充実した教育環境の日大付属高校
ときどき思う事。神奈川。
あまり親しくない人に、子供の在学中の学校名を聞かれ答える。「⚪️⚪️校です(神奈川御三家の一つ)」。
相手は、ポカンとしてる。知らないみたい。そして、さらに
「うちは、湘南高校なの。なんとか、湘南に入学出来て良かったわ。まわりには東大に行く先輩がたくさんだから、それなりに刺激になるみたい。中学時代は部活ばかりしてたけど、なんとか湘南に入学できたからよかったわ。私は勉強は教えた事ないの。納豆とか豆腐とか、大豆系を食べさせるといいわよ。ほんと。それだけだから。」と、言われる。
私は、「部活は何を?」とか、なんとなくはぐらかす。
神奈川のほとんどの人は、湘南か翠嵐が神奈川で1番頭がいいと思ってる。
かまわないんだが…
なんとなく、自分が意地悪な人におもえてしまう。
>40〜50代の人でもその親世代で優秀な人たちは湘南翠嵐だった
ちょうどその世代の翠嵐出身の知り合いがいますが、翠嵐が湘南と同列の扱いを受けていると言うと怪訝な顔をしますよ。
当時は、湘南と翠嵐の間には越えられない壁がありましたから。
また、その世代はちょうど横浜国立大学附属鎌倉中学校内申書事件の余波で、横国鎌倉→湘南→東大のルートが使えなくなり、さらには学区制の影響で、出来る子たちが栄光、聖光(実は公文国際あたりへも)流れていった時代で、県立暗黒期に差し掛かっています。湘南も急激な地盤沈下が続いていました。
同時に、大学の学生運動の余波があって、制服、校歌、定期テスト、通知表など、すべて廃止された県立高校もありました。
ア・テストの影響もあって、当時は県外からとても出来る子が中学期に転校してきても、ア・テストを受けられていないと県立高校には行けない状況でした。
いとこがちょうどそのパターンで、中3になってから転校してきたため県立受験がNGと言われ、仕方なく入った桐蔭から東大へ行きました。
ちょうど、その頃は県立高校から東大へ、というルートが必要以上に敵視されていた時代でしょう。
湘南翠嵐とひとまとめにするのは、最近のノリですね。
60代以上だと湘南一強時代、40~50代だと、県立暗黒時代。それより下になると、少しずつ県立も復活しはじめる世代に入っていくと思います。
おそらく、湘南翠嵐と同列に扱うのは、その世代の方々では?
私の親世代はいわゆる団塊の世代で、父は翠嵐でした。
湘南高校が優秀だったのはもちろん知っていますが、当時いくら優秀な学校でも横浜市から湘南高校は遠すぎて通う人はほとんどいなかったようです。
なので私の感覚は神奈川県民というより横浜市民の感覚なのでしょうね。
創立年で見ると慶應普通部の前身となる中学が明治10年、翠嵐が昭和3年、浅野と湘南が昭和9年、カトリックの栄光、聖光は戦後ですから、あまり歴史の古さと現在の実力は関係ないですよね。
ただ、やはり旧制中学の系譜をひいた公立トップ高は全国どこでも一目置かれる存在で、実際に昭和40年台くらいまでは湘南が県トップだったので(翠嵐は県トップになったことは一度もない)ご老人がそのイメージを持ち続けているのは理解できなくはないです。
でも、今の子供たちの親世代では、すでに公立が地盤沈下しだして優秀な子は私立(栄光・フェリス・桐蔭・慶應)に行っていた時代だから、SSが神扱いというのは疑問ですよね。
それでもそんな風に思ってしまう人がいるのは、東京方面も含めてS,Aランクの中学に行った生徒が公立中学にはいないからではないでしょうか。公立小時代にはS,A,B,Cランクの子はみんな100点連発で差がつきませんし、S,Aレベルの子は中学受験で抜けてしまうことが多いので、公立中ではBの子が神扱いになってしまうのかもしれません。
ちなみに私は40代ですが、まさに県立暗黒時代だったと思います。
私は中学受験して私立の中高一貫校で高校受験していませんが、公立中学にいった弟が高校受験で本当に大変だったみたいです。ア・テストもありましたし、何より公立高校の学区があったので翠嵐が無理だと、もう選択肢がまったくなかったようです。なので私立高校に行く生徒がすごく多かったのではないかな。桐蔭がとても優秀と言われた時代です。






























