女子美の中高大連携授業
朝日新聞を見つめて
6月6日朝刊、「軍人の子という負い目がある一方、、、」
6月6日夕刊、韓国新聞社の日本語タブロイド紙が人気云々、、
よくやってくれますねえ。
皆さんも、お子さんとじっくり朝日新聞を読んでみて下さい。
自由よ。
君は本当に何も知らないのだな。
戦前の凶暴な皇国史観によって、歴史学の科学的発展は阻害された。
少しでも学問的に皇国史観と異なる見解を公表すれば、発表者が不敬罪で処罰される恐れが大であった。
その後、戦後になって「日本記」などの神話性が公式に確認され、自由な研究が可能になった。
そこで、登場したものが文化勲章受章者である江上・東大名誉教授が主唱した『征服王朝説』だ。
古代のことゆえそれを正確に裏付ける考古学的証拠が足りないことは残念だが、説得力としては
この学説がもっとも自然である。
二股皮(訓読み)
関係のない話で誤魔化さない(笑)
私が大阪市役所の人間に感謝されたり、謝られることはあっても、私が大阪市職員に謝ることなんて寸分もないわ。
全く何の話かしら、意味不明(笑)
やはり愚民ね、二股皮(訓読み)は。
だから影響を受けて朝日新聞のその手法をまねて誹謗中傷するのかしら。
いや、サヨク典型の手法と言うか手口なのかしら(笑)
お腹を抱えるほどおかしくて眠れなくなるじゃないの、老人学生さん、迷惑だわ。
刺青教師や、勤務時間中の選挙活動や、卒業式の国歌斉唱中に胡坐をかく教師や、あげるだけでもキリがなかったわね。
本当に橋下市長ががんばってくれて、大阪市職員も良くなったわ。
市長に悪態をついていた職員もおとなしく働いているのかしら(笑)
大袈裟に事実を捻じ曲げる傾向のある二俣君や朝日新聞、NYタイムズなどを見ていると、
戦前、戦中の日本は思ったほど非民主的でもなかったのかもしれないと思えてくる。
実際、憲兵がいたるところで目をひからせて息苦しいイメージを植えつけようという意図が
感じられるが、東京などの限られた地域のコミュニスト、テロリストなど対象はかなり限られた。
『はだしのゲン』の親父も結構おおっぴらに天皇批判してもお咎めなしだった。
ナチスドイツについても疑わしい。ユダヤ人に対する偏見や隔離政策はあったのは事実だろうが、
ガス室での数十万人の虐殺あたりは胡散臭い感じがする。食料が十分に与えられずに餓死したり、当時、
流行したチフスなどによる大量死、一部の部隊による規律違反の虐殺が実情だろう。
30万人を組織的に虐殺するのに公文書、写真等記録がないのは胡散臭いし、現在のナチスに関する
言論封鎖も異常であると感じられる。
正しい歴史認識に目覚める人間を増やすため
二俣君には今後もあさひることを期待する。
>戦前の凶暴な皇国史観によって、歴史学の科学的発展は阻害された。 少しでも学問的に皇国史観と異なる見解を公表すれば、発表者が不敬罪で処罰される恐れが大であった。 (二俣川君)
二俣川君が言わんとする歴史学の科学的発展というのは、要するに、マルクス主義歴史学なのだろう。
前から申しているとおり、私は左翼でも右翼でもない、是々非々で考える立場だが、
皇国史観への批判は理解できるものの、旧ソ連、中国で行われた悲惨な粛清を考えると、マルクス主義歴史学も皇国史観同様、イデオロギーに基づく全体主義に問題を感じる。
皇国史観、マルクス主義歴史学は、ベクトルが逆のように錯覚してしまうが、何のことはない、実は、そのベクトルは球体の上にあって、突き進んでいくと球体の裏で、「全体主義」という軸で同じところにたどりつくのである。
「朝日新聞の正義」の賞味期限はとっくに切れた
朝日新聞が慰安婦問題を吉田調書と一緒に出したのは、ダメージを薄めるためだろうが、この二つの誤報には共通点がある。それは多くの人が指摘する、正義のためなら事実を曲げてもいいという社風である。
