今年入学した高1生が語る青春リアル
2026 茨城県 中高一貫 適性検査
当日本番きました。
ここまで頑張ってきた本人を
褒めてあげたいです。
朝は普段どうりに、会場へ
送り出してきます。
結果についても共有できたらと
思いスレッドしたました。
合格を祈念申し上げます。
もう一度入試をしたら3割は入れ替わるとよく聞きますし、うちの子の場合、過去問で年度により20点くらい差が出ることも珍しくなかったもので。
悔しいながらも言葉を振り絞って書いたつもりでしたが、合格された子達への配慮に欠けていましたね。ご指摘ありがとう御座います。
合格した人は、合格という結果として努力したと言える。
不合格だった人も、努力した。
そのどちらも否定されるものではありません。
合否だけを根拠に努力の有無や価値を語るのは、受験を結果だけで裁き、過程として捉えていない所作だと思います。
中学受験は人間の優劣を決める判決ではなく、あくまで一つの通過点に過ぎないはずです。
納得できない方もいらっしゃるとは思いますが、合格・不合格を問わず、中学受験という経験は今後の糧になるものです。
他者を貶めることを正当化するような主張は、子どもが他者を自分の中のレッテルで判断するようになってしまうと思うので、慎重であるべきだと思います。
なんか、綺麗事だけ書いてる人がいるけど、どうかなって思います。
多くの人が時間もお金もかけて中学受験に取り組んでる中で、合格という結果以外を許容するなんて目的意識が低いと言わざるをない気がします。
試験は一回しかないのは誰もが知ってるのに、何回か試験をしたら合格者が入れ替わるなんて言うだけ無意味だと思いませんか?
皆、その一回にかけて準備をしてきたわけですよね。
あと、今回の措置に制度上の不利益がないと言ってる人がいますが、そもそもの前提条件が意味不明です。
事前に周知されていないものを制度と言っているのかな?
問題の文言追加の説明があった場合、その問題は間違っていても正解であると周知されているなら、制度と言っても差し支えはないと思いますが、今回はそうではありませんでしたよね。
追加合格の選定基準に公平性が担保されていないのに、そもそもの合格者が不合格になったわけじゃないとか、正答者の点数が下がったわけではないって、論点のすり替えでしかないです。
ある問題に対する追加説明の対処について、当該問題を正解として加点というのが、問題の間違いではなく心理的影響に対してのものであるという教育委員会の説明が、果たして学力試験の対処として正解だとお考えなのでしょうか。
他の方も書かれているように、その追加説明によって、他の問題の解答を中断してその問題に戻ったり、その問題に限らずにいろいろな影響があったことは想像に難くありません。
結果として、二転三転したものの出された措置は落とし所としては受け入れざるを得ないと思いますが、決して受験者に対する不利益を排除するものではないと考えます。
学力試験であるのに、学力以外の点で加点がされ、本来追加合格の順番待ちは学力試験の結果次第であるべきなのに、その問題をたまたま不正解だった人が14点増えてその待ち行列を繰り上げられるということに何も思わないのであれば、これ以上書くことはありませんが。
「学力以外の点で加点され、本来追加合格の順番待ちは学力試験の結果次第であるべきだ」という指摘がありますが、論理が噛み合っていません。今回の加点措置は、問題文の不備によって受検者が本来回答できた可能性を一律で補正したものであり、誰も損をしていません。正答者の点数が下がったわけでも、合格者が不合格になったわけでもないのです。
「不正解だった人が14点増えて順番が繰り上がった」と見えるのは事実ですが、それはあくまで補正の結果であり、誰かが被害を受けたわけではないという前提を無視した誤解です。学力試験としての公平性を語るなら、運営側が拾える範囲の影響を補正した今回の措置は合理的な手段であり、そこに「不利益」があると断じるのは筋違いです。
さらに「事前に周知されていないものを制度と呼ぶのか」という話もありますが、ここで議論すべきは制度の形式や名称ではなく、実際に受検者に不利益が生じたかどうかです。形式にこだわって不満を表明するのは、論点のすり替えに過ぎません。
結論として、今回の措置によって制度上の不利益は発生しておらず、学力以外の補正を問題視する指摘は、運営手続きの合理性を理解していないだけだと考えます。
