アートの才能を伸ばす女子教育
ときどき思う事。神奈川。
あまり親しくない人に、子供の在学中の学校名を聞かれ答える。「⚪️⚪️校です(神奈川御三家の一つ)」。
相手は、ポカンとしてる。知らないみたい。そして、さらに
「うちは、湘南高校なの。なんとか、湘南に入学出来て良かったわ。まわりには東大に行く先輩がたくさんだから、それなりに刺激になるみたい。中学時代は部活ばかりしてたけど、なんとか湘南に入学できたからよかったわ。私は勉強は教えた事ないの。納豆とか豆腐とか、大豆系を食べさせるといいわよ。ほんと。それだけだから。」と、言われる。
私は、「部活は何を?」とか、なんとなくはぐらかす。
神奈川のほとんどの人は、湘南か翠嵐が神奈川で1番頭がいいと思ってる。
かまわないんだが…
なんとなく、自分が意地悪な人におもえてしまう。
80年代後半〜90年代さんが
〉オフコースが聖光学院の同窓生で、サザン桑田佳祐で鎌倉学園、ハラ坊がフェリス〜
と素敵な例を出してくださいましたが、私は横浜で出会ったママが「飯島直子ちゃんと同じ中学には行かせられないと母が私を私立中に入れたの」と話していたのを思い出しました。飯島直子ちゃんは川崎で暴走族、小泉今日子ちゃんは厚木のレディースの総長ですね。
わかるさん、海ではしゃぐヤンチャ系リア充は明るくて矢沢あいですよね。私の中学では授業中に爆音ならしたバイクがやってきてそれ見た男子がカッコいいーと目を輝かせていました。
ふふさん、なんとかできませんがなんとかしなくてもご主人は少数エリートだったのでそのままで。県内で優秀な子は学区外のトップ校に進学できる枠がありました。学区外と呼ばれていましたよ。少数エリートを指します。
昔はこんな風土でもありました、神奈川の公立。
>メンバー全員が聖光学院の同窓生で、
元祖は3人?
そして2人に。
中学の頃、横浜近辺の小さな小さな会場でのライブを見たのが最初だったか。
学校の事を「オイラ達が通ってた頃から思うと凄い進学校になっちゃって。オイラはあの頃野球ばかりやってた異端児。鈴木は優秀だった」と小田さん。
ファンクラブが発足して間も無く入ったら、めちゃ早い番号だった記憶が。
その後5人になって、メンバーには大阪出身の高校中退の人も。
次第に聖光学院の2人に不協和音。
鈴木さん脱退。
解散の頃はすっかり担降りしてた。
オフコースの二人は栄光落ちで、開校まもなく「第二栄光」「栄光の姉妹校」と宣伝して生徒を集めていた聖光に入学した。小田さんは受験残念で親御さんを怒らせ、楽器セットを買ってもらえなかった。
ご実家は薬局だったので医学部を目指すべく某国立大学の見学に行ったが、汚いカーテンや消毒の匂いに嫌気が差して建築学科に進路変更した。高校時代から音楽活動をしていたが、進学先の東北大建築学科で音楽の道を究めることを決意。同大学院の修士論文のタイトルは「建築との決別」(教授指導により「私的建築論」に変更)だった。
ちなみに小学校は関東学院六浦。
薬局の店頭には、そっくりなお兄さんがいらして親切だった。
文化祭に行ったら、まだ中学生なのにたぶん制服だけ見ての、高校生からのナンパが凄かった。
子供の中学受験の頃、都内御三家を目指す仲間達と競合させたくない先輩ママに、聖光をすすめてあげたらとても感謝された。当初は東横線・桜木町乗り換えで横浜駅の雑踏を通らずに済み、23区内からの通学も便利だったらしい。





























