女子美の中高大連携授業
心の旅 あしあとノート
過去、現在、未来にとどまらず
前世や来世をも軽々と飛び越えるような
あなた自身の「心の旅」をしてみませんか
自由な旅人がふらりと立ち寄って
心の内をひっそりと語ることが出来る
そんなノートとなれば・・・
「旅は道連れ 世は情け」とは言いますが
この旅の次の分かれ道まで共に旅した者同士の
心の交流、交換日記という役割にもなれば
これまた面白いですね
かつて先人が
「男もすなる日記といふものを、
女もしてみむとて、するなり。」
と記されました
あなたはどんな人物にあなた自身を「仮託」しますか
それともそのままの「素」の姿で旅するのでしょうか
私達はこの仮想現実の中ではせめてしがらみを脱ぎ捨て
軽やかに心の旅、心の交流をいたしましょう
人の思いや考え方は十人十色とは言いますが
このノートがどのような色形になっていくのか楽しみです
特に筆記用具は準備しておりません
あなたがお持ちのものでご自由にどうぞ
泣いた赤鬼について。
つづきを読んでみましたが…。ありえない!!
赤朽葉様、私は優しくなんかないのですよ。体験と重ねて、自分のために泣いているようなものですから・・・。
私は、茫漠とした寂寥感に涙してしまいます。
泣いた赤鬼は、まるで「悲恋物」のようです。
人間たちに囲まれ、楽しく過ごしていても絶対的に感じてしまう赤鬼の孤独感。自分は鬼であり、どうがんばってもどんなに好きでも人間ではない。
青鬼だって、ああいったかたちで去った以上は、仲間たちと楽しく過ごしているとは考え難い。青鬼もまた、深い孤独の中にいるはずです。
己の孤独の中に相手を見出すことでしか、友情を成立させることができなくなった二鬼。
終わりなき孤独な友情に、こわさすら感じてしまいます。
赤鬼は、あまりにも真摯な青鬼の思いに、涙したのではないかと思っております。流れる涙で、表へ出すべきではない悔恨の念を封じ込め、感謝と受容を表明したのではないでしょうか。
わけのわからないことを書き綴ってしまって、ごめんなさい。
有名なお話なのに、解釈がまちまちでおもしろいものですねー。失礼しましたぁ。
赤朽葉さま
私が、あの二冊を読んで泣くのは、
きっと、自分があまりにも独善的な人間だからです。
自分でも確たる理由は分かりませんけれど。
愛されることも、
愛することも知らないからです。
知らないというより、気づくことができないからです。
私は、あの二冊から、どういうわけか、
愛の様々な形を見ます。
コーギーさん
映画「シャッターアイランド」の時もそうでしたが
見る人によってまったく解釈は違うものでしたね
だからこそ面白いし、だからこそ人は語り合うのですよね
「泣いた赤おに」も誰に注目するかでも感じ方が違うでしょうし
自分のその時の立場や年齢によってまた違ってくるのでしょう
童話で言葉が少ないからこそなのかもしれませんね
このようにいろいろなと捉え方が出来るものが
本当の名作なのかもしれません
涙の流し方一つでも解釈が違いますね~
>流れる涙で、表へ出すべきではない悔恨の念を封じ込め、
>感謝と受容を表明したのではないでしょうか
素敵な解釈だと思います
私の感じ方とは違いますけれど
こういう意見をお聞きできるのはまた大切なことです
>体験と重ねて、自分のために泣いているようなものですから・・・。
どんな体験なのかしらと・・・
つぐみさん
つぐみさんは求道者のようですね
独善的なんて・・・
私から見たら博愛の人です
>愛の様々な形を見ます。
見ることが出来ているのならば
受け取ることも与えることもきっと出来ているはず
「愛」の形に正解は無いのですから
ためらう必要はないと思います
心の硬く閉じたリミッターを少し緩めるイメージをしてみてください
逆に言えばリミッターの無い「愛」は危険ですよ
「愛」という名の元ではなんでも出来てしまいますから
それは恐ろしいことです
愛は惜しみなく与うとも愛は惜しみなく奪うとも言いますね
本当かな?
愛は惜しんで当然だし
相手のことを考えたら惜しむべきでもある
愛は人間関係ですから
0対100はありえないし
もちろん50対50もありえない
0から100の間を刻一刻と移ろうものだと思います
だからつぐみさんのその時の愛を
そのままで良いのだと思います
人として人とかかわっている以上
愛して愛されているんですよ
比率はこの際関係ないです
相手を見つめているということは
愛していることだと思うから
愛が伝わるかどうかそれはまた別の問題だけれどね
それは相手側の問題でもあるし
ただ伝える努力伝える工夫は必要でしょうが
私など異常に自己愛の強い人間でしょう
常に自分に「いい子いい子」しています(笑)
つぐみさんも自分に「いい子いい子」してみてください
人を愛する練習と思って
赤朽葉さま
ありがとう。
頭では理解しているのだと思うのですが、
現実に自分は、人を愛したことがないのではないかなと思うのです。
唯一愛しているのかな…
これが愛かな…
と思うのが子どもに対しての気持ちくらいです。
愛って何でしょう?
