女子美の中高大連携授業
歴史はロマン
古代史の理解を広めていきたいと思います。
仮説であってもその刺激感がたまりません。
>学生時代によく利用した城ヶ崎海岸のペンションから望む伊豆大島の景観。元町に雲の切れ間から降り注ぐ陽射しが当にそれだった。
>そういえば平田実篤だったか、、伊豆諸島の開祖と言われる事代主命(三嶋大社御祭神)は元々は出雲の神だったという説もあるらしい。利島の「神代」椿、式根島の「神引」展望台、あるいは神津島の「天上」山など、神話を連想させる名所がその伝承と共に全国至る所に在るのが、この国で神話が生きている証しだと思うところ。
古事記研究者の三浦佑之氏によれば、
その垂直的世界観は北方系、父系的、天皇、弥生的によるものだが、
出雲といえば、葦原の中つ国、根の堅洲の国とスサノオ→オオクニヌシは、南方的、母系的、国つ神、縄文的・・と水平的世界観ということらしい。
しかし、そもそも縄文人の観念のなかに、
天孫降臨思想があったのではないだろうか。
日向で見た天から降り注ぐ陽射しの体感が、そのことを感じさせた。
冷静にかんがえるとさん
>学生時代によく利用した城ヶ崎海岸のペンションから望む伊豆大島の景観。元町に雲の切れ間から降り注ぐ陽射しが当にそれだった。
そういえば平田実篤だったか、、伊豆諸島の開祖と言われる事代主命(三嶋大社御祭神)は元々は出雲の神だったという説もあるらしい。利島の「神代」椿、式根島の「神引」展望台、あるいは神津島の「天上」山など、神話を連想させる名所がその伝承と共に全国至る所に在るのが、この国で神話が生きている証しだと思うところ。
私も小学時代の林間学校は伊豆高原大室山、高校入学後レクレーションは伊豆大島でした。三島大社といえば、思い浮かぶのは、伊豆蛭ケ小島に流されていた源頼朝が挙兵し伊豆目代 山木兼隆を打ち滅ぼした源平合戦のスタートが頭に浮かびましたね。三島大社の祭事、祭りに乗じて挙兵したはず。その後の石橋山の戦いでは完膚なきまま叩きのめされてますが。源頼朝が小舟で安房に渡り、再起を図ったのは、日本武尊が三浦半島、走水海岸から安房に向かう際、海が鎮まらず、
弟橘媛が海に身を投げ安房、上総に渡り東征を成し遂げた故事に従ったのでは
と思いましたね。満身創痍の頼朝にそんな余裕はなかったかもしれませんが。
事代主神は大国主命の子供説もあるようだが、ふと思いついたのは、縄文時代の黒曜石、伊豆神津島は黒曜石の産地で関東一円から伊豆諸島産の黒曜石が出土している。前にも書いたが、縄文時代黒曜石の一大産地、長野和田峠近辺の諏訪湖
、諏訪大社の祭神も出雲の国譲りの際反対した大国主命の子供、諏訪に逃げ込み諏訪から出ないことを条件に許されたとの故事があったはず。
縄文時代の黒曜石を運んだ縄文人と、出雲神の分布が重なっているのが面白いところ。
東京府中の大国魂神社、埼玉大宮の氷川神社、祭神はいずれも出雲神、大国主命
そして、明治天皇が東京に入り、初めて行幸した先は出雲神大国主命、氷川神社であった事実も歴史の因縁を感じざるを得ない。
まさに歴史はロマンなのです。




































