女子美の中高大連携授業
戸建ての悪いところを教えてください
エデュではタワマンスレはいつも大荒れで戸建て一択と言う方もいらっしゃいますが、タワマンが買えない方の荒らし行為なので、戸建派の方、戸建ての悪いところはどこですか?
私はやはり簡単に強盗や空き巣に入られる所、せせこましい都内の鬱屈とした一軒家で、周りに開けた景色も無い庭よりも、タワマンの場合は敷地内に広大な公開空地があり植樹や広々としたテラス、季節の花で彩られ、読書や簡単な焚き火やデイキャンプまで出来る物件もあったりします。別段、自分の占有スペースで無いからの肩身の狭さ、寛げない雰囲気と言う感じもなく、住民だけのプライベートな空間で居心地も良いです。
エデュだと地に足が着いていないだの、秒で土が触れないだの戸建ての強引なメリットや、こじつけたタワマンのデメリットを並べる方が多いですが、戸建てで悪かったと思うこと教えてください。
>しかし、子どもたちが自衛手段を学ぶだけでは足りない。むしろ社会全体が、彼らにより良い選択肢を提供し、犯罪に走る道を遠ざける責任があるのだ。特に、ただ「自衛せよ」と押し付けるだけではなく、彼らが健全な選択肢を選び取る環境を整えることが必要である。教育の質を向上させ、雇用機会を増やし、地域社会全体が支え合う仕組みを作り上げるのが急務であると感じる。
スレ主さんの言われるとおりですが、ひとつ付け加えるならば、犯罪に関わってしまう若者に足りないもの、それは足るを知ることと思います。たしかに現在はネット上に実像虚飾に関係なく欲望があふれていますが、足るを知るこころがあれば惑わされることは少ないような。
返信ありがとうございます。
「足るを知る」心は確かに現代の若者に必要であるが、それだけでは社会の課題に対応できないと感じる。特に、外部からの刺激や欲望が溢れる現代において、若者たちは本質的な幸福を見失いやすい状況にある。
ブータンの例が象徴的である。国民総幸福量(GNH)を掲げ、幸福の国として知られていたが、インターネットを通じて外の世界の価値観に触れた瞬間、シンプルで純粋だった生活が揺らぎ、その幸福の基盤が崩れてしまった。これは、若者たちが外部の虚飾に惹かれ、内なる満足を見失ってしまった結果。同じ状況は日本でも形を変えて存在する、
しかし、ただ「足るを知れ」と教えるだけでは足りない。社会全体が、より良い選択肢を提供し、彼らが健全な選択をできる環境を整える責任がある。教育や雇用機会を増やし、地域社会全体が支え合うことで、若者たちは欲望に惑わされることなく健全な道を選び取ることができるのである。
多方、井上有一と言う孤高の書家がいる。
彼は紙と墨と言うごく当たり前の書道の材料を使い乍ら、書道の常識を打ち破り、現代的で革新的表現を追求した書家であり芸術家だ。
彼の書には、単なる文字の書写を超えた内面的な世界が映し出し、周りの空気、空間、見る人の内面をも変える。
書道であり乍ら、絵画でもあり、且つ深い思想や哲学でもある。
力強い意識を内包した止め、首をはねるような強い意志が込められたハネ、静止画の筈の書が鼓動を打つかの様な躍動感。
そんな有一の代表的な「一字書」。一枚の紙に一字のみ。その一字に言葉、感情、思想の全てを凝縮し閉じ込める。
彼が好んで書いた「足」「貧」という上下、2枚の紙に認(したた)めた一字の組み合わせ、連作。
古代中国の老子の教えに倣ったもので、貧困を表すものでは無い。
足るを以って貧と成す、過不足のない状態、すなわち満たされた幸福を象徴している。
物質に縛られぬ、内面の満ちた状態は「貧」と言う状態にこそ存在するという逆説。
本当の幸福は外部の富や成功に依存するものではなく、内面的な満足、つまり「足るを知る」心にこそある。社会がその内面的な豊かさを育む環境を整えない限り、若者たちは外部の幻想に翻弄され続けることになる。
