目指していたと思います。でも有権者ウケが悪いのでなかなか思うようにはいかず行き詰まり、地方都市とその周りの塊が十分発展できずにいるその間に東京と大阪が膨れ上がっているのが現状ではないでしょうか。

【7690418】 投稿者: rolarola   (ID:kLeLBDaRFyw)
投稿日時:2025年 07月 11日 07:30

おおよその論旨は理解できます。過疎地域に際限なくインフラを維持するのは困難で、「選択と集中」が不可避というお考えですね。

しかし問題は、現実がその通りには動かないという点にあります。

たとえ行政が「集約」を望んだとしても、人は簡単には動きません。たった一人でも住民が残れば、法的にも道義的にもインフラの供給は停止できません。現に限界集落の水道管一本すら、撤去や廃止には住民の同意と代替案が必須で、何年も、いや何十年もかかるケースが大半です。

結局、選択と集中というスローガンの裏側では、「過疎地のコストを誰が背負うのか」という問題が未解決のまま残り続けます。

加えて、日本の国土は山がちで、エストニアや北欧諸国のように「分散型でもコストが低く保てる」構造ではありません。にもかかわらず、首都圏一極集中はすでに限界を迎えており、保育園不足、住宅高騰、医療・教育インフラの競争激化など、「選択と集中」の帰結は東京自身の都市生活すら蝕み始めています。

そこで視点を変える必要があります。

アメリカのように移民で人口を下支えする国では、地方都市の再生とインフラ維持が現実的に回っています。また、スマート水道網・自動点検ドローン・遠隔医療など、分散地域を維持するための技術投資も進んでいます。

つまり、課題は「人が散らばっているから困難」なのではなく、「今の技術と制度では支えきれない」ことにあるのです。

それでもなお「選択と集中しかない」というならば、それは社会保障の再分配放棄とセットで語られるべき問題です。「過疎地に住むのは勝手、でも自助で生きろ」という社会を目指すのかどうか―その覚悟と倫理を問うべきだと思います。

【7690427】 投稿者: rolarola   (ID:kLeLBDaRFyw)
投稿日時:2025年 07月 11日 07:52

少子化でも大学?

たとえば佐賀県武雄市では、「武雄アジア大学」と「県立大学」の新設構想が具体化しています。この人口減少時代に、あえて大学を増やす?と驚く声もあるでしょう。

しかし、これは単なる教育施設ではありません。若者の流出を抑えるための、地方活性の布石でもある。地方が生き残る手段の一つです。

一方で、三重県では同じく県立大学の新設構想が立ち消えになった。二つの県の姿勢は対照的ですが、どちらが「正解」という話ではありません。

むしろ大事なのは、「この不可避な少子化の時代にどう対処するか」という構造的な問いのほうです。

現在の大学生(18~21歳)のボリュームは全国で430万人程度。しかし、令和に生まれた子どもたちが大学年齢に達する頃には、この世代人口は300万人前後。つまり、3割が丸ごと消える未来が確定しています。

都市部の受験競争はますます加速し、地方大学は定員確保すら困難になっていくでしょう。若者の流出どころか、若者そのものが激減していくのです。

この現実を前に、「選択と集中で効率的に運営を」と言うのは簡単です。でもそれで問題が解決するなら、少子化に突入して20年以上経つ今、すでに何かが変わっていてもおかしくないはずでは?

変わっていないのは、「選択と集中」という看板の裏にある、対症療法的な発想です。人がいないなら集めよう、減ったなら減った前提で縮小しよう。でも、それでは地方も都市もジリ貧のままです。

だからこそ、「人口増を可能にする環境整備」そのものが、教育・医療・雇用・住宅すべての出発点であるべきです。

人口を増やせ、という話ではない。「増えうる」構造をどう作るか。インフラも経済も制度も、そこに立脚しなければ、どこに集中しようが、何を選択しようが、いずれ維持不能になるのは明らかです。

