アートの才能を伸ばす女子教育
ときどき思う事。神奈川。
あまり親しくない人に、子供の在学中の学校名を聞かれ答える。「⚪️⚪️校です(神奈川御三家の一つ)」。
相手は、ポカンとしてる。知らないみたい。そして、さらに
「うちは、湘南高校なの。なんとか、湘南に入学出来て良かったわ。まわりには東大に行く先輩がたくさんだから、それなりに刺激になるみたい。中学時代は部活ばかりしてたけど、なんとか湘南に入学できたからよかったわ。私は勉強は教えた事ないの。納豆とか豆腐とか、大豆系を食べさせるといいわよ。ほんと。それだけだから。」と、言われる。
私は、「部活は何を?」とか、なんとなくはぐらかす。
神奈川のほとんどの人は、湘南か翠嵐が神奈川で1番頭がいいと思ってる。
かまわないんだが…
なんとなく、自分が意地悪な人におもえてしまう。
主人公たちは12歳じゃなかったでしたっけ?
それで大人になる前の最後の夏休みは可哀想でしょう
これまた古い映画の話になりますが、最後の夏休みというイメージで
思い出すのは「ビッグウェンズデー」ですね
そこには大人になる前の夏休みと大人になりつつある若者の最後の夏休みが
描かれています
塾通いばかりでは「ビッグウェンズデー」を夢見る事さえできない子ばかりに
なってしまうんじゃないでしょうかね
完全に大人になるのはもっと先ですけど、まだあどけなさが残っている子供時代の最後の夏休みという意味だと思います。
その後は、それぞれが違う進路でそれぞれの経験をしていくのではないですか?
地元の子達とずっと連んではいない。
子供を出しにして親同士でマウントをとりたいという意図が滲み出ていますね
日本特有のムラ社会のさもしさというか、オトナとしての幼稚さを感じますね
親としては子供が満足する学校へ通わせてあげるのが一番で、そこから先は本人次第(ようするに他人がとやかく言う話ではない)なのだから「そうですか 凄いですね」とサラッと流すのが自然のような気がしますが
ようやく平和になりましたね。もはやこのスレが盛り上がらないことが、それを象徴しています。
もとは何かと「湘南生は〜」という人格否定マウントに嫌気が差していたことが始まりです。
自分の出身校や我が子の通う学校に愛着がある。それを「湘南生は勉強だけしているわけじゃない」とか「湘南は勉強以外で学ぶ事が大きい」とか、まるで他校に通うと人生の落第生みたいな言い方にカチンと来る人は多かったと思います。だからこのスレは盛り上がったんでしょう。
しかし翠嵐が圧倒的な実績を示したことで、「湘南生は〜」と言われたところで、しょせんは県立二番手校の戯言。いや、湘南マウントそのものを聞かなくなりました。もはやマウント取れなくなったんですね。
もちろん湘南は、かつての名門校ですし伝統もあります。しかし、同様に翠嵐のみならず私立にもたくさん名門校がありますし伝統があります。
神奈川は湘南だけが特別な存在じゃありません。そんな当たり前の会話ができるようになって良かったんじゃないでしょうか。





























