女子美の中高大連携授業
歴史はロマン
古代史の理解を広めていきたいと思います。
仮説であってもその刺激感がたまりません。
自由さん
>朝方、空が雲に覆われ、部屋の大きな窓からあいにくの天気を残念がっていたのだが、やがて雲に切れ間が生じ、そこから日光が海に真っ直ぐに降り注ぐ光景を見たとき、
学生時代によく利用した城ヶ崎海岸のペンションから望む伊豆大島の景観。元町に雲の切れ間から降り注ぐ陽射しが当にそれだった。
そういえば平田実篤だったか、、伊豆諸島の開祖と言われる事代主命(三嶋大社御祭神)は元々は出雲の神だったという説もあるらしい。利島の「神代」椿、式根島の「神引」展望台、あるいは神津島の「天上」山など、神話を連想させる名所がその伝承と共に全国至る所に在るのが、この国で神話が生きている証しだと思うところ。
ひまわりさん
>崇仏論争の信憑性を探っておられましたが、結論は全くの虚構とは言えないものの仏教は付随的な問題に過ぎず、本質は政権内における蘇我と物部との権力争いであったというのがおおよその見方であること、
馬子の妻は守屋妹だったのですがね、、広瀬(奈良県北葛城郡河合町)で営まれた殯宮(もがりのみや)で奏上された誄儀礼で守屋、「獵箭中(ししやお)へる雀鳥(すずめ)の如し」、これに対して馬子が「鈴を懸くべし」と笑ったとあります(「蘇我氏ー古代豪族の興亡」倉本一宏著、中公新書)。
一見、子供じみた争いに見えるが、書紀では世代を超えた崇物争論が続いたことになっている。倉本氏によれば蘇我・守屋の対立は書紀が寺院系、具体的には何らかの飛鳥寺系縁起を原史料にしたからではないかとの事、なるほどと思いました。
ご指摘のように物部系本拠地には渋川、石上の廃寺が造営されるなど排仏一辺倒ではなかった。
>高松塚古墳
IBBYニューデリー基調講演で皇后陛下は、「一国の神話や伝説は正確な史実ではないかもしれませんが、不思議とその民族を象徴します」と述べておられます。天皇の御代ごとに宮を新しくする(先に書いた斎宮の卜定も同様)歴代遷都の風儀が都城制導入によって終焉を迎えるわけですが、この契機が藤原京(694~710年)の建設で、四神相応、唐風の飛鳥美人の壁画などにみられるように、宮廷儀礼の変化を招じる。高森明勅氏によれば大嘗祭の成立もこの頃ではないかとのこと。いうなれば皇室文化の転機とも捉えられるわけです。
この辺りのご認識も含めてどのような「お言葉」が発せられるか、、楽しみなことです。
しかも、お前(自由)自身が真の下手人である私個人への誹謗・中傷目的での噴飯もののスレッドの数々。
当然ながら、その都度管理者によりスレごとすべてゴミ箱行きと相成った。
当たり前である。
それでも、なお懲りずにでっち上げを繰り返すその悪質さ。
呆れるばかり。
まさに、確信犯。
異論あるなら、内容で反論しろ。
姑息な嫌がらせなどせずに。
もっとも、それでも今後も同じ非違行為を繰り返すのであろう。
卑怯者らゆえ。
刑法の団藤重光先生のいう「犯罪とは、行為者人格の主体的人格化」だ。
もはや「矯正不能」につき、『極刑』しかあり得ないのではなかろうか。
この連中には。




