よく分かりません。
だから、泣くのかなと思います。
そこには、私の憧憬が詰まっているのかも。
佐野洋子さんは谷川俊太郎さんと結婚していました。
谷川さんは何回か結婚したと思います。
文学者?の多くは「愛」に於いて数奇な生涯を送っている人が多いように思います。
愛が何度も訪れて、愛は何度も枯れ果てる。
それもよく分からないの…
忙しすぎて、負のオーラでまくっていますね?私。
今日は、久しぶりに早く帰ってきましたけど、
まず初めにパソコン覗いちゃいました。
明日同僚が、弟の聖☆兄さん?でしたか?を貸してくれるそうです。
話題にしてみて良かったわ。
息子が何冊か買ってきて、その後が気になっていましたから。
これでスッキリするかも。
そうそう…連投ですが。
なんで聖☆兄さん?の漫画の話になったかというと、
「こじこじ」というさくらももこさんの漫画が面白いという話からです。
シュールな笑いらしいので、今度読んでみたいと思います。
帰れまテンは録画してでも見たいテレビですが、
あれも、結構シュールです。
人が好んで食べるものを当てるのですが、
人の好みって…やっぱり千差万別です。
私にはない嗜好を目の当りにしたとき、
私はかなり衝撃を受けます。
揚げ物のメガモリ?とか。
つぐみさん
「愛」とは何ぞや?
旅人の永遠のテーマですね~
愛がつく言葉がたくさんあるから
なんだか訳がわからなくなるけれど
つぐみさんの心の中にあるお子さんへの気持ち
愛したい、愛そうとしているその気持ちを
「愛」と定義しちゃうのはダメ?
無理に定義する必要も無いけれどね
自分の大切な子供への愛の内容、濃さだって
生まれたてのときとは確実に変わってきていますよね?
あの頃は子供は自分の命に代えても守る!とか思ったけれど
今は命を差し出せるかな?微妙・・・
同じ場面になって主人か自分か選ぶならば
主人にはためらい無く「お先にどうぞ!」といいますけれど(笑)
きっと完全な愛なんてないよね
一つとして同じ愛もないし
みんなゴツゴツとぶつかりながら愛そうとしているのかな
あきらめずに愛そうとジタバタする
その途中こそ「愛」なのではないかしら?
あるいは「愛」という名の幻を求めているのかな?
愛に対する憧憬、涙を流せる・・・これも立派な愛だと思う
「愛」を求めて苦しむことこそ「愛」じゃないかしら?
つぐみさんは三浦綾子さんの
「氷点」「続・氷点」読んだことありますか
私の高校生の頃の愛読書でした
人間の「原罪」について語られる素晴らしい話なんですが
私の心に一番残っているのが
「続・氷点」の最後の方に出てくる
「愛とは知、情、意が伴って成り立つ」
あるいは
「知、情、意の総合されたものが自分である」
というメッセージでした
愛とは感情だけではない
愛とは意志的なものである
感情だけではない
知性だけでもない
そこに意志の力を必要とする
どれが欠けても自分ではない
高校生の頃の私には衝撃的なメッセージでした
特に「愛」って感情だけと思っていましたから
三浦さんのキリスト教の信者としての考えが
そこには色濃く出ているのでしょうが
真理だと思いました
少し前に流されることはないのか・・・との問いかけをいただいて
恋バナ書こうと思ったけれど
あまりにも自己愛に満ちた話なので恥ずかしくなるし
向田さんとか三浦さんとかの名作の話をしたあとの
自分の恋バナなんて本当に陳腐なので
2番目に思い浮かんだ「知情意」のお話を書いてみました
私はなんでもすぐに感情に流されっぱなしの人間なんですが
ふと立ち止まれる時があれば「意志」について振り返ってみます
「意志」はそこにあるかと
大抵私の場合「感情」と「意志」は対極にあるから
間を取り持つのが「知性」ということになるのかな?
別に愛だけでなく生きること全部難しいですね
心して「意思的」でありたいと思う
「知性的」でももちろんありたいし
「感情的」になりがちだからね
なんかぐちゃぐちゃ書いちゃったな~
わけわかりませんよね
ごめんなさい




































