女子美の中高大連携授業
寂しい母の日
何にもありません。せめてLINEのスタンプでもいいからメッセージ欲しかったなぁ。
カーネーションを買ってきてくれた時もあったけど、今は昔話。
育て方が悪かったのかしら…
すみません、愚痴でした。
母の日の花を買いにきている子供たちに遭遇した人のお便り読んでいました。
一人の子は知らずか、「仏花」を買っていたと。
思わずクスッとしてしまいましたが、実際、仏花でも嬉しいですよね 笑
なんかほっこりしちゃいました。
去年同様、また今年もやってきた母の日。
このスレを覗いて去年も虚しい母の日を送ったことを思い出しました。
小学校低学年の息子だけ、『母の日だから、夜ご飯手伝いたい』とって何度も言ってくれ、それは嬉しかったですが...あぁ、何を母の日にすればいいのかきっとわからなくて悩んでそう言ってくれたのがすごく伝わりました...
夫はなぜ主体的になり娘、息子、に母の日は何する?と聞いたり、こんなことしてみたら?とアドバイスできないのか。。
本当に夫が嫌いです。
遠回しに母の日のことを言っても、何にも変わりません。
腹いせに父の日なんて何にもするもんか。と思っています。
母の日なんてなければいいのに。
毎年母の日当日より前もって、70代の実母から母の日を期待する言葉を言われます。感謝を押しつけられるみたいで、めんどくさい。
母の日って、由来はわかっているのかな。そんなに必要ですか?日々の中で都度感謝を表したら十分じゃないですか。
何もない人は、世間で母の日と騒がれるから、自分に何もなければ悲しかったり不機嫌になったりするのでしょう。
子供が幸せで、その存在がいてくれるだけで十分です。
特に、まだ自分で稼ぎもない学生にお金を使って用意することを期待して、何もなくて不機嫌になるのはおかしいと思います。
拝読いたしました。なるほど、実母の「母の日アピール」が鬱陶しい、と。
ごもっともに見えて、実に味わい深いお話です。
「子どもが存在するだけで十分」と言いつつ、他方で「母の日アピールが面倒」と憤慨。
この矛盾、まるで「私は無欲なふりをしたいけど、無欲な他人は許せない構文」、炸裂でございますね。
制御不能の他人(=母 所詮、血縁も自分と身体を違にする他人でございます)に期待されるのが嫌なら、なぜご自身は「母には察して欲しい」を微細な不満として滲ませてしまうのでしょうか。
これは母の日、ではなく「人間、みんなエスパーじゃない問題」です。
「感謝は日々伝えているから、改めては不要」との主張、それはそれで筋が通っております。
ただ、その理屈が通るなら、世間の誕生日や記念日もすべて不要でございまして。
結果、プレゼントもケーキもなし、家族行事は全廃、感情表現はすべて合理主義フィルター越しに管理される、感情の断捨離生活が完成いたします。
果たしてそこまで断ち切れるか?、という試金石でございます。
そして何より味わい深いのが、
>何もない人が、騒がれるから悲しくなる
という一節。これ、実は母にではなく、自分以外の「何かを欲しがる人」すべてへの無意識な冷笑ではございませんか。
こうして他人の感情を切って捨てる姿勢こそ、ある種の精神的プレゼント、いや「精神的断捨離ギフト」とでも申しましょうか。
「私は母の日に左右されない人間である」という表明が、ここまで感情的につずられる様、まさに他人の期待に揺さぶられながら、それを否定することで自我を保つという「生きた教科書」。
高みからの無関心を主張する者ほど、実は誰よりも関心が深いという逆説が、今日もまた、母の日にエデュに一花繚乱、徒花として狂い咲きしております。
今後とも、心の断捨離、頑張ってください。応援しております。
草々




































