女子美の中高大連携授業
長生きの功罪
昨年79歳で義父はペースメーカーをいれました。
心臓は元気でも体力は当然老人で、疲れるようで、訪問しても、いっしょに昼食と取ってもすめば、部屋にこもりお昼寝です、
起きてくるのは夕方。<何しに訪問に行くのか・・・もわからなくなりつつあります>
痴呆症も始まり5分前に言ったことをまた言う。。。。。で
義母もイライラしているようです。
今年金婚式だったのですが、「80になり、早くお迎えが来てほしいが90までは生きる」発言には正直ひきました。
現役世代や子供が小さいうちは、延命行為?は必要だと思いますが
70過ぎればもう自然に任すのがいいのでは。。。。と思います。
月20万の医療費だが無料だと声高に言っておりました・・・・無駄だなって思ってしまいました。
あの老人は自殺ですよ。
だから、全くマスコミも触れないのです。
骨折で今だ入院中とか。
怪我が癒えてもほとぼりが冷めるまで出て来られないでしょうね。
それにしても、あの美談騒動にはちょっと‥
ほいほいマスコミの前に現れる両親、目の前で娘が轢死した直後とは思えない受け答えに?が一杯でした。
最近、ヒゲ(憔悴しきった無精ヒゲではなく)にサングラスみたいな出で立ちの遺族が多くないですか?
私の気のせい???
つい最近、近所の大型スーパーの駐車場で、80代を上回っているだろうと思われる老夫婦が、
サイドブレーキを上げたまま、ギーギー物凄い音を立てて、進行方向ではなく逆走していました。
超お年寄りがこの頃、運転している姿をよく見ます。
高速道路でも、ブレーキを踏みながら、流れに全く乗れずに走っている車はやはり、老人がドライバー。
どうして運転免許の更新が出来るのでしょうか?
年齢制限を設けるべきだと思います。
台風被害はお気の毒。
でも自力で避難できないのに、島外避難は嫌だとごねる老人ってどうなのでしょう。
避難と言っても体育館でゴロ寝等ではなく、都営住宅や病院を用意しているそう。
さすが東京都。十分ではないですか。
老人にとって住みなれた環境で暮らすのが大事というのは、よく分かります。
でも今は緊急事態です。
ノスタルジーに浸って、まだ行方不明者の捜索が続いているのにこれ以上若者の負担を増やしても、何とも思わないのでしょうか?
万が一、ゴネ老人の救助に係わって若い消防団員や警察官が命を落とすようなことになったら、どうするのでしょう。
素直に消防団の勧めに従って荷造りをしていたおばあちゃんがとても常識的で素敵に見えました。
わたしもそれ思いました。
「なるべく離れたくない」という老人か映った後に
「どうにか町人の命を守らなければ」という若い消防団員さんが映り、
分からず屋の爺さん婆さんがたくさん残っているので消防団員さんたちは離れてくても離れられないねと思いました。
妻と子供は避難させ、お父さんだけ残っているという家族も多くあるだろうに。
難しい問題だとは思いますけれど 議論の余地も少しはあると、私は思っています。
現代はあらゆる情報機器やハイテクにより、危機や非常時といわれる時に備えて万全の備えが可能になりつつあるし、自治体や防災団体~個人のレヴェルに至るまで、あらゆる対策がとられるようになってはいますが.....現実的に考えて、救いきれない命というものはどうしても発生してしまうのが、この世の倣いだと思うのです。
自治体やマスコミは、けっしてこんな事 語ろうとはしないと思いますが、子孫をつくり、この世での主なる働きは終えて、「余生」とでもいうべき時間をおくっている高齢の人々の中には、「人工呼吸器」や「胃ろう」を拒否する権利と同じく、「緊急避難/救出」の意思表示をする人々が、いくらかはいると思うんですよ。つまり、自治体やレスキュー隊や若い家族達に、彼らの生存を危機にさらす程の重たい負担をかけてまで老齢の自分は現世に生き延びたいのかと自問して、何の迷いなく「否」の判断をするような人々。
人の命は等価だとはいうけれど、生物学的には、体が灰燼に帰す順番はけっこうきまっていて、将来、生殖活動や子育てに骨身を削る未来のある世代こそ真っ先に生き残るべき存在。それならば、灰燼に帰すのが間近であると自覚してたら、「みすてて逃げてくれ、私はそれで構わないしそれで満足なんだから」という高齢者の態度があってもいいと思う。緊急時にあるなら余計に その願いは受け入れられるべきとも思うのですが。
実際問題として意思確認が難しいかもしれないけど、これだけ少子高齢化してるんだから、覚悟を決めた高齢者が、そのての「緊急救命延命拒否」の意思表示をする、いわゆる「ドナーカード」や識別ネックレス的な物があっていいと私は思うし、すこしは議論が有ってもいいと私は思うのですが、こちらの皆様はどうお考えでしょうか。
みすてても/ 様に全く同感です。
ですが、実際にはなかなか潔く行かないのが現実なのではないか?と感じています。
少し話は違いますが、私の父が脳梗塞で倒れ、現在療養中です。
父は倒れる直前まで元気で、自治会活動や自家農園に精を出す地域でも信頼されている人でした。
今でこそ少しは口から食べられるようになりましたが、生活の全てを前介助で過ごしています。
この数カ月の入院生活ですっかり表情は乏しくなり、リハビリへの意欲も無いようです。
そんな父が倒れる1ヶ月前、父の誕生日祝いの席でしたが、親族が集まったのでこの機会にと父母に将来自分の延命処置をどうして欲しいが?聞いた事があります。
父は『イロウも鼻管も人工呼吸器もしないで良い。自分で食べられなくなってもそのままで良いから。』と言っていました。
家族、親族皆納得したのですが、いざ本当に命の危機に遭い実際食べられなくなると鼻管が入り、イロウの話も出てきて親族でもめました。
現在でも父は『小さく切ってくれれば何でも口から食べる。』と言っていますが、嚥下機能が弱いから、と言う事で鼻管生活がつづいています。
父の元気なころの意思を尊重するなら、在宅へ帰ったら鼻管を抜き、少しずつでも口から食べさせ寿命を迎える。という余生が望ましいのかと思うのですが、本人の意思とは言いつつも、弱っていく事を知りながら鼻管を抜く決意が親族一同出来ない状況です。
災害時、「緊急救命延命拒否」を示すカード等を老人が持っていたとしても目の前で苦しんでいたらそれを見逃して通り過ぎる事は助ける側としてもつらく苦しい事になる気がします。
過去の大震災でDrが《トリアージカード》を使って救命の順番を指示しました。
医師の指示だからこそ出来たある意味’みすてられた’命。
現場の医師でさえその決意は辛かったと思います。
なので、よほどの立場の人でない限り’みすてる’事自体大きな心の負担になるのではないかと思ってしまいます。
個人の意思を尊重した余生。現代ではなかなか難しそうですが、自分の時は是非そうあって欲しいです。




































