在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
「女性宮家」創設へ
皇室の弥栄を願います。
佐藤功氏の見解を再掲。
佐藤氏は、象徴天皇制を「国民主権下の君主制」として認識している。
国民主権と象徴天皇制は矛盾しない。
「この憲法の下における日本国の国家形態を君主制と見るべきか、共和制 と見るべきかも問題になる。それはまた天皇を元首たる君主と見るべきかの 問題でもある。この問題は、君主制・共和制の定義、その区別の基準をどこ に求めるかによって結論を異にすることとなる。......(略)......本国の国家 形態はかつての絶対君主制や立憲君主制のような伝統的・典型的な君主制に は属さないことは明らかであるが、右の歴史的発展のなかに新たな君主制お よび君主の概念(定義)が生じてきたということができ、この定義に即して 見るならば、日本国はなお君主制とよぶことができる。......(略)......要するに、この憲法下の日本国は伝統的・典型的な君主制には属さないが、同 時に伝統的・典型的な共和制にも属さない。その意味では「中間的な国家形 態」であるともいえようが、そのような位置づけはなお伝統的な君主制と共 和制との基準に基づいた位置づけであり、むしろ新たな君主制の基準に基づ いて「国民主権下の君主制」とよぶことが適当であろう。」(『憲法(上)新版』 佐藤功 35-37 頁)
二俣川さん。
私は、二俣川さんの主張にシンパシーがないと書いたのですけれどね。感情論だけでもないのですよ。
一つだけ簡単に書くなら、理論や理屈としても、それを第一義とすれば理屈として成立するでしょう。
私は、それを第一義とはしないのですよね。ということです。
何を第一義とするかは価値観なのでしょうね。
こんなこと書くと、また、ここの主役たちから、突っ込まれちゃうかしら。
www. 笑 はははは が尋常じゃない人はまともじゃないですからね。まともだと思いますか?二俣川さん。
>すごいスレね さんへ
ご忠告に深謝。
お説の通り、ある意見に対しては多様な考えが共存するもの。
ゆえに、議論が不可欠。
しかし、こうも不可解な粘着ばかりでは前向きな意見交換も困難。
たしかに国民主権ゆえの天皇制廃止は私の持論。
しかし、これは学問上の見解であっても、感情論や恨みの次元ではない。
天皇・皇族から嫌がらせを受けたことはない(むしろ、職業軍人であった祖父は武功により明治天皇から叙勲された)からだ。
そこで、誰もが所与の存在として疑問抱かぬ現行天皇制に対して、
あえて問題提起を続けることも私の狙いの一つ。
いずれ少数意見から多数へのそれと変化する端緒となることを信じて。
それが正しい歴史の発展であることも信じて。
>たしかに国民主権ゆえの天皇制廃止は私の持論。
しかし、これは学問上の見解であっても、感情論や恨みの次元ではない。
憲法学者の主張をコピペし少し捏造、改竄をする。
象徴天皇は否定論の出来上がり。
まったくもっての感情論である。
笑
二俣川の捏造、改竄は何度見ても面白い 笑
自称早稲田の二俣川は、
早稲田に憧れるあまり、小保方氏のモノマネをしたらしい。
(再掲)
原文「そして日本においてもまた、なお天皇の制度は存続してはいるが、国民主権が宣言された。以上のように、今日において、国民主権・共和制が支配的な傾向である。イギリスやベルギーや北欧諸国においてはなお立憲君主制が維持され、且つそれが安定しているといわれるが、これらの国の立憲君主制は、旧ドイツ的な立憲君主制とは異なるものであり、議会制君主制とよばれる。(中略)要するに、このように今日においても君主主権・君主制の残存はなお認められるが、それは過去における専制君主制ではないことはもとより、旧ドイツ的な立憲君主制ですらなく、それらに現れていた君主主権の思想の時代は、今日においては、もはや終わったと言わなければならない。『日本国憲法概説』(学陽書房)」
↓【 二俣川の捏造、改竄 】
二俣川のコピペ「以上のように、今日において、国民主権・共和制が支配的な傾向である。(中略)君主主権の思想の時代は、今日においては、もはや終わったと言わなければならない。『日本国憲法概説』(学陽書房)」
こいつ、サイテー 笑




