都市も地方も、今はすでに片足が崖の外に出ている。

この国に今、必要なのはその「足場」を再構築する政策なのではないでしょうか。

【7690431】 投稿者: rolarola   (ID:kLeLBDaRFyw)
投稿日時:2025年 07月 11日 08:10

私の書き込みを読んで、

「テーマがとっ散らかってない?」

と、感じた方もおられるかもしれません。「選択と集中」批判と「少子化でも大学新設」の是認、この二つが矛盾しているように見えたなら、むしろそれは今の日本の課題が、単純な対立軸で割り切れないことの証左だと思っています。

選択と集中という政策フレームは、もともと縮小する国土・社会においてリソースを合理的に使う手段として導入されてきた方法論です。

理解はできますし、その必要性も場面によってはあるでしょう。けれども、現実は「集約すれば済む」ほど単純ではありません。

インフラの撤去一つ取っても、人はそう簡単には動かないし、残る一人の住民が居る限り、供給を止められない制度上の縛りがある。そもそも、人間の暮らしが、行政の線引きで一方的に整理できるなら、こんなに苦労はしません。

他方で、少子化でも大学を新設するという動き、たとえば武雄アジア大学の構想に対して、「どうせ定員割れ」「無駄な箱モノ」といった反応があるのも分かります。

しかしそれは、教育機関を「供給の問題」としてしか見ていない。本来、大学は教育の場であると同時に、地域に知的・人的資本を呼び込むための拠点でもあります。都市部が過密化している現在、地方に拠点を新たに設けるという選択は、人口減の中で分散と循環を意識した有効な手段になり得る。

つまり、私が言いたいのはこうです。

「選択と集中ではもう回らない現実」がある一方で、「それでもあえて投資すべき分散的な拠点整備」も存在する。

そのどちらも必要で、ただ漫然と分散するのでも、すべてを集約するのでもなく、「再構築」が必要なのです。都市も限界、地方も限界、ならば、制度と視点を入れ替え、いわば社会のOSを書き換えるような発想が求められている。それが「どこでもジャパン構想」の根本にある考えです。

インフラはどこにあってもいい。人がどこに住んでいても、教育も医療も通信も最低限保障される仕組みをまず構築しなければ、どこに「集中」したところで、いずれ破綻するのは見えています。

その上で、地域に合わせた自律的な機能強化、大学も病院も新設ではなく再設計として行えばいい。少子化だから大学はいらない、インフラは維持できない、だから集約するしかない―

この直線的な思考そのものが、未来を閉じているのではないでしょうか。

私は、散漫に見えるこの議論の断片が、ひとつの問いに収斂すると信じています。

「人口が減る社会で、どうすれば減らない社会のように機能を保てるか」。

この問いに正面から挑まずに、効率だけを説く「選択と集中」では、間に合わない。

崖に片足が出ている今の日本に必要なのは、踏みとどまることではなく、新しい足場を作ることだと思っています。

【7690491】 投稿者: 中央集権と一極集中   (ID:sRuK4O3f25M)
投稿日時:2025年 07月 11日 13:28

>それが「どこでもジャパン構想」の根本にある考えです。

素敵な考えですが、ペロニズム(アルゼンチンを没落させた政策)と同じようにならないといいけれど。
時代や様々な背景が違うので全く同じルートになるとは思いませんが、身の丈を過ぎた福祉ポピュリズムは危うさを孕んでいると思います。

【7690498】 投稿者: 中央集権と一極集中   (ID:Lv7NQCPlyDo)
投稿日時:2025年 07月 11日 14:28

でも、歴史に学ぶと言えども過去ばかり見るのはよくないと思うので、新しい考えに掛けてみるのも悪くないかもしれないですね。失敗してもそれを教訓にして、またやり直せばいいのですから。

【7690500】 投稿者: rolarola   (ID:WLkKeafY64M)
投稿日時:2025年 07月 11日 14:37

ありがとうございます。

ご指摘の「福祉ポピュリズム」への警戒には一定の理解はします。確かに、票のために無責任な再分配を乱発すれば、経済の持続性を損なうことにもなりかねません。

が。私の提示している「どこでもジャパン構想」は、むしろその逆です。現実に今、すでに破綻しかけている一極集中型の社会モデルの延命を図るのではなく、制度そのもののコスト構造を根底から見直す再設計です。

