在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
「女性宮家」創設へ
皇室の弥栄を願います。
>>共和制の反対語は、君主制。
>痴呆の老人て意味のないことを引っ張り出して、同じこと何回もいうんだよね。
笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑
まあ、それは仕方がない。
二俣川が痴呆老人だから。
笑
二俣川
1 象徴とは、一体何なのか定義づけること。
2 その定義づけた象徴が、なぜ、共和制と対立するのか論証すること。
※なお、その対立点に関しては、具体的に何が対立しているのか、
権力なのか。
権力なのか。
権威なのか。
等々明確に書きなさい。
偉そうに学識はぶるなら、
せめて、それくらいのことはやりたまえ。
本のコピペでも、 自称早稲田で通用するのだろうが、
それでは学問とは言えない。
笑
以下は、別スレの二俣川の憲法学者の見解の引用。
>このことにつき、高名な憲法学者であった佐藤功教授も次のように述べている。
>「以上のように、今日において、国民主権・共和制が支配的な傾向である。(中略)君主主権の思想の時代は、今日においては、もはや終わったと言わなければならない。『日本国憲法概説』(学陽書房)」【①】
これは正しくは、
「そして日本においてもまた、なお天皇の制度は存続してはいるが、国民主権が宣言された。以上のように、今日において、国民主権・共和制が支配的な傾向である。イギリスやベルギーや北欧諸国においてはなお立憲君主制が維持され、且つそれが安定しているといわれるが、これらの国の立憲君主制は、旧ドイツ的な立憲君主制とは異なるものであり、議会制君主制とよばれる。(中略)要するに、このように今日においても君主主権・君主制の残存はなお認められるが、それは過去における専制君主制ではないことはもとより、旧ドイツ的な立憲君主制ですらなく、それらに現れていた君主主権の思想の時代は、今日においては、もはや終わったと言わなければならない。『日本国憲法概説』(学陽書房)」【②】
である。
二俣川のこの
②→①
の捏造ぶりには大笑いするしかない。
この文章から分かるとおり、
佐藤功氏が否定したのは専制君主制、旧ドイツ的な立憲君主制であって、
日本の象徴天皇制ではない。
二俣川は、象徴天皇制を否定するために、佐藤功氏の見解を
つまみ食い
したのである。
笑
佐藤功氏の見解としては、以下を参照。
象徴天皇制を「国民主権下の君主制」として認識している。
「この憲法の下における日本国の国家形態を君主制と見るべきか、共和制 と見るべきかも問題になる。それはまた天皇を元首たる君主と見るべきかの 問題でもある。この問題は、君主制・共和制の定義、その区別の基準をどこ に求めるかによって結論を異にすることとなる。......(略)......本国の国家 形態はかつての絶対君主制や立憲君主制のような伝統的・典型的な君主制に は属さないことは明らかであるが、右の歴史的発展のなかに新たな君主制お よび君主の概念(定義)が生じてきたということができ、この定義に即して 見るならば、日本国はなお君主制とよぶことができる。......(略)......要するに、この憲法下の日本国は伝統的・典型的な君主制には属さないが、同 時に伝統的・典型的な共和制にも属さない。その意味では「中間的な国家形 態」であるともいえようが、そのような位置づけはなお伝統的な君主制と共 和制との基準に基づいた位置づけであり、むしろ新たな君主制の基準に基づ いて「国民主権下の君主制」とよぶことが適当であろう。」(『憲法(上)新版』 佐藤功 35-37 頁)
以上の佐藤功氏の見解を確認した上で、
以下の二俣川の言いがかりを読んでいただきたい。
まるで、マンガというしかない。
笑
>投稿者:二俣川 (ID:6xt24Znwja.)
投稿日時:15年 10月 14日 14:21
国民主権主義と象徴天皇制につき、憲法1条は真正面から対立する天皇の存在と国民主権との関係、とりわけ両者の接触面や対立面を示した。
その主意は天皇の地位が「主権の存する日本国民の総意に基づく(1条後段)」にある。象徴規定は本来2義的なものである。象徴天皇制が政治的妥協の産物であった沿革からも首肯できよう。
したがって、現行天皇制に絶対的存立の正当性なく、主権者であるわれわれはいつでもこの封建制の遺物を始末できるということでもある。
このことにつき、高名な憲法学者であった佐藤功教授も次のように述べている。
「以上のように、今日において、国民主権・共和制が支配的な傾向である。(中略)君主主権の思想の時代は、今日においては、もはや終わったと言わなければならない。『日本国憲法概説』(学陽書房)」




































