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投稿者: ひまわり (ID:qDrhhjOE7IY) 投稿日時:2015年 10月 11日 13:59
古代史の理解を広めていきたいと思います。
仮説であってもその刺激感がたまりません。
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【4042799】 投稿者: 二俣川 (ID:FdDMWynQZtA) 投稿日時:2016年 03月 19日 08:29
『労働法は歴史的運動法則の中にある』
わが国の労働法学は二つの考え方に大別される。
①労働法を市民法の連続性(取引の原理)においてとらえる見方
②市民法原理とは異質で特殊な性格(生存権原理)を有するものとする見方
私淑する故沼田稲次郎・都立大元総長らプロ・レーバーは②の立場を取り、通説だった。
しかしながら、現在では故石井照久東大名誉教授の流れを汲む東大系が①の立場をとり、形勢は逆転した。ゆえに、政府の審議会等も①の立場をとる者らが多く、結果的にアベ政権による一連の使用者にとって有利な労働者の「柔軟な働かせ方」の法制化を追認する結果※①になっている。
たしかに、労働法は資本制社会を前提としたものであり、私有財産制(財産権の自由)を否定する革命的原理ではない。
しかしながら、前述のような市民法原理の形式的平等(実質的不平等)という弊害を修正し、
労働者に対し真の平等を保障するものであることに、①②ともに違いはない。
そうであるならば、①の立場は形式的に過ぎ、市民法秩序のもたらす欠陥や弊害の是正につき、
中途半端なものである観は否めない。
むしろ、資本制社会の中にある現行労働法の構造を歴史的にとらえ、労働法が労働者による運動と密接な関連を有し、階級的立場から歴史的運動法則※②と一体となって発展してきたとの経緯にこそより注目すべきではなかろうか。
したがって、このような労働運動の実践を支える生存権的原理を基礎的原理とする②の立場が妥当であるものと私は考える。
よって、法の解釈においても、その立場から為されることが生存権保障を労働法の理念とする立場からは必須となろう。
それが労働法学の真の存在意義である。
※①たとえば、昨年9月の使用者にとってだけ好都合な「労働者派遣法改悪」。常用代替化を促進、他方身分不安定な「生涯派遣」にも道を開いてしまった悪法である。
※②史的唯物論(弁証法的唯物論)。
マルクスやエンゲルスは、名著『ドイツ・イデオロギー』でもってその原理を確立した。
(再掲)
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【4042803】 投稿者: 自由 (ID:YRnhZ72jhL.) 投稿日時:2016年 03月 19日 08:31
二俣川
ひまわり君スレへの
粘着ストーカーを止めろ -
【4042808】 投稿者: きゃりー神ゅ神ゅ (ID:seUsSaqJCG.) 投稿日時:2016年 03月 19日 08:32
>自由様、いろいろ考えたのですが
自由様が黙っていられないなら仕方がありません、私が対応しますからこのスレでの二俣川様・きゃりー様については私に任せて下さい。
お二人からこのスレに頂戴したレスについては、私が夜にでもまとめて対応します。
そんなわけで、このスレであのお二人については自由様の手出しは無用です、お願いします。
ここでは誰がどうした話ではなく歴史についての自由様のお考えを書いて下さるようお願いいたします。
わーら。笑
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【4042809】 投稿者: 自由 (ID:YRnhZ72jhL.) 投稿日時:2016年 03月 19日 08:33
二俣川
ひまわり君スレへの粘着ストーカーを
や め ろ -
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【4042818】 投稿者: 自由 (ID:YRnhZ72jhL.) 投稿日時:2016年 03月 19日 08:40
きゃりーがくだらん言いがかり。
荒らしは去れ
>>>ここでは誰がどうした話ではなく歴史についての自由様のお考えを書いて下さるようお願いいたします。
(ひまわり)
>>上記の書き込みは自分勝手で傲慢すぎました、撤回いたします。
申し訳ございませんでした。
(ひまわり君)
>了解した(自由) -
【4042828】 投稿者: 自由 (ID:YRnhZ72jhL.) 投稿日時:2016年 03月 19日 08:50
冷静にかんがえると君
(再掲)
>学生時代によく利用した城ヶ崎海岸のペンションから望む伊豆大島の景観。元町に雲の切れ間から降り注ぐ陽射しが当にそれだった。
>そういえば平田実篤だったか、、伊豆諸島の開祖と言われる事代主命(三嶋大社御祭神)は元々は出雲の神だったという説もあるらしい。利島の「神代」椿、式根島の「神引」展望台、あるいは神津島の「天上」山など、神話を連想させる名所がその伝承と共に全国至る所に在るのが、この国で神話が生きている証しだと思うところ。
古事記研究者の三浦佑之氏によれば、
その垂直的世界観は北方系、父系的、天皇、弥生的によるものだが、
出雲といえば、葦原の中つ国、根の堅洲の国とスサノオ→オオクニヌシは、南方的、母系的、国つ神、縄文的・・と水平的世界観ということらしい。
しかし、そもそも縄文人の観念のなかに、
天孫降臨思想があったのではないだろうか。
日向で見た天から降り注ぐ陽射しの体感が、そのことを感じさせた。 -
【4042836】 投稿者: 二俣川 (ID:FdDMWynQZtA) 投稿日時:2016年 03月 19日 08:52
『史的唯物論とは何か』
人間社会はなぜどのようにして原始から現在まで歴史の発展を遂げることが出来たのか。
人間社会はどのような仕組みをもっているのかを考えたものである。
すなわち、歴史的変化の原動力を「神」あるいは「自我」というが如き社会の外にある何らかの精神(『神』の意思のような)にあるものではないこと。
あくまで、社会そのものの内部の事柄に探求していくということである。
自然科学と同様の科学的考え方であろうか。
前述『ドイツ・イデオロギー』にも、次のように記されている。
「ある健気な男が、かつて、人間が水に溺れるのは彼らが重力の思想に取りつかれているからでしかないと思い込んだ。彼らが、たとえばこの観念を迷信的な観念、宗教的な観念と言明することによって、それを頭から追い払えば、彼らはすべての水難を免れるというのだ。生涯にわたって、彼は、重力の幻影とたたかったが、・・・」
「重力の幻影」と戦っても(観念論)、現実の水難をなくすことはできない。
大切なことは、解釈ではなく現実の転換である。 -
【4042837】 投稿者: きゃりー神ゅ神ゅ (ID:seUsSaqJCG.) 投稿日時:2016年 03月 19日 08:53
>きゃりーがくだらん言いがかり。
撤回したのと、初めから無かったのは違うだろが。ひまわりから指摘された事実は今でもかわらん。頭を使え。笑
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