通信インフラやデジタル行政を基盤にした地方分散は、国家としての維持費を最小化しつつ、必要な生活資本を届ける設計へと近づけるためのものであり、アルゼンチン型の「目先の現金給付で人気取り」とは根本的に異なります。

そもそも今の日本は、福祉を過剰に配り過ぎているのではなく、逆に「配れないから諦めろ」と各所で切り捨てが起きている状態です。過疎地の医療や教育は放置され、都市部は飽和し、誰も得をしていない。

身の丈に合った社会とは、切り捨て合戦ではなく、限られたリソースを再配分する「賢さ」によって成り立つものだと私は考えています。

ペロニズムではなく、むしろ北欧型の「持続的・分散的な合理」の方向性です。

福祉を守るために集中を選ぶのか。集中が限界だからこそ、分散で支えるのか。前提が異なれば、答えも変わってきます。私の問いはむしろ、「どこに福祉を集中すればいいのか」ではなく、「どうすれば均等に届く仕組みに変えられるのか」にあります。

もちろん、福祉が目的化され、身の丈を超えて膨張していく危険性には目を向けねばなりません。しかし、それは分散型か集中型かという構造選択の問題というより、制度設計と運用責任の問題です。

今この国に求められているのは、「地方の再生」か「都市の延命」かという二者択一ではなく、縮小社会における持続可能なバランスの再設計ではないでしょうか。

構想を理想論で終わらせず、実装の設計図に落とし込むためにも、「どこにリスクがあるのか」「何が機能するか」の建設的な意見交換こそ、今後さらに深めていくべきだと思います。

なお、私は「人口の自然増」だけでなく、「移民による人口の戦略的増加」もあわせて検討すべきだと考えています。

何となく嫌、治安が悪くなる気がすると言う漠然とした不安や、文化的・治安的な懸念があるのは承知しています。ですが、例えば埼玉・八潮の大規模陥没事故のように、目に見えない老朽インフラが私たちの足元から崩れていく現実の前では、慎重論だけで立ち止まる余裕は残されていないはずです。今あなたが歩いている道、車で走っている道路がいきなり穴になってあなたを飲み込んだら?

生きたまま、土で窒息して苦しんで死んでいくのです。八潮の陥没で亡くなった74歳トラックドライバーさん。そのコンマ1秒前ですら、まさか自分が道路に飲み込まれるなど微塵も考えていなかった筈です。確率が低かろうと、その場にたまたま居合わせれば1/1、100%なのです。

現実には、地域社会で共に生活している外国人の多くは善良で誠実な市民です。むしろ昨今、すれ違いざまに怒鳴る人、ブツブツと何かを喋りながら歩く人、そんなおかしな人間が日本人であることも少なくない。印象やイメージだけで議論を閉じるべきではありません。

もちろん、移民政策には慎重な制度設計が必要です。一度受け入れた後に排除することは、現実的にも倫理的にも困難です。ですが、全国で相次ぐ道路陥没やインフラ不全のニュースが示す通り、もはや「人口減に対応するための仕組み」を悠長に考える時間は残されていません。

どこに住むか、どう働くか、そして誰と支え合ってこの国を次代につなぐか。その問いに、現実と制度と倫理のすり合わせで応えていく。そのための議論を、これからも続けていくべきだと強く思います。

【7690501】 投稿者: rolarola   (ID:WLkKeafY64M)
投稿日時:2025年 07月 11日 14:39

おっしゃる「過去ばかりを見るべきではない」という視点は一理あります。ただ一方で、国土政策や人口政策のように、一度の失敗が数十年単位でのツケとして降りかかる分野においては、「やってみてダメならやり直せばいい」という姿勢だけでは済まされない面があります。

むしろ、過去から何を読み取り、どの失敗を繰り返さないかという視点こそが、新しい発想を現実に着地させるために不可欠なのだと思います。

「新しければ正しい」「斬新だから正解」ではなく、どのような制度や構想も、それが誰のために、どこに根ざし、どれほど持続可能かという視座を伴っていなければ、再び「やり直す余力」すら奪われかねません。

それだけに、新しい構想こそ、過去と現実を丁寧に見据えた上でこそ価値がある。私はそう考えています。

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