同業者からみると朝日の記者は思い込みが強く、話が画一的なのだが、彼らのツイッターをみると、自分では「自由闊達な社風」と思っているようだ。その原因は私の印象では、朝日の記者は正義の存在を信じているためだと思う。NHKも読売も、権力に片足を突っ込んでいるので、自分が純粋だと思ったことはないが、朝日の記者は自民党政権に対峙して純粋な正義の立場から「国家権力を監視」しているつもりなのだ。
このため55年体制では社会党を支援し、最近では民主党政権を支援する姿勢をはっきり打ち出し、それにそって報道した。原子力については、2011年7月に論説委員室が「原発ゼロ」を打ち出し、社会部(特報部)がそれにそって「プロメテウスの罠」などの主観主義報道を続けた。あれを許した結果が、今度の吉田調書の大失態になったのだ。
このような党派性は、知識人の永遠の課題である。有名なカミュ=サルトル論争では、カミュが『反抗的人間』で革命のために殺人を容認する共産党を批判したのに対し、サルトルは、すべての価値観を疑う反抗的人間は特定の党派にコミットしないので、社会を変えることができないと批判した。しかし彼ものちに共産党と訣別し、「反抗的人間」になった。
団塊の世代までは、サルトル的な発想が普通で、客観報道なんて「ブル新」の寝言だと思っていた。丸山眞男が全共闘を批判したのは、この点だった。彼の出発点は(東大哲学科の主流だった)新カント派で、ここでは事実と価値は明確に分離され、SeinからSollenは導けないとされた。これが真理と党派性を混同するマルクス主義になじめなかった最大の理由だという。
ただ丸山のマルクス理解は、レーニンの素朴実在論に近い。これに対して廣松渉は、マルクスに「価値観(イデオロギー)が事実を拘束する」という新カント派を超える認識論を見出した。これはデリダなどと同じ解釈で、文献学的には正しいが、すべての価値観を相対化すると革命はできない。
朝日の場合も、理念なきL正統である自民党政権に対抗するには、何かの理念が必要だったのだろう。それが終戦直後には憲法第9条であり、ある時期までは社会主義だった。80年代までの朝日新聞は「悔恨共同体」の知的遺産を継承し、自民党を監視する(理念だけの)O正統として、それなりの役割を果たしたともいえる。
しかし90年代には社会主義が崩壊し、平和憲法も風化したため、アジアとの和解とか反原発とか、朝日もいろいろな正義をさがした。「慰安婦問題の本質」が女性の人権だなんて、90年代には言っていなかった。彼らはそれを日本軍の戦争犯罪として糾弾したのだ。それが強制連行があやしくなったら、広義の強制やら女性の尊厳やら、あとから取って付けたご都合主義の「本質」が出てきた。
気の毒だが、そういう正義の賞味期限はとっくに切れた。朝日の記者でさえ、憲法第9条さえ守っていれば中国が攻撃してきてもOKと信じている人はいないだろう。そういう無理が今回、劇的な形で表面化したともいえる。もう彼らの好きな反権力という気負いを捨て、事実を淡々と報道する普通の新聞になったほうがいいと思う。 .
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頭の悪い人は良く記事を読むように。
読んでも分からなければ、10回ノートに書き写しなさい。
朝日新聞社は16日までに、5月20日付朝刊の「吉田調書」報道の間違いを認めて記事を取り消したことについて、東京電力を訪問しておわびしたいとの意思をお伝えしました。東京電力広報部からは「このたびの吉田調書に関する朝日新聞社様のご見解については、12日の朝刊紙面により十分ご説明いただいているものと思っておりますので、わざわざお越しいただくまでもございません。あらためて社員一人一人の気持ちを高め、福島の復興が原点であることを肝に銘じ、長期にわたる廃炉作業に正面から向き合い、事故の当事者として責任を全うしてまいりますので、ご理解いただきますようお願いいたします」と文書で回答をいただきました。
あらためて東京電力ならびに関係者の皆さまにおわびするとともに、誠意をもって対応させていただきます。
2014年9月17日05時00分 朝日新聞デジタル




