「綺麗事」と切り捨てるのは、議論でも批判でもなく、単なる感情の吐き出しです。受験という過程で努力してきた子どもたちの頑張りを無視し、結果だけで優劣や価値を語るのは、過程を理解していない姿勢にほかなりません。
また、「合格という結果以外を許容するなんて目的意識が低い」という発言についてですが、目的意識はあくまで試験日までに集中すべきものであり、それに囚われすぎるとその後の成長や行動が鈍る恐れがあります。中学受験は人生の通過点の一つであり、最終目的は高校、大学、そして社会人として活躍することだと思います。合否だけで努力の価値や人間性を測る考え方は、視野が狭く、過程を軽視しているように感じます。
さらに、自分の不満を正当化するために他者や制度に呪いの言葉を投げつけても、何も前には進みません。それどころか、子どもたちに歪んだ価値観を植え付ける危険性すら孕んでいます。感情をきちんと切り分けなければ、建設的な議論は成立しないと思いますよ。
呪詛を振り撒く大人が一人でも減ればいいなと、個人的にはそう願っています。
そもそも、(当初の発表を覆した)後付けの補正に対して、疑うことなくその手続きの合理性を唱えることが私にとって理解に苦しむんですよね。
もちろん、それが決定事項ではあるから、受け入れざるを得ないと思っていますが、それ故にそこに公平性や公正性があるかどうかは議論の対象であると思っています。
だからこそ、今回の措置について、誰も不利益を被っていないと強弁することに違和感を感じるのです。
今回の影響を事後に決めた措置で一律で補正できたとする根拠はなんなんでしょうか。
誰もが納得するものであれば、このような意見は出ないと思うのです。
多分、決定事項に対しては、仮に加点措置をなしとする措置が出た場合でも合理性があると断じちゃうんだろうなってことで、これ以上の議論は無意味だと思うので、ここで筆を置きます。
あと、蛇足ですが、人生は多岐に渡るけれど、成功し続けることでしかみられない人生もあるわけで、それを目指すこと、結果を重視することを否定するのはまた違うのではないかと思っています。
結果を共わない努力を認めることが、将来の社会生活でどれだけ不利益を生じるか理解していないことを危惧します。
厳しいようですが、社会に出たら頑張ったからで済まされることは殆どないということを老婆心ながらお伝えさせていただきます。
ちょっと整理しますね。
まず、「後付けの補正の合理性を疑わず認めるのが理解できない」という点ですが、今回の加点は、問題文の不備で本来答えられたはずの点を一律で補正しただけです。正答者の点数が下がったわけでも、合格者が不合格になったわけでもなく、誰も不利益は受けていません。この前提を無視して「不公平」と言うのは、論理が合っていません。
次に、「誰もが納得するものなら意見は出ない」という話ですが、意見の有無自体を正当性の理由にするのはおかしいです。少数の異論や心理的反発は必ず出ます。大事なのは、補正の方法が合理的か、影響範囲が公平かどうかです。個人の納得感で制度の妥当性を判断するのは、議論の焦点をずらしているだけです。
あと、「多分、決定事項に対しては、仮に加点措置をなしとする措置が出た場合でも合理性があると断じちゃうんだろう」という推測についてですが、私はそのように断じるつもりはありません。そもそも現実には教育委員会は加点なしの措置を採用していませんし、仮定の話で議論すると、補正の中身や教育委員会の考えが不明確になり、意味が薄れます。評価は空想や推測ではなく、実際に行われた補正とその影響範囲で判断すべきです。論点はあくまで「今回の加点が合理的かどうか」です。
最後に、人生や社会の話も出ていますが、今回の議論の本質は学力試験の補正と制度の合理性です。結果重視や社会の現実を理解すること自体は否定しません。むしろ今回受験した子どもたちは、努力だけでは済まされない現実を感じています。それを理由に「目的意識が低い」などとレッテルを貼るのは論点の飛躍です。制度や補正の評価は、感情や推測ではなく、実際に採用された方法と影響範囲に基づくべきです。
今回の措置について「誰も不利益を受けていない」というのは、事実に基づいた説明です。感情や価値観で揺らぐものではありません。論点を整理して議論することが建設的だと思います。




































