女子美の中高大連携授業
朝日新聞を見つめて
6月6日朝刊、「軍人の子という負い目がある一方、、、」
6月6日夕刊、韓国新聞社の日本語タブロイド紙が人気云々、、
よくやってくれますねえ。
皆さんも、お子さんとじっくり朝日新聞を読んでみて下さい。
ひまわりさん
>報道とは事実を報道する事を最優先させるべきだと思います。
でも、朝日の場合は報道の中に「こうあるべき」という「朝日独自」の姿勢が優先されているように思います。
>たいていの人は新聞には事実がかいてあると思っています。
世の中がどうなっているのか、今日は何がおこっているのかを新聞によって知ることになり、二俣川様が仰るように私達の判断材料となるのです。
朝日擁護派でないことをまずお断りしておきます。そのうえで。
報道は事実を伝えることを優先する「べき」だとおっしゃるのはわかります。僕も以前はそう考えていました。
しかし、実際に、新聞には事実が書いてあるとは到底考えられない。だから、今は「べき」とも思わなくなりました。
仕事で、取材を受けて記事になることがよくありますが、取材を受けるときにはすでに報道側のストーリーはできていて、どのように受け答えしようが、ストーリーに都合のいいようにこちらの言葉が使われるだけだということをいやというほど知らされているので。ひまわりさんのおっしゃる、「こうあるべき」という姿勢が優先されるということですが、それは朝日新聞に限らず、どのメディアでも同じ、ということは確かです。唯一、テレビ(ラジオもか)生出演の場合はだけは、事前の打ち合わせストーリーに逆らうことも可能ですが。
取材されるというのは一般的でないとしても、みなさん、勤め先とか、身の回りのことが記事になって、いや、そうじゃないんだけどな、という思いをされたことはあるんじゃないでしょうか。それが、自分に直接関係しないことになると、事実が書いてある、と思ってしまうのは、ちょっとナイーブ(失礼!)じゃないかな思ってしまいます。
今は僕は「報道はストーリー、物語である」と考えています。事実が何であるかは、色々な情報の中から所詮自分で掴み取るしかないと思っています。
>今は僕は「報道はストーリー、物語である」と考えています。事実が何であるかは、色々な情報の中から所詮自分で掴み取るしかないと思っています。
同感である。
どのへんに脚色があるのかと、批判的に読めば、
朝日新聞はなかなか面白い新聞である。
前から申しているように、
私は、継続購読をするつもりである。
笑
あれ、スレチでした。ひまわりさん、ご覧になっていたら、続きは女性宮家スレでやらせて下さい。
自由さん
ご理解頂いていると思いますが、僕の論点は、朝日新聞に限らず、全てのメディアが、自由さんの言葉で言えば脚色している、と考えてかかることが必要ではないかと言うことです。
>批判的に物事を考える意味では、
二俣川君のような変わった意見も貴重であり、
尊重されなければならない。
自由さんのおっしゃるとおりだと思います。
人間、多かれ少なかれ都合のよい情報だけをみて、都合の悪い情報は見ない振りをする部分があると思います。
彼らを反面教師として自戒したいと思います。
>自由さん
ご理解頂いていると思いますが、僕の論点は、朝日新聞に限らず、全てのメディアが、自由さんの言葉で言えば脚色している、と考えてかかることが必要ではないかと言うことです。
私も君の意見と同じで、
何らかの立場から、物を書く以上、新聞社が完全に「中立、公正な報道」をすることなどあり得ぬと思っていて、朝日新聞が何らかの偏った立場から記事を書いているのは間違いないと考えている。
二俣川君なんかの場合は、
>国家に対する正義を主張する朝日新聞
を前提に朝日新聞を擁護するが、
私は、朝日新聞の記事を、絶えず、ホントかよ?と疑いながら読んでいて、
>疑いながら読む朝日新聞
という意味で、二俣川とは全然違う視点から、朝日新聞の存在価値を認めている。朝日新聞の購読継続をやめない理由はそこにある。
朝日新聞の偏向記事、二俣川君のヘンな意見は、一見無用のように感じるのだが、実はそうではなくて、論理的に、批判的に、叩かれることによって何かの役に立っているのである。
少数意見の尊重は、民主主義に重要なファクターである。
>自由さんのおっしゃるとおりだと思います。
人間、多かれ少なかれ都合のよい情報だけをみて、都合の悪い情報は見ない振りをする部分があると思います。
彼らを反面教師として自戒したいと思います。
おっしゃるとおり、自省の気持ちは重要だし、そういった気持ちが、私たちの心地よい社会を形づくっているが、
中国人、韓国人などとの対比でよく分かるとおり、日本人の場合はむしろ、
>自省が利きすぎる国民性
により言いたいことを我慢することが、二俣川君が指摘するのような民度の低さにつながるのではないかと考えている。
民度を高めるという意味では、
論理的に批判する限りにおいて、どんどん積極的に問題意識をもって批判をやればよいのである。今回の朝日新聞の誤報、二俣川君の変わった意見は、批判する対象として、よい材料である。




