ネットが作り出す、貧富の二極化と同時に、画面の中に存在する虚構の物質文化の極み。
その虚構の世界で、多くの中年、老人が偽りの成功や豊かさを装う行為は、一時の安らぎを彼らに与えるやも知れぬ。しかし、その心の平安は、麻薬の様に精神を鈍麻させ蝕み、やがて儚く消えて行く。仮に真の成功得たとて、得た瞬間に人はそれを失う恐怖に苛まれる。物質に裏打ちされた幸福など所詮は砂上の楼閣に過ぎぬ。
対して有一の作品が示す幸福は、永続的で普遍的なもの。
虚構の向こうにいる人がどれだけ品(ひん)を装っても、そこに本物の幸福は存在しない。
真の幸福とは、外部に依存しない、揺らぎの無き心の充足感であり、井上有一の書が体現する、足を知る貧の中にこそある。
エデュで好んで私が使っているコトバ、Rather than being in a crowd without reason, become isolated with a reason(意味なく群れるより、意味のある孤立を。)
に準え若者たちへ。
Rather than pursuing illusory wealth, seek the eternal richness of the heart
虚妄の富よりも、永遠なる心の豊かさを。
返信ありがとうございます。
知性の問題で片付けるのは早計であると考える。オウム事件をはじめ、ハルマゲドンに傾倒した高学歴者の存在、テロリストが軒並み高学歴であることなど、これらは知性そのものが犯罪への免罪符とはならない傍証である。むしろ、知性や学歴を持つがゆえに抱える社会的なプレッシャーや虚無感が、彼らを極端な思想や行動に走らせる要因となることもある。風俗に従事する子の多くが「境界以下」と言われることがあるが、それも一面的な見方に過ぎない。
若者や犯罪に走る者たちが抱える問題は、単なる知的能力の欠如ではなく、社会の構造的な問題や彼らの精神的な支えの不足にある。知識や知性があっても、それを支える環境が欠けていれば、人は容易に迷い、時に破壊的な行動に出ることもある。現代社会の中で、私たちはその精神的な虚無をどう埋めるかに注力すべきであり、単純な知性の有無で問題を片付けることは避けるべきである。
返信ありがとうございます。
確かに、若者を「軽い表現で」高収入バイトに引き込む手口は巧妙であるが、それを素人が「加減せずに襲いかかる」だけの話に留めるのは、余りにも表層的で単純すぎる。現代社会の問題を、ただ鬱積した不満や経済的な誘惑のせいだけにするのは、問題の根本に届いていない。
「鬱積」とは一体何なのか。それは単なる経済的な問題なのか?むしろ、現代の若者にとって、より本質的な問題は社会との断絶や孤独感、自己実現の道が閉ざされていることではないだろうか。彼らは物質的な報酬に惹かれるのではなく、何かしらの存在意義を求めているのではないか。こうした犯罪は、ただの「鬱積」ではなく、自己実現の場が社会的に排除されていることへの反動の一端であると言える。
小説のような犯罪、と言って軽視してはならない。これは現実の問題であり、彼らが本質的に感じているのは、社会の無関心や自分の存在が無意味であるという感覚に他ならない。犯罪に走る若者たちが抱える問題は、単なる一時的な鬱屈や経済的な欲望ではなく、社会的な孤立や疎外感を原因とするより深い問題であることを見過ごしてはならない。
加えて、擁護する訳ではないが、首謀者達のロジックも相当に巧妙だ。目の前の老人たちを「強欲なババー」「お前達に貧乏を押し付けてのうのうと暮らす死んで当然の人間」と言葉巧みに彼らに溜まったフラストレーションを狂気に変換して攻撃させているからだ。
鬱積したフラストレーションはそれ自体火薬ではあるが、起爆装置が無ければ爆発はせぬ。逮捕される実行犯の多くが前科が無い事にもっと注意を傾けるべきだろう。




































