在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
なぜ、慶応は江川を落としたのか?
<近藤唯之氏の戦後プロ野球50年より抜粋>
江川は慶応商学部、法学部、文学部の3学部を受験したが全て不合格だった。
慶応は初めから江川を熱心に誘っていた。 それなのに江川ほどの超大物がなぜ、慶応に落ちてしまったのか。
これはいまだに謎である。 江川が慶応に落ちたとき、慶応野球部某OBは次のような感想を話す。
「さすがに慶応義塾だと思いましたね。 野球ができるだけの子は入学させないわけですから・・・」
また次のような話題も伝わってきた。 最後の慶応文学部発表当日、慶応某首脳部が慶応の教授会に顔を出して、
「江川君はどうしました?」と聞いた。
或る慶応の教授が「江川君は不合格でした」と返事をすると、
この慶応某首脳部は笑顔で、やっぱりね!と答えたという。
「だから、どうなんだ」と問い詰められても困る。
しかし、こういう話の行間に、なんとなく江川は(慶応の関係者に)あまり好かれていなかったのかという思いも、伝わってくるような気がする。
インター・エデュのユーザーの皆さん、以上の話は今から40年以上前の、1974(昭和49)年2月頃の、当時、讀賣巨人に入団できなかった作新学院・江川卓が、プロ野球へ進まなかった為、急遽?東京6大学野球、とりわけ私学の名門・慶応義塾大学を受験した時の、こぼれ話です。
今から40年前の話になりますが、なぜ、慶応義塾は最初、高校野球界の怪物・江川を熱心に誘っておいて、結果的に、江川を忌み嫌い、手の平を返すような事をしたのでしょうか?
巨人、巨人と巨人に固執し過ぎた江川を、私は、人間的にあまり好きではありませんが、だけど、慶応義塾は今現在も矛盾に満ちております。
それは、江川ほどの超大物は試験に落として、智弁和歌山の野球バカたちを慶応は入学させているから、です。
野球の好きな、エデュ・ユーザーの皆さん、今から40年前の謎を、私スレ主と一緒に考えてみませんか。
江川なる人物は「非常識」です。
なぜなら、日本の長いプロ野球界の歴史の中で、
ドラフト制度という「決まり事」をないがしろにして、
既成球団の巨人に強引に入団したのは、
後にも先にも、江川ただ一人でしょう。
しかも、「江川事件」当時、巨人には小林繁という
巨人3本柱の一角のピッチャーが存在したのです。
その小林投手を犠牲にしてまでの強引な巨人入り。
江川はもちろん、江川事件を画策した讀賣グループも
江川同様、非常識です。
江川も巨人も共に、小林投手(相手)の立場を少しは考えてほしかったです。
私は以前、横浜市に住んでおり、その横浜市民時代に
行きつけの床屋さんがありました。
その行きつけの床屋さんで野球談議に花を咲かせ、
店員さん達と野球の話をする事は楽しいひと時でしたが、
そのお店の店員さん達は昔は巨人ファンだったけど、
江川事件が契機となって、巨人ファンを止めた人たちでした。
巨人ファンの人たちも同じ「人間」だから、世の中「人間」は色々です。
私が話を伺って思ったのは、中には江川事件がイヤになって
巨人ファンを止めた人たちも居れば、
江川事件を知っても、江川のファンや巨人ファンを止められないでいる人たちも
世の中には多数、存在するという事です。
私が思うに、江川事件を知っても、江川ファンや巨人ファンを止められない人たちは
或る意味、ビョーキ(病気)だと私は思いました。
最近、私はYouTube動画に書き込みをするようになりましたが、
YouTube動画を拝見して、江川ファンや巨人ファンの多い事、多い事・・・。
非常識な江川を弁護する人たちも、江川同様、非常識だと私は思いました。
大変嘆かわしい現実の様ですが・・・。




































